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和也はたまたま友人と飲みに来ていた。
絵梨がいなくなった淋しさを酒で紛らわせようと思ったが、いくら飲んでも酔えない自分に苛立っていた。
奥の席で飲んでいると、知っている顔が入ってきた。
―朋美? そしてあれは…あのカフェのバイトじゃないか…。
二人はカウンターに並んで座った。
和也が同じバーにいる事に気が付かなかったようだ。
同僚といるため、和也は朋美たちをずっと見ている訳にはいかなかったが、それでもチラチラと二人の様子を観察した。
―あの男…バイトの分際の癖にこんな高いバーで酒でも飲んで、いい気なもんだな…。いやまてよ…バイトにそんな金あるはずが無い…どうせ朋美が払うんだろう…。同じ男として呆れるよ…。
横田と朋美は楽しそうに会話をしている。朋美はたまに、腹を抱えて笑っていた。
―朋美のヤツ…俺にはあんな笑顔、めったに見せないくせに…。
和也の苛立ちは増してきた。
「おい、青山! 聞いてんのかよ?」
上の空の和也に同僚はあきれ顔で言った。
「あぁ…ごめん…何だったっけ?」
和也はまた同僚の話に耳を傾けた。
しかし全然頭に入ってこない。
そしてまた二人の方を見た。
その時見た光景に、和也の体の血液が一瞬で頭に登ったかの如く、カーっと熱くなった。
朋美は泣いていて、その朋美を横田は抱き寄せていた。
和也は立ち上がり二人の元へ近寄ると、いきなり横田の腕を引っ張り上げた。
「おい、きさま! 何してるんだ!」
和也は横田を怒鳴り上げた。
すぐに店のスタッフが駆け寄り、仲裁に入ろうとした。
横田は和也の目をジッと睨んだ。
和也も横田を睨み返した。
「外に出ましょう。こんなところで迷惑だ。」
横田は眠り込んでしまった朋美をそっとカウンターにもたれかけさせて、マスターに目配せした。
マスターは横田に優しく微笑み、コクンと頷いた。
―迷惑だって? ハァ? おまえ如きが何を言ってるんだ! 迷惑なのはお前の方だろ!
和也は怒りで震えた。
しかし、店に迷惑をかけるわけにはいかない。
同僚に先に帰ると告げると、横田と共に外へ出た。
横田はホテルの裏の路地へ和也を連れて行った。
和也は人目が無い事を確認すると、いきなり横田の胸ぐらを掴んだ。
「人の妻を誘惑して、どうなるか分かってるんだろうな?」
和也は凄んだ。
横田は死んだような目で和也を睨み、掴まれている和也の手首を握りしめて捻り上げた。
ウッ
和也は苦痛に顔を歪めた。
「ハッキリ言います。朋美さんと別れてください!」
横田は表情を変えずに冷たく言った。
「あぁ? 何言ってんだ? おまえ、自分の言ってる事、分かってんのか? 朋美は俺の妻だぞ! 俺はさっき、おまえと朋美の不倫の現場を目撃したんだ! 慰謝料請求してやろうか?」
和也は吐き捨てるように言った。
「あなたじゃ朋美さんを幸せに出来ない!」
横田は言った。
「は? じゃあ、おまえなら朋美を幸せに出来んのか? そもそもバイトのおまえに朋美を養っていける訳ないだろ! てか…朋美に食わしてもらおうってか? ひもになろうって魂胆ですか? なっさけねーよなあ!」
頭に血が上った和也は暴言を吐き散らした。
「俺…知ってますよ。あんたと絵梨さんの事。」
横田の言葉に和也は真っ青になった。
「おまえ…その事…朋美に…」
「俺からは言ってないよ。だけど、もう知ってるんじゃないの?」
和也は黙り込んだ。頭の中をいろんな考えが飛び交っているようだった。
「さっき、慰謝料がどうとか言ってたけど…きっと相殺になるだろうね…。」
横田はそう言って和也を睨んだ。
「青山さんさぁ、さっきから俺の事バイトだの何だの言ってさんざん見下してるけど、あんただって人間としてどうなのよ?」
「もしかしておまえ、絵梨の居場所…知ってるのか?」
和也は横田に言った。
「知らないね。俺が知る訳ないだろ…。」
横田の返答に和也はガックリと肩を落とした。
「あんたさ、この期に及んで絵梨さんの事しか考えて無いの? ほんと呆れるわ! どれだけ自分が恵まれているかに気付いていないなんて。あんな素敵な人を妻に出来たっていうのに…。まぁいいさ、これで俺も気兼ねなく朋美さんに向かって行けるからね…。」
「朋美は俺の妻だ!」
和也は叫んだ。
「今はね…。でも、この先は…どうだろう…。」
横田はフッと笑ってその場を去った。
和也は拳を握りしめてその場に立ち尽くした。




