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絵梨はその日、打合せが長引いて帰りが遅くなった。
きさらぎガーデンヒルズ駅の構内にあるスーパーで簡単に食べられるお惣菜をいくつか買って自宅のマンションへ向かった。
家の中に入ると、一日の疲れがドッと出てきた。足もむくんでいる。
絵梨は風呂のスイッチを押すと、入浴剤を取りに洗面台へ向かった。
絵梨はドイツ製のユーカリのバスソルトの瓶を手に取った。
湯船にバスソルトを入れると、スーッとした爽快な香りに包まれた。
そして湯船に浸かると疲れがスーッと流れ出すような感覚がした。
リラックスすると、仕事中にあった嫌な事も忘れられる。
いい気分で癒されていると、ふとこの間の同窓会を思い出した。
皆の顔が目に浮かんで来た。
楽しい思い出に浸っていると、いつの間にかストレスは消え去っていた。
―みんなと旅行でも行きたいな…。
独り身の自分はいいとしても、皆は家庭持ちだから難しいだろう…と、ふと浮かんだアイデアをすぐに打ち消した。
風呂から上がり、頭にタオルを巻いてバスローブを羽織った。
その時、奥からドスっと音がした。
絵梨は不審に思い、敢えて電気は付けず、音がしたリビングの方へ行った。
別に異常は無かった。ホっと安心したのもつかの間、閉められたカーテン越しに誰かの気配がした。
中の様子を伺うような人の影も見えた。
―キャァァァァ
絵梨は声を押し殺して心の中で悲鳴を上げた。
―誰かいる! もしかして…この間のあの男?
絵梨の体は震えた。
―ス…スマホ…
絵梨は腰が抜けそうになって床にへたりこんだ。そのまま這ってバッグの中からスマホを手に取った。
―だ…誰か…助けを呼ばなくちゃ…
電話をかけようとすると、手が震えてスマホを何度も落とした。
ベランダにいる何者かは窓を動かそうとしているようだった。
“もし…何かあったら…連絡してくれる? いつでもいいから! 駆け付けるから! ”
和也の顔が浮かんだ。
絵梨はスマホの画面から連絡先を開くと、ちょうど一番上に「青山和也」の名前があった。
絵梨は無我夢中でそれを押した。
和也はすぐに電話に出てくれた。
「もしもし…。」
「…あ…あの…あ…」
「どちら様ですか?」
「…う…うぅ…あの…」
あまりの恐怖に絵梨は声を出すことが出来なかった。
和也はイタズラ電話かと思った。
しかしその時、絵梨の顔が浮かんだ。
「もしかして…絵梨さん?」
「…あ…あぁ…」
「何かあった? もしかして…。」
和也は緊急事態だと直感した。
ベランダの男は絵梨の声が聞こえたようで
「絵梨さん! そこにいるんだ! ねぇ、ここ開けてよ!」
と声をかけた。
和也は受話器越しにその声を聞いた。
「…あの男か? 今、自宅?」
「…ああ…あ…」
絵梨は話そうとするが声にならない。涙がポロポロ滴り落ちる。
「俺、今ちょうど駅だから。すぐ行くから、このまま電話切らないで!」
和也はちょうどきさらぎガーデンヒルズ駅に降り立ったところだった。
そのまま走って絵梨のマンションへ向かった。




