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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

創作百合短編集

ファミレス百合 同棲会議編

作者: 今田椋朗


「ね、ちょっと待ってミライ?あそこの席のひと、こっち見てるよ」

 私の前にはピザとペペロンチーノの皿、テーブルの向かい側のミライの前にはミラノ風ドリアが並んでいる。ふたり分のドリンクバーのグラス、どちらもメロンソーダがなみなみと注がれている。


 そして、私の口元に、ミライからドリアを掬ったスプーンを差し出されていた。

「ん~?いいじゃん、関係ないって、むしろ見せつけよっ?だから、あ~んして?あ~ん」


 さすがに、昼時で混んだファミレスの衆目の中、親友とはいえ『あ~ん』をするなんて、こそばゆい。

 でも、ミラノ風ドリアは食べたい!食べたい!

「あむっ」

 左手で髪をおさえつつ、ミライのスプーンを口内に迎え入れた。

 ……やっぱり、斜め前のテーブル席のひとが、こちらをばっちり見ていたようだ。うう、背中かどこか、むずむずする。

 しまった、味わうのを忘れていた。口内は大好きなドリアの熱だけが残っていた。

 メロンソーダを飲み、冷ます。


「ね、もうひとくち……」


 ミライはドリアを掬ったスプーンをまさに己の口に近付けている最中だったが、

「最初から素直になりなよ、はい、あ~ん、と見せかけて、ぱくっ」

 わざわざ、私の方へ遠回りして、期待を裏切って、Uターンしたスプーンはミライの口内へ収まった。


「あ~!そんなことするの?!もうっ嫌いになるよ?」

 ミライはじゃれるのが好きなのだ。むろん、信頼の太い綱で結ばれた同士でないかぎり、そんなことはしないし、ミライのそれを受け取るのは、私だけ。


「え~?ウチが目の前にいて、他のニンゲン見てるアカネのほうが悪くない?だから、もうあげなーい」

 それに、すっごくヤキモチやきなのだ。


 ペペロンチーノを食べながら、ミライの様子を見る。

 栗色のセミロングは編み込んだりして背中側に流している。前髪はふわふわと薄くカールして、細い眉の下で揃えられている。まつげエクステの二重瞼、涙袋は自然に膨らんでいる。

 今日の、黒のショートパンツにトップスは白で、襟やボタンなど、どこか清純が漂っていて、ミライに良く似合っている。滑らかな肌の脚を惜しげもなく披露していて、白眉は膝の造形美だろう。膝小僧というよりは、膝お嬢様、膝姫様……


 スプーンを摘むように持つ細い手指の先端部には、桜色のマニキュアで彩った伸ばした爪が光沢に満ちている。

 ミライも、ミラノ風ドリアが好物なのだ。ふたりでファミレスに来たら、どちらかが必ず注文していた。

 ミライの完全武装の顔立ちをじっと見ていたら、ふとカラコンの瞳が視線を合わせにきた。

 咀嚼が一段落したミライはメロンソーダを飲んでから席を立って、

「そっち座っていい?そしたら許す」

 私が許可を出す前に、私の隣に座ろうと、身をぎゅうぎゅう寄せて、肩をぶつけて、ソファの上をふたりのお尻が楽しそうに弾んだ。

 ふたりで四人席テーブルを使っていたが、片側にふたりで並んで座るのは、かなり不自然である。


 ドリアの皿とメロンソーダを手前に引き寄せたミライは、

「ふふん、こっちのほうが、あ~んしやすいよね」

 スプーンで掬うドリアの量をしきりに調整していた。

 ペペロンチーノを飲み込んだ私は、牽制するようにジャブを打ち込んでみた。

「ミライ、さっき熱かったから、ふーふーしてよ……」


 こちらの顔色を覗き込む、隣に座るミライは分かりやすく喜びに満ちて、目許が柔和に緩んでいた。

 ミライのこういう表情は、ふたりでいるとき、食事中など気を緩めたとき、見ることが出来る。

 これでもミライは、よそいきの顔は口数少ないクール系で通っているのだ。だから、本人は少し気にしている目尻の笑い皺は、私しか知らない。


「ふーふー、はい」

「あむ」


 まだ熱いが、さっきより何倍もおいしいのは気のせいじゃないはずだ。こちらも、お返しせねばなるまい。


「ミライ、ペペロンは食べないの?」


 パスタをフォークに巻いて『あ~ん』するのは、難しそうだ。さっきから、うまくまとまらない。

 だから、未使用のフォークを用意して、皿ごと隣へ寄せてみたが、ミライは不服そうに眉根を寄せた。

 

 ピザだ。

 

 アルコールティシュで手を拭いた私は、ピザを切り分けて、先端部を向けて、ミライの口元に持って行った。

 ミライはまた表情を緩めて、カラコンの大きな瞳を輝かせた。


「はい」

 ミライは唇を開かない。


「はい、あ~ん」

 ミライは大きく口を開けて、並びよい歯を見せた。

 親鳥のくちばしを待つ雛鳥の恋慕さながらの視線と、のぼせ上がった頬。

 面倒くさい女。

 

 でも、ミライの学校でのお高くとまった澄まし顔の仮面と、今みたいな表情との落差で、私は発電して蓄電していた。高嶺の花を真っ向から摘み取れるのは、この私だけ。

 私が見ているときだけ、咲きなさい。そう念じながら、ミライにピザを突っ込んだ。


 ふと、私のジーンズのポケットでスマートフォンが振動した。たぶん、彼氏だ。連絡どころか三ヶ月以上まともに相手していないからか、ここ最近は通知が増えてきた。むろん、のらりくらりかわす予定だ。

 お前の意中の相手が私からミライに変わっていることに、お前より私のほうが先に気付いているんだよ。


 ミライに彼氏の存在を知られるのは厄介事になりそうだから、私は注意深くポケットにスマートフォンを忍ばせている。


 ペペロンチーノを平らげたことだし、私もピザを食べる。私は先端部を畳むようにして、耳の部分とチーズのバランスが常に等しくなるように口に入れる、こだわりがある。


「アカネ?」

 なるほど、自分の手で食べないつもりだな。

 甘え声で私を呼ぶミライの両手はテーブルの上で行儀良く待機している。まあ、マニキュアの長い爪で手掴みで食べるのは私も躊躇するし、仕方ない。


「はい」

 私は一口大に切り分けたピザを持って行く。

 こちらを向いて待つミライの表情は、二重瞼を全開にして、期待で潤った大きな瞳を私の手指とピザに向けたまま、その微笑を湛えて閉じた薄い唇に動きはない。


「はい、あ~ん」

 また、言わされた。面倒くさい女。

 ミライは嬉しそうに、ピザに飛び付いたが、勢い余って私の手指の先端まで口に含んでしまった。


 一瞬だけ顔をしかめてしまったが、ミライは見逃さなかったようで、頬を紅潮させながらも、申し訳無さそうに俯いた。


 私はアルコールティシュで指を拭きながら、手綱を緩めるか締めるか思案していた。


「ミライ」

 メロンソーダで冷やした声で名前を口に出してみた。

 私に呼ばれたミライは大げさなほど肩をびくりと震わせた。

「ご、ごめんなさい……」

 ピザを飲み込んだ隣の女は絞り出すように詫びる。


「場所を考えて」

 つとめて、とげとげしく突き放すような声音で言ってやったが、付け入る隙も用意しているのだ。飴と鞭。


「うん…………あっ、部屋(うち)でなら、いいってことだよねっ」

 後半は焦ったような早口でまくし立てた。

 

 ちゃんと気付いたか、私は目に見えて分かりやすい位置に報酬など置いてやらない。

 それにしても、いつもミライは目敏く見つける。

 もう少し巧妙に隠すか……手間だな。

 面倒くさいが飽きない女。


「まったく、そんなに私の指はおいしいの?」


 物憂げな私の声がしっかりミライの耳に通ったようだ。膝のきれいな隣の女は、茹でた蛸みたいに全身を紅潮させた。


 予想通り。

 高校でミライと知り合って三年と数ヶ月、私はミライの琴線か何かを朧気ながら掴みかけていた。

 私がミライの膝を気に入っているように、ミライも私の指に執着があるようなのだ。


 マニキュアも塗りたがる。

 指輪も選びたがる。

 手を繋ぎたがる。


 ミライは俯いたまま凍ったように固まってしまった。黒のショートパンツから黒のサンダルまで、むき出しの脚の白く薄い肌の内側で、血がぐつぐつ沸いているみたいで、湯気すら纏っていそうだが、氷漬けられたように動かない。


 熱いのか冷たいのか、真逆のイメージを同居させた様子がおかしくて、私は笑みを浮かべそうになったから、表情筋に行くエネルギーを腕、そして手に向けた。ミライの腿と膝を撫でたのだ。


「ひゃっ?!」

「で、本題なんだけど」


 解凍するのは簡単だが、ミライの心はまだ帰ってこないようで、焦点が合っていないカラコンの瞳は揺れ続けている。口角もだらしなく乱れている。


 これじゃ今日のメインの話が出来ない。

 ため息の後、隣に座る女の腿をまたいで、グラスを二つ持ってドリンクバーに行った。

 戻ってきて、ミライにメロンソーダを飲ませて落ち着かせて、私は向かい側に座り直し、口火を切った。


「ルームシェアの件なんだけど、三択……いや、二択ね。バス、トイレ別、クローゼット広め、駅近、それで家賃○万円以下なんて、探すの大変だったんだから」

 メロンソーダを飲んで、一呼吸の後に続ける。

 ミライは目を合わせたり合わせなかったり、まあ、ちゃんと聞いているだろうが、唇はまだだらしない笑みに満ちている。


「ひとつめはこれ、S駅から徒歩七分、1LDK」

 私は間取りを映したスマートフォンを逆さまにして、ミライに手渡す。


「寝室一つだから、ベッド二つは置けないよね……」

 探るように上目遣いを向けるミライは、口元も相まって、さしずめこれから始まる親友との新生活に胸を弾ませているといったところか。


「私は今まで通りリビングに布団敷いて寝てもいいんだけど、一つのベッドで一緒に寝るのは窮屈でイヤ?」


「ウ、ウチは全然いいんだけど、アカネの方が、いや、えっとウチは気にしないし、い、いや気にするかも……」

 後半は尻すぼみで、しどろもどろ、ほとんど聞き取れなかったが、今の狼狽えっぷりは愉快だ。


 学校で、ミライににべもなく断られた腹いせに、ミライを能面女とかロボットとか揶揄する男や女が、この様相を見たら顎が外れるんじゃないか。


 むろん、これは私のもの。誰にも見せやしない。ミライも心得ているのか、キャンパスでは一定の距離を保っている。


「ふたつめなんだけど、一応こっちが本命。2DK、F駅から徒歩十分、私としてはバイト先も実家も近いし、都合がいいんだけど、家賃はさっきより少し高いの」

「1LDKと2DKって、どう違うの?」

「ん、いまいち分からないんだけど、寝室を二つ用意出来るか出来ないかじゃない?一応、こっちの方が広いらしいよ」

 私はスマートフォンを操作し、逆さまにしてミライに見せ、ミライも疑問点を指差して画面を逆さまにして私に見せる。

 テーブル越しのやり取りに面倒くさくなった私は、席を立ってまたミライの隣の席に座った。

 それからスムーズに説明をしていった。


「それで、三択って言ってたけど……」

 まだ少し火照った頬だが、幾分か平静になったようで、形の良い膝も白く落ち着いていた。


「それは……このまま私がミライの部屋に居着く、ことだけど、1LDKとはいえ、一人暮らし向けだし、収納スペースが足りないって言ってたじゃん」


 ミライの住むアパートは学校から近くて便利なこともあり、私は実家に帰らずに、ミライの部屋で寝泊まりする頻度が高まっていた。

 ルームシェアの提案は私から持ち掛けたのだ。


「じゃあ二択だね……ウチはF駅近のほう、でいいかな」

「ほんと?じゃあ決まりだね、でも今の部屋より学校遠くなるから、私の都合ばっかりで申し訳ないというか」


「そんなことない、アカネがいなくても、ウチ、そのうち収納広いところに引っ越してたと思うし、その……アカネと一緒にいたいのはウチの都合だし……」

 また、途中からごにょごにょと濁す物言いだったが、一呼吸し、

「ウチ、アカネと一緒にいたいだけだから。」




 素直に、はっきりと言われた。

 その時、ミライの大きな瞳にはカラーコンタクトと切実さが同居していた。

 真一文字に引き締まった滑らかな唇も、私の心を乱すには十分なエネルギーを宿していた。


 ミライがこんなに純粋に、好意を言葉の明確な輪郭に落とし込んで、ぶつけてくるなんて、初めてで、油断していたと認めざるを得ない。

 きっと上気し始めただろう自分の頬を、ミライに見せないように、そっぽを向いてファミレスの店内を見渡した。例の斜め前の席は、もう客が入れ替わっていた。

 暴れ出した心臓を宥めるように、冷たいメロンソーダを飲む。

 隣に座り直して正解だった。テーブルの向かい側だと、挙動不審は誤魔化しきれなかっただろう。

 しかし、こんなことで主導権を奪われてなるものか。

「話は終わりだね、善は急げ、行こっか」


 私は右手に伝票、左手はミライの右手を握って、席を立った。


 会計を済ませ、ふたりは店を出た。


 私は、主導権を主張するように、ミライと自分の指を絡めて強く握りなおした。


 アカネに、人目を気にする余裕は、もはや残っていなかった。



 *


 引っ越し初日の土曜日、私たちはひとまずベッドを組み立てに掛かった。

 東向きのバルコニーに寝室が二つ並んで接していて、互いの部屋に窓からお邪魔することも出来る。


 F駅近の九階建て賃貸は、築浅ではないが全体的に小綺麗に整っていて、共用外廊下の排水溝まで清掃が行き届いていた。

 


 ミライは転居前に使っていた安物のパイプベッドを向こうで処分して、おしゃれな木目調の宮付きベッドに買い替え、それを私たちは汗だくで組み立てていた。

 蝉もとうに鳴り止み、冷房を使わなくなってきたとはいえ、重いものを持ち上げたり下げたりすると、身体に熱がこもる。


 休憩がてら、ミライの段ボールからカーテンを引っ張り出し、窓上部のレールに装着していたら、日が暮れたことに気付いた。



 鱗雲と夕焼けの空は、鮭の婚姻色を思わせる。


「もうこんな時間」


「おなか空いた……」

 歯を食いしばってドライバーを回すミライの姿を見て、「私の手中にある」という実感がふつふつと心の水面に浮かぶようだった。


「お弁当でも買ってくるね」

 本当は手の込んだ料理がしたかったが、引っ越し初日なので諦めた。焦らなくてもいい、一週間くらい経って落ち着いてからすればいい。

 自分に言い聞かせながら、サンダルを引っ掛けた。


「ウチ、チキン南蛮が食べたい」

 表情筋を弛めきった満面の笑み、そして、

「いってらっしゃい」

 素顔のミライの、目許の笑い皺。

 今日から完全に独り占め。

 

 いってらっしゃいなんて、ただの挨拶のはずなのに、全身が不自然に脈打ち始めた。

 生きたまま解剖されて、内側からくすぐられている気がして身震いしてしまった。

 それでいて、妙に納得したような確かな手応えが奥底に横たわっていた。


 一万ピースのジグソーパズルの最後の一つが嵌まったときの感慨と、パズルをひっくり返したようにバラバラな自分の感情。

 もしや、私の心臓はミライの手中にあるのか。

 許さない……許す……?

 認めない……認める……?

 かき乱された私は、視線だけで返事するので精いっぱいだった。


 負け越しは認められない。

 これから同居するのだから、挨拶する機会は何度もある。

 次こそは、ミライの凛とした面立ちを、二度と凛々しさなんて作れないほどふにゃふにゃに溶かしてやる。挨拶しても返事出来ないほどに奪ってやる。

 勝手に私のモノを盗んだ罪。



「チキン南蛮と海苔弁当のお客様」

 店員の声に少し驚いて顔を上げた。いや、実際は頭の角度は変わっていなかった。ひとり思考の沼に沈んでいたのを急に引っ張り出されて、視界が開けた、そういったほうが正確だ。

 いつのまにか、買い物を終えて玄関前にいた。


 ミライには、どんな罰を与えてやろうか。


 それにしても、自分の琴線とやらに疑問が生じた。

 なぜ私は挨拶くらいで動揺してしまったのか。

 自分がまだ知らない自分が、本当に欲しかったものをもらってしまった衝撃か。


 あの「確かな手応え」は、雨の日や雪の日に、部屋に籠もって、ふたりで一枚の毛布に包まれて、ベッドに横たわるときの背中の感触に近い、あたたかさだった。





「ただいま」

 玄関扉を開ける前に深呼吸したから、きっと落ち着いた声音が喉からでたはずだ。


「おかえり!」

 帰るなり、ミライは私に頬擦りする。洗い立ての髪の、シャンプーの花の香りが鼻腔をくすぐる。

 まるで、新婚の女だ……例えを間違えて、私の脳内は大騒ぎを始めた。

 ミライに尻尾がついていたら、ぶんぶん振り回していただろう。

 思考を修正した私は、弁当をミライに渡して、頭を冷やすべく洗面所に駆け込み、冷たい水で顔を洗った。

 私は自分のペースを乱されるのは嫌いだ。

 ミライは私のペースを乱す。

 乱されないための対策が必要か、厄介で面倒くさい女。



 ふたりとも弁当を一瞬で平らげた。


「ウチ、さっきシャワー浴びたんだ、浴室がきれいで良い物件だね、なんだか……」


『正解な気がする』

 ふたりの言葉がぴったりと重なったが、偶然ではない。ふたりの無意識の、心の奥底の手の届かない何かが、接続した瞬間だった。


 幸福の揺りかごでまどろむように、ふたりはくすぐったい笑顔を交換した。



 ミライの、高校のときのダサいジャージの部屋着姿は、私は見慣れたものだ。

 前のアパートでミライが他の友だちも呼んでお泊まり会を開催したとき、ミライは干していたジャージを取り込んでタンスの奥底に閉まったことを、私は思い出した。

 他の友だちには隠すダサいジャージ姿。

 

 上機嫌でシャワーを浴びてさっぱりしたら、一つ思い付いた。

 自室のダンボール箱から、自分のジャージを引っ張り出して、着る。


 戻って、ミライに見せる。


「え!アカネも高校のジャージ着るの?!まだ捨ててなかったんだ」

 ミライは、私がなすことすることには倍くらいの熱量をもって反応を返すが、他の人間にはゼロを返す女。

 一生浸っていたいこの感情は、優越感なのだろうか。

「修学旅行みたいでしょ」


「ふふ、そうだね、結局中止になっちゃったし……アカネと行きたかった」

 令和の疫病のてんやわんやで、目処が立たなかったのだ。


「こんど、冬休みに温泉旅行しようよ」

 ドライヤーを持ったミライに髪を任せながら、私は軽い思い付きを連鎖させる。


「うん、ふたりきりのほうが楽しいよね……」

 眠そうな声のミライは、私の背中に寄りかかるように、頭を私の首筋に近付けた。

「ウチと、おんなじ、におい……」


 そういえば私はミライが使った後の、同じシャンプーで洗った。

 それにミライは自分の普段使いのトリートメントオイルで、私の髪の手入れをしてくれたようだ。

 私の普段使うものより馴染んでいる気がした。


 私は頬が緩むのがバレないように、化粧水でぱちぱちと叩いた。




 洗面所で並んで歯を磨いたふたりは、スキンケアも済んで、寝るだけだが、今日一日でベッドは一つしか組み上がらなかった。

 どこでも寝られるアカネは、自分の寝具のことを後回しにしていたから、素の床に転がるつもりだった。


 しかし、ミライはアカネのジャージの袖を引っ張り、自室に連れて行った。


 私の訝しげな視線に、ミライは、

「ま、枕投げ、したいだけ」と目を逸らした。


 しかし、ミライは社交辞令のように軽く、私に一回ぶつけただけでやめてしまった。

 

「……」

「……」

 ベッドに並んで腰掛けたふたりは、喉で引っ掛かって言葉が出ないようで、そのむずむずを逃がすように、脚をぱたぱた揺らした。

 私が立ち上がろうとすると、ミライは素早く袖を摘まんで、阻止した。


「なに」

「……」

 ミライは俯いて黙っているが、私が表情を覗き込もうと身を寄せると、ぷいと顔を隠すように逃げる。

 

 おかしな空気感になってしまったが、眠そうで、気の利いた言葉は浮かばないようで、取り繕うことを早々に放棄したミライは、私の袖を摘まんで離さずに、背を向けて掛け布団の中に隠れた。


 私も寝てしまいたいが、その前にミライの顔を確かめたい。

 花の蜜に誘われる蜂のように、私はミライの側へ寄る。自ら、あからさまな術中に嵌まりに行ったことに気付かずに。

 私が掛け布団の中に入って、しばらく目の前の栗色のセミロングの香りを楽しんでいたら、ミライは急に半回転して、顔を合わせた。

 発熱して桃色に染まった頬。

 嬉しさと気恥ずかしさと、決意と躊躇いを混ぜ合わせて作ったリップを、塗ってふやけた唇。

 奥底でマグマが煮えたぎって今にも溢れ出しそうな、激しい感情を凝縮して輝く瞳。


「アカネ……!す、すうっ!す!……けほ、けほ」


 咳き込み始めたミライを抱き寄せて、落ち着くまで背中をさすってやる。

 面倒だが、今のはいい表情だ。


 私は目を閉じて、キャンパスで待ち伏せてワンチャンスを狙う粘っこい目の男や、コバンザメのように取り巻いて実利を得ようとする女などを冷たくあしらうミライの外用澄まし顔の仮面を思い浮かべた。


 目を開けて、またミライの顔を直視した。この落差で私は何キロワットもエネルギーを得る。

 すごく、気分が良い。背中側の内臓の奥底で、ことこと煮込むような快感なのだ。


 私の発電方法は、持続可能な未来(ミライ)のようだ。


 電気代として、私の心はくれてやってもいい。

 

 私は、ミライの頬を撫で、くすぐったそうに目を閉じる彼女の目元を手で覆ってから、頬に唇で触れ、また誤魔化すように頬を撫でた。


 いや、もう自分を誤魔化せない。


 本当は分かっていた。

 見て見ぬふりをしていただけだと。


 感染症が蔓延っていても、『あ~ん』を拒まなかったのは、繋がりたかったからだ。共鳴したかったからだ。(言い訳がましいが、出来るだけ対策していることを補足しておく)

 世界中の恋人同士たちが、キスを自粛出来ないように、つまり、私たちはお互いに親友どころではなかったのだ。


 変な場所で変な方に向いていた、私のこの独占欲があるべき位置におさまった気がするのは、ミライの覚悟に感化されたからだろう。


 私は腹を括った。


 その言葉は、私から伝える。



**


ヘアオイル おんなじ香り 君の髪

寝ぐせもウチが なおしてあげる





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