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義腕の少女

 トランの前に腰掛けた夢魔族(サキュバス)のカチュアは、興奮冷めやらぬ様子のまま冷たい米酒をぐいっとあおった。


 彼女がトランに好意を寄せていることは、トラン自身も気づいていたのだ。しかしそれは、幼い子によくある「年上の男の子に憧れる」といった一時的なものだと思っていたし、そこまで明確な恋心にまで育ってはいないと考えていた。


 何より、彼は本当に結婚する気がなかった。人に不幸を振りまいた自分が、どんな顔をして幸せを享受できるのだ、と考えていたのだ。


(ミュカの場合は……まぁ、見捨てるわけにもいかなかったからな)


 そもそも相手が格上すぎるため、断る選択肢もなかったのだが。そうでなければ、トランの意思は今も変わらなかっただろう。


「ルルゥ! あんたがついていながら、どうしてトラン兄に悪い虫がついてんの!?」

「ミュカっちは悪い虫じゃなくて残念な虫だよぅ」

「くっ、既に懐柔済み……あんたチョロ過ぎよ!」

「えへへぇ、そうかなぁ?」

「なんで嬉しそうなのよおおおおお!!!」


 ガミガミと喚き立てるカチュアを前に、トランはどうしたもんかと窓の外を見る。そこには、興味津々の顔で酒場を覗き込む子どもたちの頭がポコポコと並んでいた。


「……くっそ。楽しそうだなぁ」

「それでそれで、トラン兄! そのミュカッチってのはどれ!? どの子!?」

「ミュカだよ。そこで目を見開いてフリーズしてる女の子な。里に来たのも初めてなんだから、虐めるんじゃないぞ」

「い、虐めるわけないじゃん! トラン兄はあたしをなんだと思ってるのよ!」


 従業員の夢魔族(サキュバス)たちは、実に楽しそうな顔をしてカチュアを見ていた。彼女たちはみな色恋沙汰が好きで、修羅場が大好物なのだ。

 時おり里の男とともに仮眠室へ消える者はいるが、それ以外はみな目を光らせてトランたちを観察している。


 ちなみに、カチュアはまだ子供なので、男の夢を喰ったことはないらしい。思い返せば、『精神魔術はまだ練習中なの! 待っててねトラン兄!』と言われたこともあった。あれはやはり、彼女なりのアピールか何かだったんだろう。


「あんたがミュカね! ちょっとこっち来て」

「わ、わたくしですか?」

「他に誰がいるのよ! このままじゃ納得いかないわ。このあたしが直々に化けの皮を剥いでスッポンポンにしてやるんだから、覚悟してよね!」

「ぬ、脱ぎませんからね!?」


 カチュアはミュカの手を強引に引いてカウンターに腰掛けた。


 皆の視線は彼女たちに釘付けだ。鼻息の荒いカチュアの傍ら、ミュカは所在なさげにキョロキョロとあたりを見渡していた。


「リュー姉! あたしとこの子に熱燗とワインをひとつずつ!」

「はいはい。そう興奮しないの」

「今興奮しないでいつ興奮するのよ! 大興奮の興奮祭り開催だわ!」


 よく分からない祭りを捏造し始める始末だ。

 こうなったカチュアを止められる者はいない。トランは頭痛のするこめかみを押さえながら、端の方の目立たない席にそっと腰を下ろした。


 だが……。


「おうおう、来たな色男」


 トランの周囲には、ニヤニヤと愉しそうに顔を歪めた男たちが集まってくる。

 娯楽の少ない辺境の里。彼らに哀れな獲物(トラン)を逃がすつもりは欠片もないようだった。




 カチュアがこの里に来たのは五年前。

 当時の彼女には、左腕がなかった。


 戦火に巻き込まれた帝国の村を離れ、叔母の暮らすこの里へと辿り着いた時には、彼女は感情の抜け落ちた木偶人形のようだったらしい。片腕と両親を突然失ったことに、五歳の心では耐えきれなかったのだ。


 男を誘惑し夢を喰って生きる夢魔族(サキュバス)にとって、顔や四肢の損傷は他種族以上に致命的だ。リュイーダは姪のために高価な魔法薬を用意し、細かな傷のほとんどを治療した。


 だが、失った左腕だけは戻ることがなかった。


「あたしはね、トラン兄に大きな恩があるの」

「恩、ですか?」

「魔導義手。これ、本当の左腕みたいだけど、魔道具なんだ。神経も通ってるから、あたし自身もホンモノかと思うくらい。古代遺物(アーティファクト)のルルゥの体を参考にして、トラン兄があたしのために作ってくれたんだよ」


 カチュアは袖をめくり、手を開閉したり肘を曲げたりする様子をミュカに見せる。傍から見ても、まるで本当の腕のようにしか見えない出来栄えだ。


 ニッと口角を上げながら、彼女は愛おしむように自分の腕を撫でた。


「馬鹿なあたしは、初対面のトラン兄に生意気に噛み付くだけだった。酷いこともたくさん言って傷つけたの。それでもね、あたしのために寝る間も惜しんでコレを作ってくれたんだ……。将来を捧げようって思うには、十分すぎる理由だよ」


 トランがこの里に来たのは三年前。リュイーダから依頼された初めての仕事が、カチュアの義手作りだったのだ。


 罪悪感に潰されそうだったトランにとって、カチュアからの感謝は本当に嬉しいものだった。

 しかし、せっかく腕を手に入れたのだから、自分なんかにとらわれずに彼女自身の人生を楽しんでほしい。トランはそんな風に思っていたのだが……。


「あたし、トラン兄に恩を返すまでは死んでも成仏できないと思うんだよね」

「えっと、あの、死ぬ前提なんですか……?」

「むしろ死後の方がしつこくなるタイプだよ、あたしは! それにさ、人間いつ何があるか分からないじゃない? 日常って脆いのよ。覚悟もなく死んでうっかり成仏しちゃったらやりきれないもん」


 そう言ってカチュアは酒をあおる。

 幼い容姿のためジュースでも飲んでいるように見えるが、モノは紛うことなき熱燗だ。頬もほんのり色づいて、酔い始めているようだった。


「だから……だからね。大好きなトラン兄が幸せになるっていうなら、最終的にはいいの。あたしが奥さんになれなくても諦める。すっごく嫌だけど。たぶん泣いちゃうけど……」

「カチュアさん……」

「でもそれは、あたしがあんたを認めてからの話だよ! 半端な女がトラン兄の優しさにつけ込んで美味しい思いをしようってだけなら、絶対にあんたを排除するから! これからずーっと見てるからね、あんたのこと。もうストーカーかってくらい。ねぇわかった?」


 冗談めかした口調ではあったが、カチュアはいつになく真剣な顔をしていて、ミュカも真っ直ぐにそれを受け止めていた。二人は視線を逸らすことなく互いを見つめる。


「わたくし……頑張ります」

「……はぁ。もう……嫌んなっちゃう」


 カチュアは熱燗を飲み干し、大きなため息を漏らす。


「それにしてもなぁ……あたしがどんだけアピールしても靡かなかったのに。ミュカはどうやってトラン兄を落としたの?」

「……えっと、親の権力です」

「ズルーーーーーーーーーーーーーーーいッ!」


 それはズルい、反則だ。

 カチュアは叫びながら酔いを加速させていき、非常に面倒くさそうな感じでミュカに絡み始めた。周囲の盛り上がりも次第に大きくなっていく。


 トランとミュカを肴にした酒盛りは、まだ始まったばかりだった。


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