寒さ、疲労、少しの油断17
「うん……」
どれだけの時間が経ったのだろうか。
主観では随分と長かったように思えた沈黙は、悠の空気の漏れるような声で破られた。
「……わかった」
そう続いた言葉。妖刀はほっと胸を撫で下ろす。
「元気になったら、またやったらいい」
その安堵と、フォローしようとする思いが更に口を動かす。
「そうだ。今度祈祷のやり方を教えてくれないか?」
「え?」
「二人で出来れば、どちらかが都合が悪くなってももう片方が出来るだろう?だから、今度教えてくれ」
それは咄嗟の思い付きだった。
だが、ただその場しのぎに口から出まかせで言った訳ではない。
ソーサリウムの幻影を自分の都合のいいように利用してしまった。それによって生じた後ろめたさに対する妖刀なりの――潔癖とも言える――禊。
「うん、……わかった」
悠の答えは先程と同じ。
だが大きく違うのは、熱で潤んだ瞳がしっかりと妖刀のそれを捉えていた事だ。
「……妖刀ちゃんは優しいね」
「なっ!?何を言って――ッ!」
突然の言葉に思わず面食らう。
再び顔中を高熱が駆け回る。
「び、病人に優しくするのは……当然だろう」
向けられた視線から逃げるように相手の背後に目をやる――身長の関係上、下を向く=相手の視線の方に動かすのは心情的に難しい。
だが、それで逃げられるものではないという事はすぐに実感した。
「そうじゃなくて」
ただの否定。だが今の妖刀には鋭い追撃として突きつけられる。
「傷つけないようにって、気を使ってくれたんでしょ?」
全てばれている。
その衝撃が雷のように体を駆け抜ける。
「そ、そんなの……」
その雷に押し出された言葉は、先程の悠と変わらぬ消え入りそうなものだった。
「そんなの……優しさでもなんでもない……。私なんかが……優しいものか」
一つだけ違う点があるとすれば、その後半部分は吐き捨てるような強さがあった事だろう。
自分は優しくない。妖刀の中にある確固たる部分。
核や芯に当たる部分がむき出しになる。
人を殺した。大勢、数えきれないぐらい。その記憶が山ほど残っている。なのにそれらのどれひとつとして彼女の心に響かない。
遠いどこかの、見知らぬ誰かの、よく知らない事件=自分の記憶。
心が無い――揺るがぬ自己評価。
「……私には分からない」
ぼそりと漏れた声は本人も驚くほどに湿っていて、相手よりも重症の風邪のように思えた。
「人の痛みが……心が……」
そうだ。
優しくなんかない。
ただ保身のため、潔癖のため。
相手を傷つけずにいた方が、自分にとって都合がいいから。
頭の中で、先程一瞬だけ見たドラマの台詞が蘇る――確かに血を見て冷静さを失うようでは医者失格だ。だがね、私はそれと同じぐらい失格になるものがあると思う。ただそれ以上に失格なのは、血を流して苦しむ患者を見て純粋に何とかしてあげたいと思えない事だ。そんな者は医者以前の時点で失格だ。
「は、は、は、は」
――そうだ。失格だ。私は失格なんだ。
悠の一言は蟻の一穴だった。それが妖刀の中に鬱積していたものを起こし、彼女を決壊させた。
震えた笑い。泥だらけの雑巾を綺麗と言うのは最大の皮肉だ。
ぼやけていく視界。きんと重くなる鼻の奥。
その状況の中で、頭に触れた柔らかくて温かな手。
「……?」
「え、えっと……」
困惑気味な笑いを浮かべながら、悠がそっと妖刀の頭を撫でていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。
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明日こそ終わる……はず




