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納豆色の空の下で

 まだ昼前の、太陽の勢いがまぶしいよく晴れた空の下、蒼乃は高校の制服を着たまま、公園のベンチに一人沈むように座っていた。本来ならみんな高校へ行っている平日の真昼間に、こんなところにいる罪悪感に苛まれながら、蒼乃は何をするでもなく、ただ、そこに座っていた。

 空は恐ろしいほどに晴れ渡り、本当に純粋な青がそこに広がっていた。しかし、最高に気分の良いはずのそんな陽気の下、一人、蒼乃は顔を曇らせていた。きれいに晴れた真っ青な空に、どこまでも伸びる納豆の糸がねばねばと無数に張り付いて、その細い線が空を覆っていくみたいに、蒼乃の心は憂鬱にからめとられ、縛られていた。

 何もかもが憂鬱で、無気力だった。これが永遠に続くような気がして、堪らない絶望感が蒼乃の胸の中をじわじわと支配する。

 家にも学校にも、西にも東にも北にも南にも、地底にも空にも、天国にすらも、どこにも自分の希望がないような気がした。

 それでも、いつも来るこの公園は、蒼乃の心に関係なく、いつもと変わらぬ、淡々と穏やかな時間が流れていた。図書館や運動場が併設された大きな複合施設の一部としてのこの公園は、都市部の異様な人口密度に穴を空けるように、広い敷地面積にゆったりとした緑の空間を開けていた。それに加え、平日の昼前ということもあり、人もまばらで普段以上にのんびりとした空気が漂う。

 いつもなら、蒼乃は朝から図書館に行って、様々な本を読み漁るのだが、今日はなんだかそんな気分ではなかった。だから蒼乃は隣りの公園の方に来て、一人何をするでもなくベンチにたたずみ、公園に来る人々をなんとなし眺めていた。    

 公園に来る人たちはみな、何の悩みもなさそうに、天気の良いこの陽気のように、晴れやかでのんびりとした表情で散歩している。そんな姿を眺めていると、自分一人だけが世界でただ一人、悩み苦しんでいるように思えて、蒼乃はまた堪らなく暗い気持ちになった。ベンチ前で呑気にひょこひょこ歩いているドバトでさえ、なんだか幸せそうに見えて落ち込んだ。

 その時、ふいに誰かが蒼乃の隣りに座った。他にもベンチはあちこちにあるのに、なぜわざわざ自分の隣りに座るのか蒼乃は不思議に思い、何げなく隣りを見た。

「!」

 そこには蒼乃と同い年位の、背格好も同じくらいのまん丸い縁のサングラスをかけた小柄な女の子が座っていた。しかし、その少女のいで立ちに、というかその容姿に蒼乃は目を丸くした。

 少女は、底のかなり分厚い厚底サンダルに、様々に傷のついた超ミニのデニムのスカート、少しヘソの出た原色に彩られたサイケデリックな柄のピタTを着て、その上からサスペンダーを胸の膨らみに沿わせてかけていた。それはド派手というか異質な派手さだった。

 だが、一つ一つのパーツが個性的であり過ぎて、その組み合わせのアンバランスさがかえって、何かの芯に沿って微妙な調和を生み出し、それがその少女の中でなぜかまとまり、色彩の秩序が成り立っていた。

「・・・」

 蒼乃は、その格好の派手さと奇抜さにも驚いたが、しかし、一番目を引いたのが、形の良い丸い顔の真ん中のそのまた小さなかわいい鼻にかけられた、縁のまん丸いサングラスの上の、その少女の丸い顔に沿うように切り揃えられた寸分の濁りもなく真っ白な丸いショートボブのその髪だった。きれいな艶のあるその白髪は透けて見えそうなほどの透明感があり、そして輝いていた。こんな美しい白い髪を蒼乃はいままで見たことがなかった。まるでファンタジーの世界にある幻の美しい宝石をそのまま一本一本細い糸にしたみたいだった。

「あなた、殴られたの」

 少女は、前を向いたまま蒼乃を見ることもなくふいに口を開いた。少女の左耳につけた銀色のカフスがその時光った。その上と下にはさらにいくつかのピアスがついている。

「えっ?」

 蒼乃は、最初少女が自分に話しかけたことに気づかなかった。蒼乃は催眠術にかけられたみたいに、少女のその美しい真っ白な髪に魅入られてしまっていた。

「こ、これは」

 蒼乃は慌てて隠すように少し腫れた右頬を手で覆った。

 少女は、さっきからくちゃくちゃと噛んでいた風船ガムを、顔の前でプクーっと膨らませた。それは見事にどんどん大きくなり、その少女の小さな顔位の大きさになった。

 そして、膨らみす過ぎた風船は、しばらくその形をとどめた後、当然のごとく割れて少女の顔全体にへばりつくようにくっついた。

「・・・」

 蒼乃は、しかし、それでも微動だにしないそんな少女の横顔を、戸惑い気味に黙って見つめた。

 すると少女は、口から何かそんな別の生き物のような舌をにょきっと出すと、神業のごとき舌さばきで、あっという間にきれいに顔にへばりついたガムをはぎ落し、その舌先でまとめると、それはまた口の中に何事もなかったみたいに戻っていった。

「まっ、別にいいけど」

 少女は再びクチャクチャとガムを噛み始めると、無表情に再びガム風船をその顔程に膨らませた。

「あたしもよく殴られたわ」

 少女はやはり前を向いたまま呟くように言った。

「・・・」

 蒼乃は、困惑しながら少女を見つめた。この子は一体なんなんだろう?全く掴みどころがなく、脈略もない。蒼乃は戸惑うばかりだった。

「ねえ、後ろのベンチに男が座ってる?」

 その時、また少女が突然口を開いた。

「えっ?」

 蒼乃は突然そう言われ、後ろを振り返った。見ると、生け垣を挟んだ向こう側のベンチにサラリーマンと思われる、痩せぎすのほっそりとしたスーツ姿の男が一人座っていた。年は四十代後半くらい、いや若く見えるが初老くらいの年だろうか。

「座っているわ」

 蒼乃は、再び前に向き直り、少女に言った。

「そう」 

 少女はそう答えただけで、そちらを見ようともしなかった。蒼乃すら見ない。相変わらず前を向いたまま、弄ぶようにガム風船を膨らましている。

「・・・」

 この子も学校に行っていないのだろうか。蒼乃はそんな少女の横顔を恐る恐るだが、まじまじと見つめた。こんな平日の真昼間にそんな格好でいるのだから、多分そうなのだろう。でも、そんなこと全く気にしている風もない。蒼乃はそんな少女にうらやましさにも似た憧れを持った。

 この子と友だちになれたら、どんなに素敵だろう。蒼乃はふと思った。

 でも、そんなことはありえない。私なんかが・・。

「あっ」

 蒼乃がふとそんな考え事をして隣りを見ると、もう少女は消えていた。それは一瞬の出来事だった。

「・・・」

 周囲を見回しても、少女の姿はなかった。忽然と少女は消えてしまった。まるで今まで蒼乃が実体のない幻を見ていたみたいに・・。

 蒼乃は再び辺りを見回した。しかし、やはり、少女の姿はどこにもなかった・・。

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