29
「こちらに…」
ユナ先生は教室の中に浩太を招き入れた。そして教室の奥の控室へ入った。
そこは6畳ほどの小さな部屋で、棚とロッカーがあり、窓際に簡単なソファセットが置いてあった。
―密室…。
浩太の心臓はますます高鳴っていった。
ユナ先生は部屋の端に置いてある小さな冷蔵庫を開けた。
前かがみに冷蔵庫の中を覗いている先生の形のいいお尻が、ソファに座っている浩太からちょうど正面に見えて、思わず目が釘付けになった。
「お茶でいいですか?」
ユナが振り返って聞いた。浩太はすぐさま顔を逸らした。
「あぁ…お気遣い無く…。」
ユナ先生はペットボトルを浩太の前に置いた。
浩太は緊張で喉がカラカラだったので、そのお茶を一気に飲んだ。
そしてユナ先生に目をやると、先生は浩太をジッと見て微笑んでいた。
浩太の脳裏にバーでの一件がフラッシュバックした。そして今、目の前のユナ先生のポッテリとした唇が嫌でも目に飛び込んでくる。
浩太は煮えたぎった頭を冷やす為、さらにお茶を飲んだ。
―僕に話って…いったい何なのだろう…。
浩太は超高速回転でいろんな思索を巡らせた。
―もしかして…もしかするとだよ…先生も僕に対して…
淡い期待が駆け巡る
―いやいやいや…こんな可愛い子が、何が悲しくて僕みたいなおじさんを…。有り得ない!有り得るはずない!
浩太はいつものように自分を傷つけない予防線を張った。
―でもわざわざ二人っきりで密室で話すって事は…やっぱりそうだよな…。いくら酔ってるとは言え、好きでもない相手とキスなんかしないだろ!
目を瞑るとユナの顔が迫ってきた。ゆっくり目を瞑り、ポッテリした唇を目の前に突き付けてくる。
そして何故かユナは素っ裸になっていた。
―いかん、いかん、いかん、いかん! なんて妄想してるんだ俺は! 俺には妻子がいる! 家族を裏切る訳にはいかないんだ!
「あの…この間…一緒にバーで…」
ユナが切り出すと、浩太の頭をショートしてパニック状態になった。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
浩太からキスした訳でも無いのに、自分でもよく分からないけど、何故か浩太は必死に謝っていた。
「あの…何でパパさん謝られてるんですか?」
ユナは困ったように言った。
「い…いや…何でって…」
浩太は予想に反したことを言われて訳が分からなくなった。
「私…お酒飲みすぎたみたいで…パパさんとバーに入ったとこまでは覚えているんですけど、その後の事、全く覚えて無くて…でもその…何故か私…パパさんと…そのキスした記憶が…」
―え?
「キスしてんですかね…私たち? あの時は彼にフラれそうで…その…気が動転していてあろうことか勢いでキスまでしちゃうなんて…ついパパさんに頼ったりしちゃって…その…すみませんでした…。本当にすみませんでした! あの事は無かったことにして下さい!」
―無かった…事?
「あ! パパだ!」
リクとルイが浩太を見つけると嬉しそうに振り向いて手を振った。
「パパー! ルイったらね! 自分だけ二つも食べたんだよ!」
リクがルイのハンバーガーを指さして文句を言った。
浩太は冷めた顔で財布を取り出すと、中から千円札を取り出して無言でリクに渡した。
「わーい!」
リクは嬉しそうにお金を受け取ると、ルイにアッカンベーをしてレジへ行った。
浩太は放心状態で椅子に座った。
「パパ~、パパは食べないの?」
ルイが聞いた。
「あぁ…俺はいい…。」
浩太はそっけない返事をした。
新たなハンバーグとアップルパイをトレイに乗せてリクは戻ってきた。
それを見たルイはまたリクと喧嘩になり、浩太に自分も買ってきていいかと聞いてきた。
浩太の耳には子供たちの声は全く入ってきていなかったが、ただうんうんと頷いた。
―ユナ先生にとっては…あのキスは無かった事に出来るくらい…些細な出来事だったんだ…。
目を閉じたユナがまたフラッシュバックする。
―あの…キスは…。
唇を重ねた感触が蘇ってきた。浩太にとってはまだ生々しい出来事だった。
―忘れよう…。初めから無かった事として…。もし仮に彼女が好意を持っていてくれたとしても、どうせ自分にはどうする事も出来ないんだし…。
ハァ~
浩太は深く溜息をついた。




