旅立ちの準備
夕暮れが迫り、あたりは薄暗くなってきていた。
魔道具工房の裏手に置かれているのは、倉庫のような金属製の箱だった。薄灰色のボディにはいくつか扉があり、下部には車輪も付いている。この世界では見慣れないデザインだ。
「……足まわりは問題なさそうだな」
立ち上がったトランは、小さな満足感とともに箱の表面を撫でた。
これは、魔導バイクで牽引するトレーラーだ。
前の世界で言えば、キャンプ用のトレーラーハウスに似たものだろうか。中には生活用の魔道具が効率的に配置されており、長旅の中でも快適に生活できるよう工夫を凝らしてあった。
ミュカを連れて王都に行くのに、さすがに魔導バイクの二人乗りでは大変だろうと思い、冬の間にコツコツと作っていたのだ。
「マスター、キッチンはだいたい大丈夫だよ」
そう言って、トレーラーの扉からルルゥがひょいと飛び出てきた。そのままトランの方へトコトコと駆けてくる。
旅の間の家事などは基本的にルルゥに頼るつもりなので、使い勝手に関しては彼女の意見を大きく取り入れている。エネルギーとスペースの節約をテーマにしたエコ設計である。
「それにしてもマスター。なんか急に出発を決めたみたいだけど、どうしたの?」
「あぁ、大したことじゃないんだがな。あの熊耳メイドが、少し気になることを言っていたんだ」
曰く、ミュカには護衛が必要なのだと。
詳しいことは言えないらしいが、ユリシアが側にいて守っていないと危険な状況だ、というのが彼女の言い分だった。
つまりは、ユリシアを雇ってこの工房に住まわせるべきだと言いたいらしい。
「うーん、それってホント……?」
「さぁな。ミュカの側にいたくて大げさなことを言ってる可能性もある。ただ、もしそれが本当だとしたら」
――ミュカの身を誰かが狙っている。
だとすれば、この工房で手をこまねいて待っているより、さっさと移動してしまったほうが敵もやりづらいだろう。そう判断し、トランは早々に出発を決めたのだった。
「明日の朝にはここを出て、名無しの里で補給をする。そのまま王都に発とう」
「うん、わかったよぅ。そうしたら、今のうちに補給品をリストアップしておくね」
あれこれとメモをとり始めるルルゥ。
トランはそんな彼女の頭をポンと撫でる。
「いつも悪いな、ルルゥ。頼りにしてる」
「ふふ。人形づかいの荒いマスターだよぅ」
トランの脛のあたりをツンツンと突き、ルルゥはご機嫌そうにその場を去っていった。
ひと通りの整備が終わったら、トレーラーの貨物部へ積み込みを始めるつもりだ。
魔道具工房は留守の間のセキュリティも万全にしてあるが、危険なものや高価なものはできるだけ残していかない方がいい。積み荷は相当な量になるだろう。
それはトランが内装のチェックや手直しを行っているときだった。
コンコン。
ノックの音に返事をすると、現れたのはエプロンを身に着けたミュカだった。大事に抱えている盆の上には、不器用そうに丸められたおにぎりや湯気のたつ薬草茶が乗っている。彼女が用意してくれたものだろう。
トランの腹がグゥと鳴る。
今になって、夕飯をとるのも忘れて作業に没頭していたことに気がついたのだ。
「トランさん、少し休憩しませんか?」
「あぁ、ありがとう。手間をかけさせて悪いな」
彼女がテーブルに盆を置くのにあわせ、トランも席に座る。
結局今夜はユリシアとバロンが工房に泊まることになった。ただ、トランは両者から妙に敵視されている節があったので、夕飯は別に持ってきてもらうことにしていたのだ。
いただきます、と手を合わせる。
おにぎりを手に取って、一口囓り――。
「……美味いな。また腕を上げたか?」
「あ、ありがとうございます! よかった……」
それは掛け値なしに美味いおにぎりだった。
口の中でほろほろと崩れる米飯。混ぜ込まれた焼き魚や岩海苔からは程よい塩気が出ていて、ゴマの風味がふんわりと鼻を抜ける。シンプルながら旨味の強いおにぎりに仕上がっている。
腹が減っていたのもあって、つい口一杯におにぎりを詰め込んでしまったトランを見て、ミュカは嬉しそうにお茶の湯呑を差し出した。
そんな風に食事をすることしばらく。
「……嫌われていると思っていました」
ミュカがぽつりと呟いた言葉に、トランは首を傾げた。
何についての話題だろう。そう思っていると、ミュカは慌てたようにペコリと頭を下げ、それからゆっくりと話し始めた。
「ユリシアには嫌われていると思っていたんです。実家にいた頃はずっと、彼女はわたくしに厳しかったので……。それに、わたくしの側にいるせいで、他の使用人からも距離を置かれていましたし。恨まれているのではないか思っていたのですが……」
ユリシアとは幼い頃からの付き合いらしい。
だが、ミュカが厳しい勉強や訓練に心折れそうになっていた時も、貴族学校で周囲から距離を置かれていた時も、また婚約者であった第三王子に邪険に扱われた時にも、彼女の態度は一切変化しなかった。
彼女はいつも「気高く振る舞ってくださいませ」と冷たく言うばかり。決して優しい言葉をかけてくれることはなかったのだという。
「……だから、少しだけ嬉しかったんです。ユリシアがバロンと一緒に、こんな辺境にまで来てくれて」
「そうか」
「それでも、今日のトランさんに対する暴言だけは許せませんけれど。ちゃんと撤回してくれるまでは、わたくしは塩対応に徹するつもりです」
フンスと鼻息を荒くするミュカに、トランは苦笑いで「ほどほどにな」と伝える。
考えてみれば、この工房に来た頃のミュカはこんなに感情を見せることはなかった。それは、実家にいた頃の環境がそうさせていたのだろう。
ユリシアにしても、今はまだアーヴィング家で過ごしていたときの感覚が強すぎるのだと思う。現状で一緒に暮らす選択は難しいが、何かしら良い関係を築けるようになれば良い。トランはそう思っていた。
あれこれと話をしながら、あらためてトレーラーの内部を見渡す。
内装については、ルルゥに使い勝手を相談する傍ら、ミュカにはデザインを依頼していた。
というのも、トランが考える魔道具にはどうしても「作りやすさ」「整備のしやすさ」という目線が入ってしまうのだが、ミュカは純粋に「使いやすさ」「見た目の良さ」を重視してデザインしてくれるためだ。
結果、出来上がりの品質は格段に向上した。
技術的な問題もあるため、ミュカの考えたそのままを実現できるわけではない。しかし、トランとしても魔道具の機能部分に集中することができるので、作業負荷が軽くなったのも事実だ。
「そういえばトランさん。貨物区画は空間圧縮の魔道具になっていますが、居住区画は同じようにはできないのでしょうか」
「それは、人間のいる空間を圧縮できないか、ということか?」
「はい。考えてみれば、魔導袋なんかにも生き物は入りませんよね……。なにか技術的に難しいことがあるのですか?」
魔導袋をはじめとする空間圧縮の魔道具は、高価ではあるが比較的一般的なものだ。
魔物の中には、体の重量や食事量が大きいにも関わらず、身軽さを必要とするものがいる。特に空を飛ぶ肉食の魔物などは、概ねその例に当てはまるだろう。
そういった魔物の魔導核には、胃の内容物を空間圧縮により軽くする魔導が組み込まれていることが多かった。
魔道具な空間圧縮もその魔導機能を利用したものであり、そもそも生きている対象を圧縮する想定はされていないのだ。
「ミュカも魔術を使うからわかると思うが……例えば、生き物の体内に魔術を直接発生させることはできないだろう?」
「あ……固有結界ですか」
「そうだ。生き物はみな体表面に強固な結界を張っていて、体内は固有結界領域になっている。それを突破するのは、魔術でも魔道具でも困難なんだ」
仮の話だが、もし体内に直接魔術を発生させることが可能なら、狩人の仕事は獲物の肺に水分を生み出すだけで事足りるだろう。
もちろん例外もあり、神経に作用する精神系統、体内の機能に作用する生命系統の魔術・魔導には、条件付きではあるがこの固有結界を突破するものもある。
一方で、空間圧縮のような時空間系、身体周辺に纏う装甲系、攻撃魔術のような現象系の魔術・魔導などについては、生き物の体内に直接作用させることは難しいのだ。
「ちなみに同じ理由で、魔導袋をさらに別の魔導袋に入れることも無理だな。二重に圧縮はできないんだ」
「なるほど、いろいろと制約があるのですね」
ミュカはいろいろと納得できたようで、手のひらをポンと叩いて頷いた。昔はトランも裏技的なモノがないかいろいろと試したが、世の中そうそう都合よくはできていないようである。
あれこれと雑談をしているうちに、ミュカが持ってきたおにぎりもなくなり、お茶の湯呑も空になっていた。トランの腹もすっかり満たされ、トレーラーには穏やかな空気が流れている。
「さて……夕飯ごちそうさま。ありがとな」
「いえ。美味しそうに食べていただけて、嬉しかったです。頑張って作ったかいがありました」
トランは席を立ち、ミュカのそばへと寄る。
微笑んでいる彼女の頭をポンと撫でた。
「今日はまだトレーラーの整備に時間がかかるんだが……先に夜の吸血を済ませておくか」
「あの……はい。トランさんがよろしければ」
ミュカは照れくさそうに立ち上がると、トランの着衣に手をかける。ワインを飲んでいない今日のような日は、朝と晩に吸血をするのがここ最近の生活サイクルだった。
まだ少し寒さの残る春の夜。
静かなトレーラーの中に、ためらいがちな衣擦れの音が響く。
「…………失礼します」
少し恥ずかしそうなミュカの言葉とともに、見つめ合う二人の影が重なる。
カタン。
トレーラーの外で何かの物音がしたが、そのことにトランとミュカが気づくことはなかった。





