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仕事が終わり、沙也加は江原さんと駅の近くの居酒屋にいた。
「今日、大丈夫だったの~? 息子さんやご主人は~?」
江原さんは一応聞いてきた。
「…大丈夫じゃなくても拉致してたでしょ?」
沙也加は江原さんをジロリと見た。
「アッハッハ…。ま、とりあえずかんぱぁ~い!」
江原さんは誤魔化すようにちょうど運ばれてきたビールジョッキを持ち上げた。
「…で? また何かあったんスか?」
沙也加は突き出しに出された枝豆をつまんだ。
「…実はさ、うちの旦那…やっぱり浮気してるみたいなんだ…。」
江原さんの表情が急に暗くなった。
「…ほとぼり冷めるまでそっとしとくのが一番じゃないんスか? 別れるつもりはないんでしょ?」
「…ったく高橋さんたら他人事だと思って!」
「ヘタにつついてバトルになっても怖そうだし…」
「…そうなのよね…。あの人頭に血が上ると手が出るから…。高橋さんところは大丈夫なの?」
「うちですか? あいつに浮気する甲斐性なんて無いですよ!」
沙也加は笑った。
「そう? でも…気を付けた方が良いわよ! 男ってね…中年になると急に焦りだすものなのよ。最後にひと花咲かせたいって…誰しも思うらしいわ…。実際、うちの旦那みたいに行動に移す男ばっかじゃないだろうけど…。」
江原さんはチビチビと白和えをつまんだ。
「あ~私に経済力があればな~。あんな旦那、こっちからとっとと見切り付けてやるのに!」
江原さんは溜息をつきながら言った。
「それ! 私もね~、もし昔に戻れるなら…もっと将来やりたい仕事につけるように努力したかったわ…」
沙也加の脳裏には朋美の顔が浮かんだ。
40間近だというのに若々しくハイセンスで、好きな仕事をしてイキイキしていた。
「…悔しい。」
沙也加は思わず呟いた。
「えっ? 何が?」
江原さんが聞いた。
「いえ…こっちの事です…。」
沙也加は誤魔化した。
沙也加は一杯だけ付き合うと、江原さんと別れて電車に乗った。
帰宅時間だけあって、電車は込んでいた。
沙也加はつり革につかまってボーっと外を眺めた。少しだけ酔いが回っていい気分だった。
電車はきさらぎガーデンヒルズ駅に到着しようとしていた。
―ここ…朋美の住んでいる街だわ…。いかにもセレブって感じよね…。私の住む弥生が丘とは二駅しか違わないのに差が酷い…。
沙也加はウンザリした。
中学からだったが、一緒の学校に通っていた。
同じグループで毎日顔を合わし、昼休みには机をくっつけて一緒にお弁当を食べていた。
昔は私だって朋美に引けを取らなかった。
いったいどこで私は選択を間違えてしまったのだろう…?
電車はきさらぎガーデンヒルズ駅を発車した。
「ただいま。」
沙也加がマンションに戻るとまだ輝也は帰っていなかった。純は塾へ行っている。おやつ用にお金も渡してある。
―こんなことなら、もう少し江原さんに付き合えばよかった…。
沙也加はカバンをテーブルの上に置くと、リビングのソファに寝転んだ。
キッチンの流しには今朝時間が無くて片付けられなかった食器がそのままの状態で山積みになっていた。
ベランダには朝急いで干した洗濯物がヒラヒラと揺れながら、取り込まれるのを今か今かと待っている。
窓の側に置きっぱなしの洗濯籠には昨日取り込んだ洗濯物が畳まれずに山盛りで放置されていた。
ハァ…。
沙也加は大きな溜息をついた。
目の前のサイドテーブルの上には、夕べ眉のムダ毛を抜いた時に使った手鏡が毛抜きと共に置きっぱなしになっていた。
沙也加は手鏡を取って自分の顔を見た。
―何でこうなったんだろ…。
昔は可愛いと評判だった。
学校帰りに他校の男子生徒から声を掛けられた事は何度もある。
夫の輝也も沙也加の可愛さに一目惚れして結婚に至ったくらいだ。
それが今では独身時代より10キロは太ってしまった。
二の腕と下半身に贅肉がたっぷりついている。
断乳後、しばらくしたら胸は萎んでぺったんこになった。
下腹の肉を吸引して胸に入れてしまいたい!
沙也加は美容整形外科のチラシを目にする度、本気で考えたこともあった。
しかしここ数年、服のサイズが大きくなるにつれて自分の容姿がどうでもよくなってきて、どうせ夜落とさなきゃならないのに…と、化粧すらも面倒になってきた。
一人息子の純も年々生意気になってくるし、夫に対しての愛情など、もはや存在しないと言っても過言ではない…。
はっきり言って、単なる同居人だ。
いや、同居人なら面倒見なくて済むからまだマシだ。
アイツは純より手のかかる年食った子供だ!




