謝罪
私の前に騎士のようにひざまづいているディアス様の背中が、月の光を受けて輝いていた。
その広い背中はごつごつしていて、よく見ると、体のあちこちに古い傷跡があった。
「ディアス様、いけません……!」
私にひざまづくなど、ディアス様の立場を考えたらいけないことだ。
握られている手を引っ張ったけれど、ディアス様はびくともしなかった。
「――リジェット、すまなかった」
「謝っていただくことなど、何も……!」
「俺がするべきは、君のためだと言い訳をして、君を遠ざけることではなかったな。人として君と向き合い、君を知るべきだった。……深く、反省をしている」
「ディアス様、どうか頭をあげてください。困ってしまいます、私」
誠実で真摯な言葉に、私は首を振った。
別に、気にしていないのに。それに――。
「私も、悪いのです。あなたとご挨拶をした日、尋ねることをしませんでした。それに、自分の気持ちも言いませんでした。恋人も好きな人もいないと。それから……ディアス様の元にくるのに、私は大して覚悟も決意も、していなかったのですよ」
「それは、どういうことだろうか」
私はディアス様がどんなにその手を引っ張っても起きてくれないので諦めて、ディアス様の目の前にぺたんとしゃがみこんだ。
これで、視線が同じだ。
「知らない土地に行くのは、本の中でしか体験できなかった冒険のようで、素敵です。ディアス様にお会いするのも、楽しみでした。……お会いしたときには立派な方だと感じました。今は、誠実で立派な方だと感じていて」
「リジェット。俺は君のその優しさを踏みにじったのだ」
「そうは思いません。ディアス様、私はディアス様に恋人がいると思っていて、ディアス様は私に恋人がいると思っていたのでしょう?」
「あぁ。……そうだが」
「では、それでいいではないでしょうか。私たち、勘違いをしていました。誤解が、とけました。もう、それで」
「しかし」
ディアス様はまだ納得がいっていないように、眉を寄せた。
真面目で誠実な方なのだろう。ディアス様のことが少し、分かったような気がする。
「……私は怒っていませんけれど、ディアス様はどうしたら納得されるのでしょう」
「君に、詫びたい。だが、どうしたらいいのか。詫びの品をと考えても、君にはドレスや宝石などはさして価値がないのだろう」
「書庫の本を読ませていただいています、それで十分です」
「それでは俺の気が済まない」
ディアス様は私の手を引いて、私を立ち上がらせてくれる。
服についた落ち葉を払い、ずれたショールを直してくれた。
「何か、して欲しいことはないか? 欲しいものなどは」
「欲しいものはなにもないのですけれど……でしたら」
私はいいことを思いついたと、ディアス様の腕をぎゅっと握りしめた。
「たまには、誘ってください。こうして、焚き火の前で過ごしていると、心が落ち着きます。川の音も、風の音も気持ちがよくて」
「そんなことでいいのか?」
「あ……それから、時々、ではなくて、毎日……ディアス様をお見かけしたときは、話しかけてもいいでしょうか。許可を与えていただけますか?」
ディアス様は一瞬目を見開いて、それからその凜々しい顔立ちをへにゃりと歪めて笑った。
そうして笑うと、迫力のようなものが消え失せて、人好きのする表情になる。
とくとくと、心臓の音がする。凍えた体にはじめて血が巡り始めたみたいだった。
「時々――というのは、本気だったのだな。どういうことなのかと不思議に思っていたが。……もちろん、いつでも話しかけてくれ」
「ありがとうございます。時々というのはさじ加減が難しく、どうしようかしらと思っていたのです」
「余計なことで、君を悩ませてしまっていたのだな。すまなかった、リジェット」
「私も……ディアス様、これではずっと、謝ることになってしまいます」
「そうだな。……リジェット、こちらに」
ディアス様は私を、大きな毛皮の上へと案内してくれた。
並んで座ると、椅子で座っていたときよりも体が近い。
私は膝を抱えて、川に落ちる月を眺める。少し、肌寒い。ディアス様は脱ぎ捨ててあったシャツを、私の肩にかけてくださった。
「ディアス様は、寒くないのですか?」
「この城の女性は俺の裸を見ても恥ずかしがらないと言っただろう? 昔からあまり服をきていなくてな。この格好に慣れているんだ」
「何故ですか……? 服が、なかった……?」
「いや、違う。鍛錬の時は、あまり服を着ない。汚れたり、破けたりするからな。冬場でも、脱ぐ」
「まぁ……そうなのですね。でしたら、私も慣れます。まだ、恥ずかしいですけれど」
「君は、昼間に情熱的な場面のある本を読んだと言っていたが」
「聞かないでください……」
私は抱えた膝に顔を埋めた。
ディアス様と、ごく自然に言葉を交わしているのが不思議だった。
同時に、心の中にあった小さな淀みが消えていっていることに気づいた。
こんなに些細なことで――心が浮いたり沈んだりする。
「リジェット、俺はしばらくの間、休暇をとっているのだが」
「はい。お聞きしました」
「もしよかったら――街を案内しよう。書庫には数多くの本があるが、街には書店もある。行ってみないか?」
「本を見たら、欲しくなってしまうかもしれません」
「書店ごと買い取ろうか」
「それは、いけません。……あぁでも、行ってみたいです」
「では、決まりだ」
浮いた心が、ふわりと空に浮かびあがった。
それは、夜空に浮かんだ月のように。
凪いだ海に浮かんでいた笹舟のような私の心に、穏やかな風が吹くのを感じた。
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