馴初め2
「やっと引っ越しの荷物片付いた~」
額に浮かんだ玉のような汗をぬぐい、住居になっている社務所の二階から降りる。
今から一年前の八月。もう何日連続か分からない猛暑日の昼、綾篠神社のたった一人の新人巫女は、社務所の奥の台所でコップに注いだ水を一気に飲み干しながらこの一か月を思い返していた。
前任者から引き継いで一か月。方々へのあいさつ回りも終わってしまうと、閑古鳥の鳴くこの神社は随分と静かなものだと改めて実感する。
元々この神社、遺品の保管料で成り立っているような代物な上、更に大きな神社の言うなれば出張所のようなもので、そもそも彼女の前任者が前任者になったのも“ご栄転”なのだ。
先の戦争の戦没者慰霊など特定の時期以外は来る者のまばらな神社。子供の頃からの実家の手伝いでそれなりに詳しいとはいえ、ついこの前までフリーターだった新米巫女一人に任せても問題ないという判断も妥当だと思えるぐらいにはのどかなものだ――でなければ、昼間から居住スペースに引きこもってなどいられない。
「さて……」
この一か月何かする度に読み返した引き継ぎノートをパラパラとめくる。
「私、守衛みたいなもんだよね……ふぁ」
呟きながら欠伸を一つ。
「……保管庫行くか」
ただのフリーター。正確にはソーサリウム取扱主任の免許保持者のフリーター。
彼女の数少ない巫女らしい仕事と言えば、既に日課になっている祈祷だった。
「暑い……」
社務所から一歩出ると、容赦ない気温と湿度が彼女を襲う。
節約のため社務所のエアコンも切ってしまった。最早前に進むしかない。
日差しで真っ白に光る境内を横切り、隅にある小屋へ。
「……やっぱ中の通路直した方がいいよね」
本来なら本殿を通って直接行けるようになっているのだが、前任の時代に何があったのか、保管庫と連絡している床が抜けているため通り抜けが出来なくなっている。
「うわっ、むわっとする……」
小屋の中を足早に抜けて奥の保管庫へ。
「はぁ……」
中に駆け込み、扉を閉めて一息。
この中は、遺品の品質保持の意味も兼ねて夏の間は空調を使用している――ここだけ業務用の空調機器を入れているのはそのためだ。
奥に伸びている保管庫。両側の壁に設けられた高い棚には預かった遺品が並んでいて、埃の一つもない――先月から。
「さて」
なにも涼みに来たわけではない。大幣をとって一礼。日課の始まり。
静かに、しかしはっきりと、保管庫内に彼女の祈祷が響く。
(つづく)
続きは明日
19時~20時頃に投稿予定です