プロローグ3
「おはようございます。お待たせしました」
しっかりと巫女装束に着替えた悠がそこから現れた。
巫女長――彼女の役職。本来最年長の巫女が就く役職で、二十歳で就くことはまず無いが、今この場で年齢の概念がある巫女が彼女しかいない故そうならざるを得ない。
両手で保持した三方の上に万年筆が一つ。それを危険物でも扱うように丁寧に鏡の前に三方ごと安置する。
「それでは開始いたします」
起き抜けとは打って変わって厳かな口調で告げると、女性は深く頭を下げ、バックから取り出した写真をその足の上に大事そうに抱きかかえた。
写真=遺影。写っているのはまだ若い男性。
軍人――撮られた頃の呼称では自衛官。
その人物に背を向けるようにして、女性と三方の間に立つ悠。ゆっくりと大きく大幣を振り、良く通る声で祝詞を読み上げる。
(軍人……か)
脇の文机に控えた妖刀は声に出さず漏らす。
日本中で、いや世界中で、それぞれの宗教その他の施設で同じような光景が頻繁に繰り返されている。
(……そろそろだな)
手元の濃度計に目を落とす妖刀。
ソーサリウム濃度を示す針は右端とそれより一つ左の目盛を高速で往復している。
「ああ。あなた……」
女性が不意に声を上げる。感極まったような、喜ぶような、日常では中々発しない種類のそれ。
それを合図にしたように悠の祝詞は止まり、妖刀の方へと静かに下がる。
「おお、来てくれたのか」
万年筆の上に現れた男性――遺影と鏡写し。
女性は椅子から離れ、三方の前に座り込む。丁度二人の間を注連縄が横切る様な形になった。
「子供たちは元気か?」
「二人とももう社会人です。上の子、隆は今度孫を連れて帰ってきますよ」
「そうか!そうかそうか――」
死者と生者。
本来なら不可能な会話――いや、今だって不可能なのだ。
「お前には苦労を掛けたなぁ」
「何を言っているの」
それは厳密には会話ではない。
ここにはこの女性しかいない。
彼女が話しているのは死後の世界から戻ってきた夫――ではない。
「覚えているかい?まだ隆が保育園に行っていた頃にさ、二人で出かけて――」
高濃度ソーサリウムが見せている、女性の中に生まれていた夫の幻影に他ならない。
戦後すぐに発見――というか発生した新物質。その特異な性質がこれだった。
大量のソーサリウムが散布或いは塗布された物体に強い思念が加わることで、その思念を一時的に具現化する。
本来形を持たない思念というものを具体化、固定化して再現する。この時代において宗教家とは、即ち他者のそれを可能とする者が殆どとなっていた。
(つづく)