魔王と四天王
名無しの里に着くと、トランとミュカの二人は完全にぐったりしたままゾンビのように練り歩いていた。その原因は、件の熊耳メイドとミュカの喧嘩だ。
工房を出発した当初は、ルルゥのナビのもとトランが運転する魔導バイクでトレーラーを牽引していた。しかしそのうちに、トレーラー内で何やらミュカとユリシアの口喧嘩が始まったらしく、途中でミュカが飛び出してきたのだ。
『もう知りません。ユリシアのわからず屋!』
そこからは運転をミュカに任せ、トランがユリシアとともに二人きりでトレーラーに乗ることになったのだ。もちろん、ユリシアのトランへの態度は相変わらず酷いものであり、控えめに言っても車内は地獄のような雰囲気だった。
ちなみに大コウモリのバロンは、トレーラーの屋根の上でグースカと惰眠を貪っていた。呑気なものである。
「マスター、ミュカっち、大丈夫?」
「あぁ、悪いな。旅の準備を済ませたら、少し休もう。王都への出発は明日かな」
「そうですね……。今日は体力的に厳しいです」
そんな会話をしながら酒場の扉を開ける。すると、酒の匂いと陽気な笑い声が、いつものようにトランたちを迎え入れた。
酒場の客が普段よりも多いように感じる。よく見れば、盛り上がっている中心にいるのは夢魔族の店主リュイーダだった。
「あら、いらっしゃい! トランちゃんたち。えっと、後ろにいるのは……?」
「お初にお目にかかります。私めはユリシアと申します。ミュカお嬢様の専属従者で――」
「元従者です。リュイーダさん、里にこのユリシアも住まわせてもらいたいのですが、空いている家はありますか? 仕事も斡旋していただけると嬉しいです」
そうまくし立てるミュカの声には、妙な迫力が込もっていた。完全に目が据わっている。二人はいったいどんな喧嘩をしたのだろう。
トランは乾いた笑いを漏らしながら、腰の魔導ポーチからプレゼントの包みを取り出してリュイーダへと手渡す。
「相談ごともあるが……リュイーダ。まずはご懐妊おめでとう。無事に生まれることを祈ってる」
「そ、そうでした……おめでとうございます、リュイーダさん。元気な赤ちゃんを生んでください」
「リュイっち、おめでとー!」
「うふふ、三人ともありがとう」
リュイーダは受け取った包みを丁寧に開ける。
中から現れたのは、薄紫色の大きなワンピースであった。花を着ているような大胆なデザインで、胎児が育っても着られるようサイズ調整用の魔道具がついている。
デザインしたのはミュカで、実際に縫ったのはルルゥだ。トランは肩のあたりに魔道具をつけただけであるが、一応は三人の合作と言っていいだろう。
「あらあら、嬉しいわ! 着る服をどうしようか少し悩んでいたのよ」
そう言って笑うリュイーダの周囲で、集まっていた人々は口々に祝いを告げる。どうやら今日は皆、彼女を祝福するために集まってきたらしい。
失念していたが、今はちょうど春祭りの時期。
春の女神は生命を司っているため、この時期には新しく結婚した夫婦や、子を授かった女性、無事に生まれてきた子などを皆で祝う習慣があるのだ。神殿の前には食べ物の屋台も出ていて、街全体が幸せな空気に包まれる。
とりあえず、昼食をとろうか。
そう言ってトランが椅子に腰掛けると、プレゼントを抱えたリュイーダは体をくねらせながら近づいてくる。溢れそうな胸をトランにペトリと密着させ、耳元に顔を寄せた。
「うふふ……。あ、り、が、と。セクシーに着こなしてみせるから、楽しみにしててね♪」
「あぁ。でも、あまり体を冷やさないようにな」
リュイーダはポヨンと胸を揺らす。
「……有罪」
サッと後ろを振り返れば、そこにはトランのことをものすごい形相で睨みつけるユリシアがいた。
気を取り直して、昼食を待ちながらルルゥやミュカと雑談をしていると、酒場の奥から一人の少女が飛び出してきた。給仕姿のカチュアだ。
彼女はタタタタと走ってきたかと思えば、トランに勢いよく飛びつく。
「トラン兄ー! 今日は急にどうしたの?」
「あぁ、王都に行く予定を早めたんだ。補給のために寄ったんだが……出発は明日かな」
「じゃあ今夜は里に泊まるんだね。やったー!」
そう言って、空色のツインテールをトランの胸にグリグリ押し付けた。
「コホン……。カチュアちゃん、トランさんから離れてください。近すぎますよ」
「ちぇー、ミュカのヤキモチ焼きー! このくらいのスキンシップはいいじゃん」
「ダーメーでーす! それっ」
「うぅー、もうちょっとだけっ! 三秒だけっ!」
引き剥がされたカチュアがミュカを相手にわちゃわちゃと暴れていると、ルルゥはトコトコと歩いてきてトランの膝の上に収まる。
「そういえばマスター、カチュアっちの義手は?」
「あぁ、もう完成してる。あとで交換しようか」
「うわー、トラン兄ありがとー! 大好き!」
カチュアはそう言って、ミュカと絡まりながらトランに向かって投げキッスをした。
「……有罪」
妙な呟きは聞かなかったことにして……。
名残惜しそうに仕事に戻るカチュアを見送っていると、入れ替わるようにして別の人影がトランたちの前にフラフラと現れた。
鉤鼻族の鍛冶師エリィナだ。
どうも嫌な予感がする。
彼女は酒瓶を片腕に抱え込み、肩まで伸ばした月色の髪をグシャグシャに掻き乱していた。口の端から溢れた酒がカピカピに乾いて、綺麗な顔を見事に台無しにしている。
「あれぇ? ボク、トランくんが見えるよ……ついに妄想を具現化させる術を習得したみたい……ヒック……うへへへへへへへ……」
ニヘラ、と笑いながら、彼女は唐突に上着に手をかけ、服を脱ごうとし始める。周囲は必死になってそれを止めているが、彼女の怪力に振り回されて苦戦を強いられていた。
「にゅふふ……トランくん、しゅきー! トランくん、トランくん、トランくんトランくんトランくんトランくんトランくんトランくんトランくんトランくんトラントラントラントラントラントラントラントラントラン――」
人が宙を飛び、エリィナの目が狂気に歪む。
飛んできた靴下がトランの顔面を叩く。
「……有罪」
これは早々に退散したほうがいいか。トランがそう思っていると、そこでひとつの人影がサッと動いた。
丸耳族の治癒師ジルだ。ショートカットの黒髪に白メッシュ、丸い眼鏡をかけた女の子である。
彼女は白衣を翻し、暴れるエリィナの顔面をガッと掴んだ。耳元で何かを囁く。そして――。
「……ククク、眠りなさい。生命魔術、睡眠」
「ふにゅっ」
エリィナは床にドサリと崩れ落ちた。
場を収めたジルは、医師ジークの孫娘だ。
トランと同じ十八歳。まだ医学を勉強中の身ではあるが、様々な生命魔術を身につけている。簡単な怪我の治療などはお手の物だ。
噂によると、カチュア、エリィナと並ぶ「トラン嫁候補四天王」のひとりらしいのだが。
「あらトラン、いたの?」
「あぁ。なんというか……相変わらずだな」
ジルは人体を弄るのが大好きで、隙あらば人に魔術をかけようとする。今もエリィナを肩に担ぎ、どこかへ連れさろうとしていた。
今回のように「エリィナの暴走を止める」などの大義名分があれば、周囲も怒るわけにもいかないのだ。里の者はできるだけ、彼女へ不用意に近づかないようにしていた。
「クククク……。ねぇトラン。今度また貴方の体をじっくり調べさせなさい。あーんなところから、こーんなところまで……隅から隅まで、じっくりと、ね。ククククク」
そう言って、ジルは意味深な笑みを浮かべる。
「……有罪」
トランは過去に三度ほど、気がついたら彼女の研究室に寝かされていたことがある。何をされたのかは今でも謎のままだ。
……知らない方が幸せなこともあるだろう。
「ねぇねぇマスター」
「ん? どうしたルルゥ」
「マスターの嫁候補四天王ってことはさぁ。カチュアっちと、エリィナっちと、ジルっち。その他に、もう一人いるってことだよね?」
「そういえばそうだな」
トランに思いを寄せる女子が、この里にもう一人いるらしい。トランとしては心当たりはないし、具体的な噂話も聞いたことがないのだが。
そうやって、ルルゥとともに首を傾げていた時だった。
「わっはっは、ようやく気づいたか! 我こそは最後の四天――」
「もう我慢なりませんっ! ミュカお嬢様、あの男をご覧くださいませっ!」
何者かの発言を遮ってガバッと立ち上がったユリシアは、熊耳をピクピクさせながらミュカのそばに駆け寄る。
「有罪有罪有罪ッ! この男はお嬢様を誑かすだけでは飽き足りず、こんなに大勢の女性と淫らな関係を……! やはりお嬢様に相応しい男ではありません。どうかご結婚はお考え直しください!」
ユリシアのそんな訴えに、ミュカの目からハイライトか消える。そのまますっと立ち上がり、人差し指でまっすぐユリシアを差して――。
「――魔力起動」
濃密な魔力をその身に纏った。
立ち込める冷気に、酔いから醒めた客がブルリと震える。酒場の空気は凍りつき、皆が息を呑んでミュカのことを見つめた。
「魔王……」
どこからともなく聞こえてきた呟きが、酒場中にやけに大きく響く。
ザワリ……。
一瞬のざわめきのあとで、人々は静かになる。
それは名無しの里において、ミュカのあだ名が「魔王」に決定した瞬間だった。嫁候補四天王よりも上位の存在として、これ以上なくしっくりくる名である。
あとでミュカがどんなに必死に撤回させようとしても、涙目で拒否したとしても、もうこの流れは止められないだろう。
「わたくし、言いましたよね。これ以上、トランさんを貶める発言をすれば……絶対に許さないと」
「し、しかしお嬢様、あの男は」
「まだ何か言うつもりなのですか……?」
ミュカの周囲に魔術陣が展開され、手のひらに魔力が収束していく。
「――現象魔術、凍結……」
そこで、彼女の魔力が霧散する。
止めたのは、他でもないトランだった。
背後から彼女を抱きしめたのだ。
「ミュカ、そこまでだ」
「トランしゃん……あ、あの……」
「この場には妊婦もいるんだ。あまり冷気を放出するのは良くないだろう。一度、落ち着こう」
「あ……そうでした……」
ミュカは体から力を抜き、トランの方へと向きなおる。彼の胸へと顔を埋め、上着をキュッと掴んで小さく肩を震わせた。
「……ありがとな。俺のために怒ってくれて」
「いいえ。醜態を晒してしまい申し訳ありません。トランさんをあんな風に言われ、悔しくなってしまい……。どうしても堪えきれませんでした……」
トランはゆっくりとミュカの頭を撫でる。
トレーラーでの喧嘩もおそらく、トランに関する話題でユリシアと衝突があったのだろう。喧嘩をさせてしまったのは申し訳なく思うが……。
二人のそばにテクテクと歩いてきたルルゥは、トランの服をちょんちょんと引っ張る。
「ねぇ、マスター、ミュカっち。気づいてないかもしれないけど、みんなに見られてるよぅ」
「ふぇっ」
「あぁ、視線はなんとなく感じてる。が……とりあえず、このまま顔を上げないで酒場を出ようと思うんだが、引っ張って先導してくれないか」
「わかったよぅ。世話の焼けるマスターだねぇ」
そうして、真っ赤になった氷の魔王と、女たらしの天才魔道具職人、最強の世話焼き魔導人形……そう噂される三人は、そそくさと酒場をあとにしたのだった。





