第五話(A.D.356)厨二皇帝
ペルシャ系黒髪美少女サブヒロイン登場回です。
世界で一、二を争う超大物登場回ですよ!!!!!
あと、アクアビット登場回でもあります。
何で、古代ローマものにアクアビッドが出て来るのか?
それは最終話までお読みになれば……という事で。
宴会の席で、【皇帝】ユリアヌスは訊ねる。
「ねえ、トゥルート。僕、何やらかしたの?」
焼き豚にかぶりつきながら、【筆頭衛士】トゥルートは答える。
「戦に勝ったんだよ。一万の兵に五百人で挑み、撃退したんだよ。凄いじゃん。豚肉うめえ。やっぱ蛮族も侮れねーな。いかに兵站意識が薄いとはいえ、当座の食料は用意してあるもんな、一万人分。うわあ、喰い切れねーよ」
「でも、君、今、がっついているじゃん。いや、そうではなく、胡散臭いんだけど……五百で一万を撃退なんて……」
「胡散臭いもなにもさ、お前が立てた作戦じゃん。お前が成し遂げた作戦じゃん。皆騎兵で敵本陣に突撃して、お前自身が敵の大将ぶっ殺したじゃん。おかげで敵は総崩れ。こっちの勝ち。あー、豚の心臓プニプニでうめえ。やっぱ、兎とは違うよなぁー」
「野菜も食べたら? ……いいや、そうではなく、本当に僕がやったの? いや、確かにあのゲルマン人は身なりが立派だった。あの後、一斉に敵が撤退したところからして、彼が指揮官だったのは事実だろう。でも、僕自身が敵指揮官を討ち取ったなんて、出来過ぎじゃないの? 大体、ゲルマン人は野蛮人だけあって、個々の武勇を重んじる。指揮官であっても――いや、指揮官であればこそ、武勇に長けているはず。そんな相手を僕が倒したの?」
「事実は事実だ」トゥルートはうすらぼんやりした顔で言った。「いくら『こんな都合のいい話があるはずない!』と泣き喚こうが、結果は変わらない」
そして、トゥルートは【生命水】――後に消失技術となる蒸留酒をかぶ飲みする。ギリシャ=ローマの文明人ユリアヌスにとって、醸造酒ですら水で薄めて飲むものだ。しかしながら、ガリア=ゲルマンの野蛮人トゥルートにとって、酒精とは強ければ強い程いいものらしい。
「それに敵本陣にまで辿りつけたのは、あたしとお前ぐらいだったぜ? で、あたしには身に覚えがなくて、見た覚えがある――お前がキンキラ纏ったゲルマン人の首級を掲げるトコを。つまり、ヤッたのはあんたで決まり。生命水、うめえ。今まで気付け薬だと思ってたけれど、塩と肉に合うなー」
「トゥルート、酔っていない? 生命水は酒精が強いから……って、そうではなくて、本当に君じゃないの?」
「しつこいな。何度も言っているだろ。細かい事は覚えていないって。敵っぽい奴、手当たり次第に殺し回った覚えはあるけどさー。十倍以上の敵に突撃しろって命令されて、そんな余裕あるかよ。この羊の脳みそうめえー」
「うん。それ、羊の脳ではなく、魚類の精巣の塩漬けだよ。美味しいのはわかるけど。あと、二十倍の敵に突撃しろという命令はたしかに僕の失態だね。本当にごめん。今後は『勝つべくして勝つ』ように努力するっていうか、トゥルート、酔っていない?」
「大体ね、あたしは巫女の素質があるって、昔から言われていたのー」
「……トゥルート、本当に酔っていない? 発言が微妙だよ?」
「何かに夢中になるとね。必ず吃驚する結果を出せるのよ。でもー、その間、あたしの記憶は飛ぶの。でも、しょうがないよねー。神様降りてくるもん。お婆ちゃんは村の巫女さんだったもん。しかも、あたし処女だもん。麦酒うめえー」
「トゥルート、それ生命水! というか、絶対酔っている!」
ちなみに他の衛士に訊ねても、彼らは何故か顔を引き攣らせて、首を左右に振るのみだった。
***
ユリアヌスは勝ち続けた。
まさに連戦連捷である。が、理由がわからない。これは妄想ではないかと何度も頭を捻った。脳内プラトンと脳内アリストテレス、さらには最近加わった脳内アレクサンドロス大王と脳内マルクス・アウレリウス帝と激論を交わしたものの、やはり真実は久遠の彼方であった。
いずれにせよ、勝てば、人も集まる。
黒髪の彼女と出会ったのもその流れの中であった。
その日、ユリアヌスの木槍がトゥルートの木槍にあっさり弾き飛ばされた。
「ま、参りました……!」
「よろしい。変な癖はついていない。教えがいがある」
とトゥルートは手を振る。その玉の肌には汗一つない。
対するユリアヌスは膝から崩れ落ちた。勿論全身汗だくだ。
外傷ではない。苦痛ですらない。疲労のみで倒れたのである。
――つ、強過ぎる……!
ユリアヌスは乱れに乱れた呼吸で、朦朧としながらも戦慄した。
それは槍の訓練だった。トゥルートが『まずは力量が知りたい。好きに打ち込んでみな』と言ったので、ユリアヌスは試しに打ち込んでみた。ところが、全く当たらない。怪我をさせるつもりで薙ぎ払っても、軽くいなされる。
そこでトゥルートが反撃をしてこない事に気付いた。
僕を侮辱しているのかという怒りと、僕に遠慮しているのかという疑いが、脳裏をよぎった。が、そのどちらでもない事がすぐにわかった。
とどのつまり、腕前に差があり過ぎるのだ。
ユリアヌスがいかに槍を振るおうともトゥルートには当たらない。それ程までに差がある。だから、トゥルートは反撃もせずに教授としていたのだ。
――これ程の達人を衛士にしていれば、多少のへまでは負けない訳だ……。
ローマの集団戦法では個人の武勇は目立たない。故に不明だった勝利の一因が見えてきた。と、同時にそれでも個人の力では限界があるとも察せる。
――一介の武人に頼っていては駄目だ。もっと、機械的に、理論的に、システマティックに勝てるようにならないと……。
ユリアヌスはそのまま草原に横たわった。
瞳に映るのはライン(レヌス)川と……一昨日ついに奪還したコローニア・アグリッピナ。
すなわち、トゥルートの故郷だった。
「見に行かなくていいの?」
ユリアヌスはつい聞いてしまう。
この訓練はトゥルートから誘われた。いや元々、ユリアヌスは自分も武芸を磨かねばと考え、前々から個人的な教授を願っていた。しかし、トゥルートは『柄じゃないから』と許してくれなかった。
それが今日になって、トゥルートから誘われたのだ。故郷のコローニアを奪還した翌々日になって、『コローニアの郊外で、槍の手合わせをしてやる』と誘われた。
ユリアヌスもそこに因果を感じぬほど鈍くはない。
「もう見たくないんだ」
トゥルートは簡潔に言った。
廃墟と化した故郷は、もう見たくない。家族が殺された現場は、もう見たくない。
それを責める事はできない。
「わかった。筆頭衛士にだって、休息は必要だ。これまでの功績もある。許可するよ。勿論、僕は職務上、今後もコローニア内部に出向くけれど、その時は他の衛士を付ける」
「悪いな」と、トゥルートはやはり簡潔に答えた後、補足する。「ああ、代わりの衛士候補に信頼できる連中を何人かまとめておく。実力はあるし、経験も積ませたい奴らだ。お前も顔を覚えておいた方がいい」
「……はーい」
ユリアヌスは了承しながら、また劣等感を覚えた。今のトゥルートのような実務的な配慮を自分は出来ているだろうか? トゥルートは自他共に認める武人肌だが、同時に経験を重ねた軍人でもあるのだ。随所で見せる知恵は、自分が蓄えた知識を、容易く凌駕する。
思わず、愚痴が零れる。
「なんで、僕、勝てないんだろ……?」
「ま、《槍》はあたしの【存在意義】だからな。皇帝陛下の片手間に後れは取らんよ」
とトゥルートは笑った。
(余談だが、このラテン語のイデンティタス/Identitasは、後にアイデンティティ/Identityと英語読みされるようになる)
ユリアヌスも認めざるを得ない。……考えてみれば、このトゥルートは馬上で槍を振るって、敵兵の首級を斬り飛ばしていたのだ。脂肪と骨格を具えたヒトの身体は簡単には切断できないものである。ところが、それを彼女は不安定な馬の上で行っている。
(補足すれば、当時のローマ帝国の剛剣などは炭素と結び付いた硬い鋼と柔らかい鉄を重ね合わせた『鋼鉄』でできている。青銅や純鉄を用いる蛮族に比べれば、圧倒的に優位だった。が、焼き入れ法が未発達のため、後世の長剣や日本刀ほどの切れ味は無い。にも関わらず、トゥルートは野菜の様にすぱすぱ人肉人骨を両断している。その凄まじさは語るまでもない)
――……どうやって重心を固定しているのだろう?
既に技術というよりも魔術の領域である。それだけにはっきりとわかる。
――素人同然の僕が勝てる相手ではない。
しかし、悔しい。できれば、勝ちたい。
「うーん、槍以外なら……」
「剣でやるか?」
ユリアヌスは彼女と出会った日を思い出し、肩を竦めた。
「いや、武器の扱いでは僕に勝ち目がない。それぐらいはわかるよ」
「じゃあ、素手でやりたいと?」と、トゥルートはいやらしい顔をする。「へえぇー、この『あたし』と取っ組み合いをしたいと? くんずほぐれつがしたいと?」
トゥルートは左手で自身の胸から股にかけての曲線を指差した。
最初ユリアヌスはその意味がわからなかった。が、しばらくして頬が熱くなる。
「い、いや、そういう意味じゃなくて……!」
だが、トゥルートは子羊を前にした狼のように迫る。
「ま、皇帝陛下のご命令とあらばなー。絶対権力者が相手なら仕方がないなー。……何なら、今から寝台の上でヤりますか?」
そして、トゥルートはくつくつと笑った。弟をからかう姉の気分なのだろう。
しかし、ユリアヌスにとっては別の意味で汗だくになる事態だ。
そして、彼女の声を耳にしたのはまさにその時だった。
「はーい。じゃ、わたしとくんずほぐれつしませんかー、芳紀まさに十六歳処女ですよー」
その一言にユリアヌスの頭は振り向き、トゥルートの顔は濁った。
彼女が流暢なギリシャ語で話しかけてきたからだ。
二人の視線に、その少女は旅装を解く。
波打つ黒髪に、小麦色の肌、さらに碧玉の如き瞳が露わになる。
柔らかな目立ちに細い指先、トゥルートとはあらゆる意味で対称的な娘だった。いや、そもそもガリアやゲルマンではない。
明らかに文明が出ずる【東方】の娘だった。
草原の陽の下でありながら、都会の月を見た思いだ。まるで演劇のようである。
滋味あふれる美貌と光輝なる魅力――。
これが『謎のペルシャ人(笑)』、シャハラザードとの出会いだった。
***
背教者ユリアヌス(ユリアノス=アポスタテース)と呼ばれる青年がいる。
この青年は青年の魂のままに生き、戦い、そして散って行った。
青年は青年らしく、共和制民主主義にも青臭い憧れを抱いていた。
だから、ユリアヌスは皇帝の地位に昇りながらも、『下々の者』との交わりを絶たなかった。共和主義者の手で、理想化された過去を信じていたのである。
故にユリアヌスは末端の兵士だけでなく民衆の意見にもよく耳を貸した。
勿論、サルスティウスなどは当初苦言を呈していた。が、初陣の奇襲を見抜けなかった失態からか、最近は放任に近くなってきている。その上、ユリアヌス自身も慣れてくれば、民衆の意見にどの程度まで耳を傾けるべきかという距離感も掴めてくる。
だから、コローニア奪還頃には皇帝ユリアヌスへの面談は難しくなっていた。
しかし、この自称旅芸人シャハラザードの面談希望は一発で通った。
ユリアヌス自身が承諾した。また、お目付け役のサルスティウスも追従した。ギリシャ語を話すペルシャ人という点が評価されたのである。処女云々やくんずほぐれつはさておいて、【東方】出身というだけで価値がある。
考えて欲しい。今、ユリアヌス達がいるのはガリア(フランス)とゲルマニア(ドイツ)の狭間だ。ところが、このシャハラザードはペルシャ(現イラン)から、はるばる来たという。
古代世界において、彼女の情報がどれだけ貴重かは言うまでもない。まして、高速通信手段であるローマ街道が現在機能不全なのだ。
――世間話を聞かせてもらえるだけでもありがたい!
そう考えた者達が面談会場に押し寄せた。
ところが、シャハラザードはギリシャ語での会話を望んだ。そのため、内容を理解できたは少数にとどまった。つまり、トゥルートにはちんぷんかんぷんである(そもそも、ペルシャが東方世界のどの辺りにあるのかも知らない)。が、ユリアヌスたち教養人層は興味深々らしい。シャハラザードの語る最新【東方】情勢に一々驚いていた。
話題が一段落した頃、サルスティウスが声を出した。
「筆頭衛士、お前からも何か質問がないか?」
――あ、暇そうなのが顔に出ていたかな?
トゥルートは反省しつつ、彼の配慮に感謝した。
「えーと、無学なので難しい事はわかりません。ただ、【東方】で流行りがあれば、知りたいですね」と適当な事を言ってみる。
「流行り、ですか……」シャハラザードはラテン語に切り替えた。が、きごちない。どうやらギリシャ語とは対照的に、シャハラザードもラテン語はまだ苦手なようだった。「そうですね、今ペルシャではマニ教が流行っています」
「マニ教?」
トゥルートが首を傾げると、ユリアヌスが助け船を出す。
「グノーシス主義の一派さ。ローマでも東の方では流行っていた」
この時代――紀元四世紀はマニ教の全盛期でもあった。
とはいうものの、トゥルートはそのグノーシス主義自体を知らない。
「うーん、僕もその辺りは詳しくないから。シャハラザード、説明をお願いできる?」
「かしこまりました。ですが、わたしも詳らかでないのは同じ事です。誤謬交じりである事、ご承知の上で、お聞き下さい」
そして、彼女が語ったグノーシス主義やマニ教の概要は次の通りだ。
1:キリスト教徒はこの宇宙は全知全能なる善神が創造したと語る。が、それはおかしい。全知全能の善なる神によって作られたのなら、何故、この世には悪が栄える? また、何故、飢えや病といった苦しみが満ちる?
2:キリスト教徒はそれを『試練だ』という。……本当にそうなのか? 全知かつ全能かつ善なら、そんなのは省略できるんじゃないのか? 神が全知全能ではないか、善ではないか、あるいはその両方と考えた方がずっと辻褄が合うのでは?
3:そも古代にも善人や賢人はいた。だが、キリスト誕生前だから、当然キリスト教徒ではない。ところがこういった者達もキリスト教徒でなければ、一人残らず全員地獄行きだという。それが《神》の裁きだという。……ねえ、その《神》様って、むしろ悪魔っぽくない?
4:この宇宙の創造主が悪魔なのか不完全な神なのかはわからない。だが、善良なる神とは言い難いのは間違いない。しかし、希望もまた残っている。ヒトには知恵がある。悪を縛り、飢えを遠ざけ、病を癒す知識がある。この叡智の光で、皆、邪悪なる創造神と戦おうぜ!
これに対するトゥルートの第一印象は
――なんだか、十四歳の少年に受けそうな設定だな。
だった。しかし、十四歳の少年といえば、心当たりがある。
「素晴らしいッッッッッッ!!」
予想通り皇帝ユリアヌスは絶叫していた。
概要を一通り聞き終えるや否や、興奮に身を震わせながら絶叫していたのだ。
「この世界の《創造主》は人類の敵! 故に世界は悪に満ちる! しかし、我らには悪を悪と《認識》する内なる叡智の光がある! 故にこそ運命へ抗える! 飢餓や貧困を駆逐しうる叡知の源を授けた《蛇》=《反逆者》は、人類の味方ではないにせよ、敵方でもない。むしろ、あの《神聖四字》さんに相対するための刃――そういう事だねっ?」
「ええ、まあ……」
シャハラザードは同意を求められて困っていた。
「旧約聖書の創世記において、《反逆者》は知恵の実を奨める事で、人類を無知の闇から解放した! すなわち《光をもたらす者》こそが《救世主》! いずれは僕らも彼らと共に父なる神を乗り越えねばならない! 親を乗り越える事こそが、子たるものの至高の孝行――人類を救うべく、天に反逆した堕落天使マラク・ターウース・ツァール・パウリンの導きこそ、実は真なる神の計画の一部であるように……! 四大元素とエーテルで武装した『最初の人間』が無知の闇に挑んだように……! ヒトは超古代文明の遺産《龍蛇神》を象った巨人型兵器でその身を鎧うべきなんだねっ! だから、人類は天なる御使い《使徒》と戦う。苦難の時には光り輝く十二枚の翼を広げて! それが《偶像破壊者》……いや、本当の《Evangelion》――そういう事だねっ?」
「いや、そこまでは……」
シャハラザードも最早ドン引きである。
が、ユリアヌスの熱狂は時代を超越して加速していく。
そも厨二病とグノーシス主義の相性の良さは既に万人が認めるところ(断定)っ!
その中でも特にラノベ臭が充実したマニ教である(明言)っ!
人生そのものでセカイ系厨二病を体現しているユリアヌスが心惹かれるのは必然といえよう。
「あっ、そうだ。僕ね、実は《福音書》の同人誌書いているんだー」
「え? ええ??」
ユリアヌスはシャハラザードの戸惑いに気付かないまま、ごそごそ書簡の山から一巻を抜き出す。おそらくそれがユリアヌス自作の《福音書》同人誌なのだろう。挙句の果てに、にこにこ笑顔でそれをシャハラザードに手渡しやがった。
「名付けて、『エヴァンゲリオンから読み解く黙示録』! さ、遠慮せずに読んでみてよ!」
「え、えええええ……は、はい」
こうなるとシャハラザードは読まざるを得ない。何しろ、ユリアヌスは皇帝なのだから。
余談だが、ユリアヌスは《福音書》のみならず、新旧聖書を通読しており、後にそれらをもとにした著作を数々発表する事になる。
……ただし、その原案ともいうべき同人誌がどのようなものであったか?
……読まされるシャハラザードがどのような感想を抱くか?
……それについては言及を避けよう。
「それにしても、マニ教かあ、胡散臭い新興宗教とばかり思っていたけど……浅はかだった。やはり、価値観の多様性は大事だよねえ」
そして、ユリアヌスはうんうんと一人頷いた。また余談になるが、頷くだけではなかった。実際この頃から、ブリタニアでは『邪教』の祭壇が再建され、アフリカでは『異端』の宗派が復活していく。いずれもキリスト教徒によって、破壊され排斥されたものたちだ。その息吹が後世でも解かる形で蘇っていくのである。
……もっとも、えぐえぐ涙目なシャハラザードにとって、それがどれ程の意味があるのかは怪しいものだった。
列席していた将兵たちも「あ、警備の交代時間だった」「おっと、食料物資の整理があった」「近辺の地図を今の内に作らねば」「街道の補修準備をしておくか」「歳をとると便所が近くて困る」「何だか、空が青いなあ」と次々去っていく。
残ったのは上機嫌なユリアヌスと顔面蒼白なシャハラザード。そして、それを見守るサルスティウスとトゥルートだけだ。
思わずトゥルートはサルスティウスに訊ねる。
「だ、大丈夫なんですか。あれ?」
「若者らしくていいではないか」
あんたいつもそれだな――と思ったが、さすがに言い方を変える。
「それにしたって、限度があるでしょう。以前より、明らかに酷くなっていますよ……」
「飢えているのだ。やむをえまい」
「飢え……ですか?」
肉体的な空腹でない事はさすがにわかった。だが、今一ピンとこない。
サルスティウスはさらに説明を続ける。
「ユリアヌス様は元々ギリシャ哲学に傾倒し、また才能を示されたお方だ。故に本来は話し方一つとっても実に深淵である。勿論、そのまま学問の道を歩まれるなら、それでもよかった。しかし、今のユリアヌス様は皇帝であり、将軍でいらっしゃる。軍人としての己を無理やりにでも取り繕わねばならぬ。そのために己本来の玄学を衒学として遠ざけていらっしゃるのだ。むしろ、トゥルート、お前のように無学無教養だが、それ故に実戦的で実践的な話し方をこそ、習おうとされている」
だから、進んでトゥルートと話し、また、なるべくトゥルートに合わせようとしているのだという。
「が、本来はあのような高雅な話題を好まれる。故に教養ある話し相手に飢えていらっしゃるのだ。そもそもギリシャ語自体、この西方では珍しい。私とて、ガリア諸語に精通する反面、ギリシャ語が得意とは言い難い」
つまりその飢えがシャハラザードに圧し掛かっているのだという。
「……そういや、アンミアヌス様とも時々盛り上がってますね」
「同じ理屈だな。まして、美しい少女が話に付き合ってくれるともなれば、嬉しくないわけがない」
「…………」
トゥルートは面白くなかった。ユリアヌスのくせに生意気だ。
「元々ユリアヌス様は働き過ぎだったのだ。ここで息を吐いてもらった方がいい。ペルシャ人というのが気になるが……いや、かえって好都合かもしれんな」
サルスティウスの最後の一文も、この時はまだ大した意味を持っていなかった。
***
シャハラザードは夕暮れ時になってもユリアヌスの著作が読み終わらなかった。
当の本人は「あ、僕は皇帝業務があるから。読み終わったら、是非感想を聞かせてね!」と凄まじい台詞を残して去っていった。
となれば、読まなくてはいけない。何せ彼は皇帝なのだから、あの『エヴァンゲリオンから読み解く黙示録』を。十四歳の少年の心は鷲掴みだが、十六歳の少女シャハラザードには辛すぎる一品を……。
「えぐえぐえぐ」
と涙目なのはまだマシで。
「はははは、エヴァンゲリオンがー、福音の戦士がー、新●●●世紀でー」
とやや危ない発言を繰り返し。
「人は愛を●●●●●●●●●よ。もし●●●●●●●●●●●●るならねえ。だけどいつか●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●感情で、この宇宙●●●●●●●●●●●●●神話になればよろしいのよー」
悲しみがそして●●●●とかシャハラザードは色々とギリギリな事を言いやがった(というか、元々●の部分にはちょっとしたパロディがあったのですが、某運営からイエローカードが出たので修正しました。一応言っておきますが、私とて物書きの端くれ、著作権には配慮し、印刷物ならば、許容される範囲を狙ったパロでしたが、しかし、桁違いの文章量を処理せねばならぬオンライン運営側には別の判断基準があったのでしょう。というか、細かいところまでしっかりチェックしてくださり感謝するとともに、お手数をおかけした事を謝罪します)。
しかし、これはなんという惨状だろうか!?
さすがのトゥルートも見ていられない。
「おい、しっかりしろ!」
しかしながら、シャハラザードはこれこそ●●●●●●●●バイブルだと言わんばかりに、ユリアヌスの著作を握り締めた。そして微笑む。
「ふ。じきにあなただけが●●●●●●朝が参りますわ」
「返ってこーい!!」
トゥルートはシャハラザードの薔薇色の頬を引っ叩く。
すると、彼女はハッと正気に戻った。
だが、見る見る間にまたも泣き虫弱虫諸葛孔明ならぬ泣き虫弱虫シャハラザードになり、
「ふええええええん」
とトゥルートに抱きついてきた。
仕方がないので妹を慰めていた時のようによしよしとあやす。
しかし、シャハラザードは泣き止まない。
「もう嫌ですう~。 何であの皇帝陛下はあんなにHubrisなんですか?」
「いや、そんな事を言われても……ていうか、ヒュブリスってなんだ?」
「ギリシャ語ですっ。普通は約十四歳の少年少女が罹患する……その、精神的熱病です!」
「???」トゥルートにはちょっと難しい概念のようだった。
「自身の分際をわきまえず、神々の領域をも犯せると思い上がる傲慢(Hubris)――それをギリシャ語で【厨二病】と呼ぶのです!!!」
なるほど、それなら、たしかにユリアヌスには厨二病なのかもしれない
「それで意味もなく包帯巻いたり眼帯巻いたりして、『くうう、沈まれ! 我が右腕よ!!』とか『ふ、重瞳を持たぬ者にはわかるまい』とか言ったりするんですよ。ああ、ヤダヤダっ」
「? 何だか、詳しいな?」
「べ、べべべべべべべ別にくくくくく詳しくなんかありませんからねっ!!!!!!!」
そう言って、シャハラザードは何故か視線を逸らす。
「とにかく、あの皇帝陛下は二十歳過ぎながらも現役の厨二病です。信じられません。ああ、あんなの相手に、わたしどうすれば……」
シャハラザードは真剣に悩んでいるようだった。
だからだろうか?
つい、トゥルートは姉御肌な本質を見せてしまう。
「うーん。ああいう時は『ウザい。キモい。オタク死ね』でいいから」
「え、でも、それじゃあ……」
「いいや、はっきり言った方がいい。変に期待させるとお互い不幸だ」トゥルートは断じた。「ユリアヌス……様だって、嫌がられていると早めに知りたいはずだ。傷が浅くて済むからな」
「……あなたは……お優しいんですね」
シャハラザードは涙を拭いた。
「ええと、衛士の方でしたよね?」
「ああ、筆頭衛士だ」
「……うん。美形だし、こっちでもいいか」
「は?」
それは奇妙な発言だった。後から考えれば、油断だったのだろう。
実はこの時、トゥルートはギリシャ語も多少は理解できるようになっている。ユリアヌスの影響である。ただ、見た目はゲルマンである。軍用ラテン語を理解する程度と思われていてもおかしくない。
「わたし、処女なんです」
「あ、そう……。たしかにそう言っていたな」
何だか尋常ではない流れになってきた。トゥルートにもそれはわかった。
「だから、あなたに捧げます」
「はいっ?」
シャハラザードはいきなり服を脱ぎ始めた。それだけではない。トゥルートが戸惑っていると、こちらの服の下に手を伸ばしてきた。
――こ、こいつ、何を考えているっ?
余談だが、トゥルートはモテる。男装の有無にかかわらず、年頃の少女から迫られた経験は一度や二度ではない。
だが、ここまで積極的で容赦なく、手際がいいのは初めてだった。柔らかな太股を絡ませ、豊かな乳房を押しつけられると、全身から力が抜けていく。
「ちょ、もうやめ……!」
しかし、シャハラザードは躊躇わない。妖しい手管でトゥルートの肌を蹂躙する。
「ああ、素敵な方、たくましい手足、たくましい胸板……ではない?」
そこで初めてシャハラザードの動きが止まった。
弾力溢れ、絶妙な触り心地をぷにぷに調べ始める。そして……。
「あ、あなた、女の子なの?」
「…………」
長い長い沈黙が訪れる。
だが、シャハラザードは先にそれを破る。
「ま、いっかー」
「よくねーよ!!」
トゥルートは『続き』をしようとする変態を蹴り倒した。
すみません。
私、ペルシャ人女性の名前といえば、
「シーリーン」
「ディーナザード」
「シャハラザード」
しか知らない低学歴低偏差値な駄目人間なんです。
本当にすみません。