96
「部長! 青山部長!」
秘書の斎藤が和也に声をかけ続けていた。
「…あぁ…ごめん。」
和也はあれ以来、心ここにあらずだ。
朋美との離婚が決まり、そして絵梨が自分の子を身ごもっている事を聞かされた。
―絵梨…いったいどこにいるんだ…。
和也は気づくと絵梨の事ばかり考えている。
「体調悪いんですか? 今日、例の新規開発事業の件で視察が入ってますけど…大丈夫ですか?」
斎藤は心配そうに言った。
「あぁ…問題ない。」
和也はそう言うと、カバンを持って斎藤と一緒に部屋を出た。
「今日はムーンフロント社のCEOも、自らお見えになるそうです。」
斎藤は言った。
「そうなの? 確かアメリカ在住じゃなかったっけ?」
和也は聞いた。
「日本進出を本格的に仕掛ける為、少し前に日本に戻られたそうです。」
「そうか…。」
和也は別に気にせず聞いていた。
「手始めにアメリカ全土でチェーン展開しているムーンフロントカフェの第一号店をきさらぎガーデンヒルズ駅に出店して、その後、関東全域…さらに…」
「…きさらぎ? 俺の住んでる街だよ!」
「あぁ、そうでしたね。部長、引っ越しされたんですよね。」
―ムーンフロントカフェ…。
和也はふと思いを巡らせた。
「そして再開発エリアの目玉となっているムーンフロントインターナショナルホテルズの日本初進出…これは話題になりそうですね。」
―ムーンフロントインターナショナルホテルズ…
和也の心に何か引っかかるものがあった。
和也と斎藤はヘルメットを被り、現地の視察に訪れた。
現場には関係各社の人間がたくさん集まっていた。
和也は人だかりの中によく知っている顔を見つけた。
―アイツ…。
横田だった。
―何でアイツがこんな所にいるんだ…。
横田はたくさんの人に囲まれ話をしていた。
和也がずっとその様子を見ていると、視線に気付いたのか、横田も和也がいるのに気付いた。
横田は和也に会釈すると近づいてきた。
その様子を横で見ていた斎藤が和也の耳元で囁いた。
「部長! ムーンフロント社のCEOとお知り合いなんですか?」
「え?」
和也は驚いた顔で斎藤の顔を振り返って見た。
「CEOの横田旬じゃないですか? もしかして知らなかったんですか? なのにどうして顔見知りなんです?」
斎藤は頭を傾げた。
「どうも。研修中の横田です。」
横田はニヤっと笑って和也に手を差し出した。
「…ったくほんとに悪趣味だな…。」
和也は横田に言った。
二人は群衆から離れたところに行き、工事関係者用の椅子に座った。
「あなたが勝手に勘違いしてたんでしょ?」
横田は言った。
「だから最初から強気な態度だったんだ…。」
和也は言った。
そしてフッと笑った。
笑い出すと止まらなくなった。
横田は何も言わずに遠くを見ていた。
「ムーンフロント社のCEOだったら…そりゃ朋美もなびくわ…。」
そう言う和也を横田はジッと見た。
「あんたは全く分かってないね…。彼女はそんな事でなびくような簡単な女じゃないだろ。朋美さんが俺の正体を知ったのはつい最近だし、それに正体が分かったからと言って、俺になびいたりしてないよ…。」
横田は忌々しそうに和也を見た。
「…確かに…朋美はそうだよな…。」
和也はまたフッと笑った。
「…俺…朋美と離婚する事になったよ…。」
「…そっか…」
横田は素っ気なく言った。
「朋美の事…頼む…」
和也は横田に向かって頭を下げた。
「言われなくてもそのつもりだよ。」
横田はフッと笑って和也の腕を拳でポンと叩いた。
和也も横田を見て微笑んだ。




