駄目な方の箱入り娘
素晴らしい妻の第一条件は、美味しいパンを焼けることだ。
そんな言葉を残したとされる豊穣の女神は、確かに世間では理想の妻だと言われている。酒場などで不定期に開催される「嫁にしたい女神ランキング」では、ほぼ毎回一位を獲得していた。余談だが、彼女は乳の大きさでも有名である。
「申し訳ありません。トラン様の妻として、美味しいパンを焼こうと思ったのですが……」
食卓の上の籠には、件の吸血少女が意図せず作ってしまったらしいポップコーンが山盛りに入っていた。
何やら渋い顔をした魔導人形は、籠の横にドカッと腰を下ろし、卓上魔導灯のスイッチを入れて容疑者の顔をカッと照らす。
「ルルゥ様……? ま、眩しいです」
「さぁ、素直に吐くんだよぅ。どうやったらパンを作ろうとしてポップコーンになっちゃうの?」
「は、はい……」
なぜか刑事ドラマ風のノリである。
明るいうちに魔導灯を使うのは完全にマナ結晶の無駄遣いだ。ただ、節約にうるさいのはどちらかと言えばルルゥの方なので、トランは二人のやりとりをのんびり眺めているだけだった。
「その……わたくしの専属従者だった者から、聞いたことがあるのです。パンの材料はトウモロコシで、香ばしい匂いがするのは焼いているからだと」
「ほぅほぅ」
ミュカの自供を聞きながら、ルルゥは手に持った手帳にふむふむとメモを始めた。供述調書のつもりだろうか。
パンと言っても、この地域でよく食べられているのはトウモロコシ(に似た穀物)の粉をベーキングパウダーで膨らませるものだ。食感としては、ホットケーキや蒸しパンに近いだろうか。
米や小麦も普通に食べられているが、伝統的にはトウモロコシの方が主流だった。
「……ですから、フライパンにトウモロコシを入れて焼けばパンになると思いまして。けれど、トウモロコシが破裂して、別のモノができてしまって」
「あー、なるほどぉ。うーん」
「もしかして材料が足りませんでしたか? お砂糖なんかも一緒に焼けばパンになったのかも」
「それじゃ甘いポップコーンができるだけだよぅ」
「そうですか……。料理とは難しいものですね」
しょぼんとしているミュカの回答に、トランとルルゥは顔を見合わせ、コクリと頷きあった。
――この娘、駄目な方の箱入り娘だ。
ルルゥは魔導灯のスイッチを切ると、やれやれといった仕草で説明を始める。ミュカはゴクリと息を呑んで佇まいを直した。
トランは黙って薬草茶を口に含む。
「あのね。パンを作るには、まずトウモロコシを粉にするんだよ」
「粉というと……素手で粉砕するんですか?」
「その回答ですでに心が粉砕されそうだけど、がんばって説明を続けるよぅ。トウモロコシ粉にヤギ乳や卵やバターやなんかをいろいろ入れて、あと膨らませるためにベーキングパウダーを入れるんだ。で、それをコネコネしてパン生地にするの」
「あわわわ……そんな複雑なことを」
ミュカは目をまんまるに見開き、ぽかーんと開けた口から鋭い牙を覗かせる。貴族令嬢らしからぬ間の抜けた顔だ。
ルルゥは大きな身振り手振りで説明を続ける。
「そのパン生地を丸くまとめて、オーブンでこんがり焼くんだよぅ。普通の家では火を使うことが多いけど、この家にはマスターが作った魔導オーブンがあるからカンタンにできるんだぁ」
「なるほど……わかりました。さっそくやってみますね。まずはトウモロコシを素手で粉砕」
「――待て待て待てぇいっ!!!」
シュッシュッと唐突にシャドーボクシングを始めたミュカを、ルルゥは慌てて抑え込む。方向性は完全に間違っているが、どうやらチャレンジ精神だけは豊富にあるらしい。
なんだか楽しそうだな。
トランは盛り上がっている二人を眺めて欠伸をしながら、今日の仕事について考え始めた。
修理予定の魔道具は、魔導式卓上計算機だ。
これはトランが作った初期のデジタル魔道具で、魔導陣で作った論理回路を組み合わせて四則演算を可能にするものだ。扱える数値は8桁までだが、それでも世間に与えた衝撃は十分だったらしい。
前世の知識を元にしているとはいえ、流用できるのは論理演算の理屈くらいだ。魔導回路は下手に組むと思わぬ挙動を示す。マナの特性も電気とは異なるため、まったく同じとはいかなかった。
デジタル魔導回路は、古代遺跡や古代遺物を研究することで、ようやく作り出すことのできた技術なのだ。
(そういえば、ルルゥを手に入れたのも、デジタル魔導回路を研究してる時だったか……あのときのルルゥは酷くボロボロになってたよな)
彼女を修理するのは苦労したが、それによって得た技術も多い。それらの努力が実りデジタル魔道具が完成した時の達成感は、非常に大きいものだった。
だがこの魔道具がキッカケで多くの人の仕事を奪うことになったのもまた事実だ。
影響があったのは魔道具職人だけではない。卓上計算機ひとつとっても、算盤業界は大きく縮小することになり、計算士という職業はすっかり不人気職に成り下がった。
あれこれと思案に暮れているトランのもとへ、ルルゥがテクテクと歩いてくる。
「マスター、それでいいかなぁ?」
「ん? あ、悪い、全然聞いてなかった」
「んもぅ! マスターってばぁ!」
ルルゥはトランのひざに飛び乗ると、彼の胸のあたりをポコポコと叩いてきた。物理的にはまったく痛くないのだが、なんとなく申し訳なくなって頭をポンポンと撫でる。
「もぅ! そんな風にマスターに頭ポンポンされたら誤魔化されちゃうに決まってるよぅ。ふへへ」
「チョロいな」
「でしょでしょ。それでねマスター。今日一日、ミュカっちを借りてもいい?」
「ミュカっち……?」
「家事能力を見せてもらうことにしたんだよぅ」
家事能力? と疑問に思っていると、いつの間にか近づいてきていたミュカは、トランに向けてペコリと頭を下げた。
「わたくしの今の実力をルルゥ師匠に見ていただいて、少しでもお役に立てることを探そうと思うのです。申し訳ありませんが、今日一日は師匠のもとで修行させていただきたくて」
「師匠……?」
「はい。ルルゥ師匠に教えを請い、一日でも早くトラン様にふさわしいちゅまに……」
かぁっと顔を赤くして、モジモジと足を擦り合わせているミュカ。その様子になんだか気恥ずかしくなったトランは、小さく咳払いをして視線を逸らした。
「くぅ! 油断も隙もないんだよぅ。マスターの奥さんとして見込みがあるかどうか、私がきっちり見極めるんだからねぇ! 覚悟するんだよ?」
「はい! よろしくお願いします、師匠」
「私はすっごく厳しい師匠だからね。あ、そういえば、ミュカっちは夕飯のリクエストある?」
「ふぇ!?」
短時間で随分仲良くなったな。
トランはうんうんと頷きながら、膝上のルルゥを床におろし、ポップコーンの籠に手を伸ばした。
ポップコーンには塩気どころか味が何もついておらず、口内がパサつく。それでも、
(……こういうのも悪くないかもな)
ルルゥとミュカの賑やかな様子を見ながら、トランはそう思い始めていた。





