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第十三話(A.D.358)背教者

 ユリアヌスの政策は簡潔だった。

「複雑化した社会制度の解体。古典的で単純明快な食料配布。言わば、『パンとサーカス』への回帰を行う。全体で見れば、こっちの方が安くなるからね」

 市民権に対し、一律機械的に小麦を配布するだけの政策だ。これなら、読み書きが苦手でもその恩恵にあずかれる。ましてや容姿(すがたかたち)で差別されることもない。複雑な処理が不要なので、大量の官僚を抱え込む必要もなく、彼らによる(しばしば善意を伴う)中間搾取も排除できる。

 それがユリアヌスの論理だ。

 しかし、官僚には大不評だった。大量の官僚を抱え込む必要もないという事は、その大半が免職されるという事である。また、これまでは戦争に専念していたユリアヌスが、内政に口を挟み始めた証でもある。なんとしても取りやめさせたいという意見が沸騰する。

 数日してその代表格――ガリア総督フロレンティウスが駆け込んでくる。

「ユリアヌス陛下。これは本気なのですか?」

「うん。キリスト教徒は【働かざる者食うべからず】と非難するけど、結局、これが最も合理的だ」

「しかし、それでは労働意欲が!」

「機械的な一律配布なら、働く程に豊かになる。官僚裁量では『私こそが弱者なんです!』と役所で騒げば、働かずに豊かになる。どちらが労働意欲を削ぐかは明白だろう」

「ですが、対ゲルマン戦で国庫は火の車です。市民全員への食料配布など財源が持ちますまい。やはり、ここは『本当に困っている人』への……!」

「でも計算したら、ちゃんと捻出できるよ。それどころか、税金を半分にできる」

「そんな馬鹿な……! 税金を半分だなんて……!」

 というフロレンティウスに財源案を見せる。彼がその書類を読み進めると、額から汗が噴き出した。そして、フロレンティウスはやっとの事で口を開く。

「しゅ、宗教法人への課税ですと!?」

「複雑化した社会制度の解体――と僕は言ったよ。当然、宗教法人への免税措置も根絶する」

「こ、皇帝陛下ともあろうお方が、無知蒙昧な民草と同じ誤解をしておられませんか? 宗教法人もきちんと税を納めております。ただ、慈善活動や宗教行為について税を免ぜられているだけで……!」

「だから、その免税措置が行政を複雑にし、さらに国家財政を圧迫しているの。言ったでしょ。『複雑化した社会制度の解体』ってね。言っておくけど、別に宗教法人を狙い撃ちにしている訳ではないよ。免税や控除の類を一律に無くしているだけ」

「……社会への奉仕を目的としている宗教法人を、自身への営利を目的としている一般企業と同列に扱うべき――と?」

「ああ、同列とすべきだね」

 ユリアヌスの動機は、さほど複雑なものではなかった。ユリアヌスの学んだ哲学は、五賢帝以前の社会のあり方を主に論じており、その頃には宗教法人という奇妙なものは存在していなかったのだ。

 だからユリアヌスとしては

 ――宗教法人? 何それ? え? 何で非課税なの? だって、金もっているじゃん。税金とろうよ。

 という単純なものだった。

 そして、結果的にこの『単純さ』が今後の第一義となる。

 ユリアヌスは皇帝(カエサル)の口調でフロレンティウスに言う。

「自身への営利を目的としている一般企業と言ったが、では、麦を作る農民は社会に貢献していないのか? お前たちは日頃何を食べているのだ?」

「儲けを弱者への喜捨につぎ込み、己は清貧を貫かれている宗教法人からも税金を取るべきとおっしゃられるか?」

「勿論取るべきではない。だが、それは宗教法人か否かが理由ではない。清貧を貫いているか否かのみが問題なのだ。一般企業だろうと宗教法人だろうと、貧しければ、免税。豊かならば、徴税。ただそれだけの話だ」

「実務的にも、乾いた雑巾を絞るより、あるところから、とるべきですね」

 横から、サルスティウスもフロレンティウスに釘を刺す。

 現実の宗教法人は、衰退を続けている帝国の中で、例外的な隆盛を始めているのだ。

 フロレンティウスは目を伏せる。だが、その上で

「……しかし、これは……キリスト教徒を敵に回しますよ」

 と言った。先程から、宗教法人と言葉を濁しているが、この時代、法人化する宗教団体など、キリスト教ぐらいだ。ローマを含む多神教の多くは、それこそ江戸時代以前の日本神道に近い。つまり、村人が持ち回りで(やしろ)を祭る程度で、専門の聖職者自体珍しい。逆に課税対象になるほど、金も集めているのは、やはり高度に組織化されたキリスト教なのだ。

「キリスト教徒だけではない」

 しかし、ユリアヌスはそう言った。

「君を含む官僚、そして、複雑化した社会制度に助けられている数多の既得権益者を敵に回すだろう。……そもそも現行の制度も一つ一つを見れば、実に理に適ったものだ。今、君が宗教法人への免税措置が妥当だと熱弁を振るったように」

「ならば、何故?」

「それが積もり積もればどうなる?」

「…………」

 自覚はあったのだろう。フロレンティウスは黙り込んだ。

 あの救貧法における中抜きと同じだ。中抜きの理由の一つ一つは真っ当なものだ。しかし、それが積み重なった結果、現場まで金が回らず、貧民が飢える事になる。

「……旅人が荷物を背負い過ぎれば、その重さに潰されるだけであると? 仮に、その荷物の一つ一つは実際に必要なものであったとしても?」

「僕と同じ事を考えた者は他にもいただろう。いや、ガリア総督フロレンティウスよ。君自身その先達の一人ではないのか? 膨れ上がる財政支出とそれに伴う重税を見れば、同じ結論に辿り着くのは必然だろう?」

「しかし……財政健全化のための制度解体ほど難しい事はありません。だからこそ、ローマは……いえ、あらゆる大国は老大国となっていくのです」

「理由は?」

「陛下は既におわかりでしょう」フロレンティウスは苦笑いをした。それは疲れた大人の笑い方だった。「どんな制度でも、定着すれば、その恩恵は既得権益です。よって、制度の解体は既得権益の喪失を意味します。そして、既得権益者にとって制度解体が大きな損失を生むのに対し、国民一人当たりの制度解体による利益は小さなものです。故に、既得権益者は身を投げうってでも反対運動を行うのに対し、賛成運動は実にささやか。それどころかそも行われない事が多い」

 また、官僚にすれば、制度が広範であるほど、失業の恐怖が少なく、制度が複雑であるほど、裁量という権力を手にできる。

「こうして、一度できた制度は不要になっても解体できないまま残ります。やがて、山積みになった制度に国は身動きが取れなくなり、民は圧し潰されていく……」

「しかし、例外はある。それがかつての【独裁官(ディクタトル)】ガイウス・ユリウス・カエサルだ」

 カエサルは同様の病理に苦しんでいた共和政ローマを元首政ローマとして再生させた。再生される事が出来た。何故か?

 彼が三つのものを持っていたからだ。ガリアの戦乱を平定した巨大な実績と、それに基づく強力な大衆の支持と、それを可能にした圧倒的な軍事力だ。この三つには改革への反対運動を黙らせるだけの力があった。

 だから、カエサルはこの三つを柱として【独裁官(ディクタトル)】となり、その強権で共和政ローマの既得権益を踏み躙り、元首政ローマの礎となったのだ。

 ……()しくもそれは今のユリアヌスが兼ね備えているものと同じだった。

 ユリアヌスも純粋な行政官としてはさほど優れていない。特に実務面ではサルスティウスやフロレンティウスに劣るだろう。しかし、改革を可能する暴力的な条件は満たしている。

 ――典型的な、そして、文字通りの独裁者誕生だな……。

 しかし、ユリアヌスに躊躇う権利はない。今もガリアの民は飢えているのだ。なら、それを救うために必要な処置を取る義務がある。

「僕らはアルゲントラトゥムの勝利で安全保障(セクリタス)をほぼ成し遂げた。だが、長引く戦乱で大衆は疲れている。だから、膨れ上がった税金は半分にし、その上で貧民には麦を配る。これは僕の【皇帝(カエサル)】としての決定事項だ」

「それはつまり――逆にそれ以外は切り捨てると?」

「ああ、ゴルディアスの結び目は(やいば)を以って断ち切るしかない」

 たとえ、それがダモクレスの(つるぎ)であったとしても――。


   ***


 この決意はサルスティウスとの別れに繋がった。


 ユリアヌスの改革は予想通り各方面からの猛反発を生んだ。

 勿論、支持者もいる。税金が半分になる上、パンにありつけるのだから、当然の話だ。

 しかし、既得権益を失う者たちが賛同できるはずもない。彼らも必死だ。遥か東にいる正帝コンスタンティウス二世へと、ユリアヌスの『横暴』を訴えに行ったのだ。

 コンスタンティウスとて馬鹿ではない。一方的な欠席裁判でユリアヌスを断罪などしない。具体的にはユリアヌスの腹心サルスティウスを指名し、ユリアヌス側の弁明を求めたのである。

 こうなると、ユリアヌスもサルスティウスを東方へと送り出さなくはならない。

 勿論、苦渋の決断である。

 ユリアヌスは皇帝業務の多忙を押しのけて、ガリアの属州線までサルスティウスを見送った。


   ***


 その帰り道、カルケドンでの事だ。

 皇帝ユリアヌスは己の筆頭衛士をなんとか慰めようと四苦八苦していた。

「トゥルート……」

「五月蠅い。黙れ。これは目の汗だ」

 トゥルートはそう言いながら、グズグズと泣いていた。

 彼女はサルスティウスと別れてから、ずっとこうだった。いや、別れの瞬間は違った。あの時、感極まっていたのはむしろユリアヌスの方だった。皇帝の権威など知った事ではなかった。ユリアヌスは恥も外聞もなく、サルスティウスに抱きついて、「父さん、僕の父さん」と繰り返した。サルスティウスは感激しつつも、困惑していたが、それこそ知った事ではなかった。ユリアヌスは幼くして父を亡くしている。サルスティウスのような立派な成人男性がいれば、父と(した)いたくなるも当然だ。そう思っていたが……。

 ――本当に抱きつきたかったのは、トゥルートだったのかもしれない。

 現にトゥルートは「サルスティウスの親父(オヤジ)ぃ~~」と鼻水すら啜っている。考えてみれば、トゥルートもまた幼くして父を亡くしている。サルスティウスに対して、父への想いを重ねていても無理はない。

 いや、トゥルートだけでない。周囲を見渡せば、共に行軍する兵士の中にも、頬を濡らしている者は少なくない。アルゲントラトゥムで終結の目途が立ったとはいえ、ガリアの戦乱は長かった。トゥルートのように父を失った者も少なくない。サルスティウスは彼ら彼女にとって、まぎれもない父だったのだ。

 ――『ガリアの父』を代償にまでしたのだ。この改革は必ず成功させねば……。

 その時だった。

 突然、石が飛んできたのだ。

「え……?」

 ユリアヌスは呆然としたままだったが、トゥルートはその身を盾とし、儀鉞(ファスケス)を振るう。

 次の瞬間、その石は真っ二つになっていた。

「投石だ!」

 トゥルートは叫んだ。その顔も既に衛士のものだ。どうも、ユリアヌスへと飛んできた石を、トゥルートが儀鉞(ファスケス)で斬り払ったらしい。これだけでも人間離れした腕前だ(なお、後で確認したところ、石の断面は鏡のように滑らかだった)が、彼女の異能はさらに凄まじい。

「犯人は右前方二十歩! 麦畑の中だ! 捕えろ!」

 トゥルートはそう言った。この状況で犯人の位置を断定したのである。しかも兵士達が半信半疑で指定された場所に向かうと、たしかに小柄な投石犯はそこに潜んでいたのだ。



 投石犯は少女だった。

 兵士達に捕えられ、ユリアヌスの前に引き出された。

 すると、彼女は泣きじゃくりながらも罵倒を始める。

「人殺し! アンチ=キリスト! お前のせいで、弟は死んだんだ!」

「え……」

 ユリアヌスはその罵倒の対象が自分だと気付くまで少し時間がかかった。

 むしろ、周囲の兵士達が先に怒る。今のユリアヌスは歴戦の名将で、内政面でも税金を半分にした改革者である。当然、信奉者は後を絶たない。

「こいつ、陛下に向かって、よくも……!」

 兵士の一人が少女に剛剣(グラディウス)を向ける。

 その寸前にユリアヌスは正気に戻った。

戦友諸君(コンミリーテス)、待ちたまえ! 彼女に手を出してはならない!」

 ユリアヌスの言葉は間一髪で、興奮した兵士の剣を止めた。

「彼女は軍人ではない。従って、上官侮辱には該当しない。むしろこれは市民諸君(クイリーテス)による正当なる抗議である」

 読んでて好かった、ガリア戦記。市民(クイリーテス)戦友(コンミリーテス)を使い分け、軍人の誇りに訴えかける技術である。

「しかし石を投げた!」兵士が言う。「これは傷害であり、抗議を逸脱している!」

「傷害ではない。傷害未遂である」ユリアヌスはトゥルートに改めて感謝した。「彼女を見よ。明らかに錯乱している。心神耗弱たる者の障害未遂ならば、精神病院への隔離が妥当。これはハドリアヌス帝の前例でも明らかだ」

 本当は同じ五賢帝でも、やっぱりマルクス・アウレリウス帝が好きなんだけど!

「しかし……!」

「ローマは法治国家である!」

 ユリアヌスは精一杯の大声で叫んだ。

 その叫びは改めて兵士達に感銘を与えたらしい。何名かは自主的にユリアヌスへ敬礼する。

 ただし、少女にとっては屈辱だったのだろう。「畜生。畜生」と憎悪を繰り返すばかりだ。

「……少女よ。一応、事情を聴こう」

 ユリアヌスは胸の痛みを抑えつつ、馬上より為政者として振る舞った。

 対する少女の説明は要領を得なかった。この手の『抗議者』にはありがちな事だ。

 それでも、断片的な言葉をまとめると以下の通りになる。彼女には弟がいて、姉弟の父母は戦乱で殺された。だが、慈悲深いキリスト教徒の手で救われたらしい。教会に連れられて行き、その庇護の下にあった。しかし、ユリアヌスの『改革』で、その教会への援助が打ち切られた。結果、弟は流行り病で死んだらしい。

「そうだ! ユリアヌス、あんたのせいであたしの弟は死んだんだ!」

 ――これは……想定済みだった。

 ユリアヌスは唇をかんだ。

 兵士の一人が苦渋を顔に出しつつも、その姉をなだめる。

「……しかし、それをユリアヌス様に当たるのは筋違いだろう。教会への援助が打ち切られたとて、市民への援助が打ち切られた訳ではない。むしろ、小麦の配布などは……」

「あれっぽちの小麦で何になる! 弟には薬が必要だったんだ!」

 ……その姉の主張はすべてユリアヌスが想定していた通りだった。免税などによる教会への優遇政策が行われていれば、教会はその弟の薬代を捻出できた。しかし、教会への優遇政策は打ち切られた。勿論、税率は半分になった上、市民への小麦の配分も行われている。しかし、教会が優遇されていた時に比べ、姉弟の取り分は少なくなった。結果、その薬代を捻出できなくなったというわけだ。

 兵士らは苦渋を深めながらも、その姉をさらになだめる。

「同情はする。……しかし、あれっぽちの小麦というがな……。あの小麦で命を救われた者もいるのだ」

「そうだ。あの小麦で俺の母親は冬を越せたんだ。それに税率も半分になった。これもすべてユリアヌス様のおかげだ。もし、ユリアヌス様がおられなければ、今頃、お袋は飢え死にしていた……」

「ふん! どうせ、無知な田舎者(パガヌス)だろう! そんなの死んで当然だ! だけど、弟はちゃんと教会に行って、礼拝を欠かさなかった! 立派なキリスト教徒だったんだ! それがどうして邪悪な異教徒(パガヌス)を喰わすために、死ななきゃいけないんだ!」

「「「…………!!」」」

 兵達の中に怒気が生まれた。ガリアにはその多神教徒(パガヌス)がまだまだ多いのだ。それを『死んで当然の邪教徒(パガヌス)』扱いされたのだ。腹を立てて当然だろう。。

 実際、「これだから、無信仰者(アテオ)は!」という声も聞こえてきた。多神教の神を認めない一神教徒――とりわけ、キリスト教徒は無信仰者(アテオ)と軽蔑されてもいたのだ。

 そこで、ユリアヌスは重ねて声を上げる。

「ローマは法治国家である! 故にその錯乱した狂女に手を出す事は許さぬ! 以上だ!」


   ***


 再び帰り道、ユリアヌスはもう一度唇をかんだ。

 ――……おそらく、彼女の話はすべて真実だろうな。

 実を言えば、当初ユリアヌスはこれが予算を削減された教会関係者による作り話ではないかと疑っていた。つまり、再び教会に予算が流れるようにするための芝居であると。

 しかし、それならば、多神教徒の怒りを買い、その一致団結を促すような発言はするまい。

 つまり、弟を(しの)ぶ姉の想いに偽りはないのだ。

 だから、トゥルートは言葉をかける。

「ユリアヌス……」

「方針は変わらない。……変えられない」

「……だろうな」

 あの時、少女に投げつけられた言葉はユリアヌスの死後まで付いて回る事になる。


「IOYΛIANOΣ AΠOΣTATHΣ! 背教者ユリアヌス(ユリアノス=アポスタテース)っ! 【背教者(アポスタタ)】ユリアヌスっ! 地獄へ堕ちろ!」


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