行く年来る年3
「ありがとう。じゃ、お願いね」
踵を返して台所へ向かう悠。
机の上に置かれた三つの丼のうち、手前の一つを手に取ると、底に入っている「下瀬」と書かれた紙片を取り除く。
同じものが名前を変えて後二つ。
鍋に火をつけ、小分けにされたそば一玉を丼に入れて待機。
少し待って、アツアツになったつゆを鍋から丼に注ぎ込むと、覆っているラップに丼と同じ名札を付けられた皿を取り、中の天ぷらを一揃えつゆに浮かぶ蕎麦の上に盛り付ける。
「頂きます」
湯気を立てる天ぷらそば。つゆは出汁からこだわった妖刀特製。
そのつゆを染み込ませた天ぷらの衣を蕎麦と一緒に口に入れると、じんわりと温かな味わいが口の中に広がっていく。
「はぁ~……」
長く一息。
のんびりは出来ないが、蕎麦の温かさが体の中に染み渡っていくのに合わせてやすらかな気持ちが同様に満ちていく。
「凄いなあ妖刀ちゃん」
思わず口を突く言葉。嘘偽りない同居人への尊敬。
ただ腹が満たされた事によるものだけではないこの温かな気持ちは、ただ落ち着かせるだけではなく、これから始まる忙しい時間をなんとか乗り切ろうというやる気が湧いてくるような気さえしてくる。
――なんとなくラブレターを渡した気持ちが少しだけ分かる。
「……お嫁さんに欲しいな」
なんちゃって、と付け加えてそれを呟いた声は、ただ丼の中に消えた。
「ふぅ、ご馳走様」
食べ終わった丼をシンクの中の桶へ。
水を張ってその中に沈めてから時計を確認。まだ休憩時間は残っている。
「向こうは寒いだろうし……」
隣の居間へ。眠らないよう注意しながら炬燵に足を突っ込むと、布団の下の快適な空間を満喫する。
「一年早いなぁ……」
何を見るでもなく天井を見上げて呟く。
ついこの前が去年のこの日だったように思えるが、毎日忙しく過ごしているとあっという間だった――もっとも、本当に忙しい日とそうでない日の比率は5:5か4:6ぐらいだったが。
「……さて」
名残惜しい空間から下半身を引き揚げる。
「行きますか!今年最後の仕事」
自分を鼓舞するように勢いをつけて部屋から出ると、丁度酒を取りに来た妖刀と鉢合わせする――さっきとは逆。
「ご馳走様!授与所に行ってくるね」
「それなら、バイトの子片方休憩に入るよう言ってくれ。蕎麦の事も」
窓口はバイト一人と悠か妖刀が担当する。
忙しくなるのは0時頃から明日の明け方まで。その間常に一人は休憩に入れるようローテーションを組んである。それも、夕食をとるか仮眠をとるか可能な時間を割いて、だ。
「わかった。妖刀ちゃんは大丈夫?」
「大丈夫だよ。さ、向こうに」
言葉を交わしお互いの仕事に戻る。
二人体勢になって最初の年末。酔っ払いの相手の面倒さを身をもって知っている悠は、自分が社務所専属になった方がいいかと考えていたのだが、意外にも妖刀はその辺も卒なくこなしている。
(やっぱりいい嫁さんだよね)
本殿を横切りながら思い出した記憶にそう付け加え、陣幕の向こうへ顔を出す。
「お疲れ様。牧野さん、休憩入っちゃって。まかない出来ているから」
「お疲れ様です。じゃあ、頂きます」
向かって右のバイトに伝え、彼女と席を替わる。
タイムスケジュールは台所にも居間にも貼ってあるし、なんならこの席からも分かるように壁に貼られている。
そこに腰を下ろして、この次に休憩に入る予定のもう一人のバイトに声をかける。
「大丈夫?寒くない?」
「あっ、は、はい!大丈夫です!」
少しうわずった声。
江崎佳乃――地元の高校の生徒だった。
「あっ、あっ、あの……!」
「ん?」
何かを覚悟したような、しかし躊躇うような調子の彼女の問いかけに、悠は体ごと振り向いて応じる。
「あっ!あの……いえ、すいません。何でも……」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「は、はい……」
その頬が赤くなっているのは恐らくこの寒さのせいだろうと考え、後ろに身をよじってストーブの出力を上げる悠。
――妖刀のラブレター事件を蒸し返さなくなるのは彼女と同じ経験をこの数日後にしてからの事であるのだが、それはまた別の話。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日。
明日も二本立てできればしたい




