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平和なお茶会

――春の女神様の息吹は、命を芽吹かせる。


 春祭りの時期を迎え、各地の神殿は新しい年の幕開けを祝う人でごった返している。女神様の祝福を得て子宝を授かろうと、新婚夫婦や子のできにくい種族の夫婦などが神殿参りをすることも多かった。


「それでね、リュー姉がついに妊娠したみたいでさ。何事もなければ、秋の終わりくらいには赤ちゃんが生まれるんだって!」


 興奮したように話すのは、夢魔族(サキュバス)のカチュアだった。どうやら、彼女の叔母であり、名無しの里を取り仕切っているリュイーダが、ついに腹に子を宿したらしい。

 横に座る鬼角族(オーガノイド)のキリコは、顎に手をあてて首をひねった。相変わらずの無表情だが、その目は興味深そうに揺れている。


「リュイーダの旦那さんは巨人族(ジャイアント)だったはず。お腹、どのくらい大きくなるの?」

「わかんないけど、問題はないらしいよ! ほら、あたしらって女しかいない種族じゃん。結婚相手は他種族ばっかりだし、前例はあるみたい」


 そんな会話が繰り広げられているのは、トランの魔道具工房のリビングだ。今日はカチュアとキリコを招いて、ルルゥとミュカがお茶会を開くつもりらしい。


 ミュカは目をキラキラと輝かせてスケッチブックを取り出した。


「安産祈願も兼ねて、リュイーダさんに何かお祝いを贈りたいですね。なにがいいでしょう……ルルゥ師匠は何か思いつきますか?」

「うーん。食べ物は好みが変わるって言うし……すぐには出てこないなぁ。マスターは?」

「そうだな。まぁ、俺も少し考えておくよ」


 そう言って、トランは椅子から立ち上がった。

 女子会に同席する趣味もないので、早々に作業室へ引き込もるつもりだったのだ。そこまで急ぎではないものの、修理を頼まれている魔道具もある。


「あ、トラン兄、待って待って。別件でちょっと相談なんだけど」


 去ろうとするトランをカチュアが引き止めた。


「あたしの義手のことなんだけどね。ほら、あたしの体さぁ、最近ちょっと成長してきたじゃん? 左右の腕のバランスが悪くなってきちゃったんだ。義手の長さを調整してほしくて」


 彼女は服の左袖を捲る。

 トランが作った魔導義手はやはり本物のような見た目をしているが、言われてみれば確かに体に対して短いような気もする。


 自分でもある程度は長さを調整できる構造だが、さすがに成長期だけあって、腕を作った三年前からは彼女の体つきもずいぶん変化している。そろそろ交換してもいい時期かもしれない。


「わかった。じゃあ、体のサイズを測ろうか」

「うん! あたしのスリーサイズはね――」

「ルルゥ、計測は頼んだ。俺は腕の準備を」

「うわぁぁぁぁぁん、少しは聞いてよーっ!」


 カチュアの空色のツインテールがブンブンと暴れる。

 そんな彼女の横で、ルルゥは椅子によじ登るとメジャーをシャッと伸ばした。服を作るのが趣味なこともあり、こういった計測はお手のものだ。


「はいはいカチュアっち、大人しくするんだよぅ」

「せっかくちょっと育ってきたのにぃぃぃ! トラン兄にアピールするチャンスがぁぁぁ」


 いつものように騒がしい彼女に、トランは思わず苦笑いを漏らした。ミュカと仲良くなった今でも、彼女がトランへの恋心を放棄する様子はなさそうだ。


(早く他の男に目を向けたほうが建設的だと思うんだけどな……なんて、俺からは言えないか)


 頬をポリポリと掻いたトランは、ふと隣から視線を感じて振り向く。そこにいたのはキリコだった。


「……トラン」

「どうした、キリコ」


 彼女はトランの顔をジッと見つめていた。

 そしてその視線を、首元へスッとずらす。


「首の噛み痕。それ、ミュカが血を吸ったやつ?」


 その言葉に、リビングの空気が固まる。暴れていたカチュアも黙り込み、なんとなく気まずい雰囲気が流れ始めた。


 トランは急に火照ってきた顔をパタパタと扇ぐ。

 ふとミュカに目を向ければ、彼女も顔を真っ赤に茹で上げてトランを見返した。二人は見つめ合ったまま、同時にコホンと咳払いをする。




 トランが血の提供を決意した、吹雪の夜のこと。


 薄暗い寝室で、二人は毛布に包まっていた。服を血で汚さないよう、トランは上半身に何も纏わず素肌を晒している。ミュカはそんな彼をキュッと抱きしめ、胸板に顔を寄せた。


 はぁはぁと荒いのは、どちらの息遣いだろう。


 しばらくそうしているうちに、強張っていた体からは少しずつ力が抜け、体温がゆっくり馴染んでくる。


『トランさん……そろそろ始めますよ?』

『あぁ、ミュカ。いつでもいいぞ』

『……はい。失礼します』


 ミュカはトランの首筋に唇をあてると、遠慮がちに舌を出し、チロチロと舐め始めた。


 吸血族(ヴァンパイア)は吸血を行う前にまず、噛み付く場所をこうして舐めるのだ。

 彼女たちの唾液には、痛覚を麻痺させる効果がある。それを十分に馴染ませてからでないと、牙を刺し入れた際に激痛が走るらしい。


 顔の前で揺れる銀色の髪を、トランは無意識に撫でていた。ほんのり香る髪の匂いと、くすぐったいような心地よさ。不思議な気持ちのまま彼女の手を取り、指を絡める。

 そうしていると、次第にミュカの舌からも緊張が抜け、動きが大胆になってきた。


『はぁ、はぁ……トランさん』

『……ミュカ』

『トラン、さん……』


 首筋を這う柔らかい感触。

 ペチャペチャと響く小さな水音。


 どれほどの時間が経っただろう。

 トランの首は痺れたようにボウッと熱くなり、心臓はドクドクと血液を送り出している。ミュカは絡めていた細い指をゆっくりと解き、トランの胸板を愛おしそうにツッとなぞった。


 ミュカは顔を上げ、潤んだ瞳でトランを見る。

 二人はコツリと額を突き合わせる。


『確かにこれは、赤裸々に話すには恥ずかしいかもしれないな。吸血、ずっと我慢してたんだろ……気づいてやれなくて悪かった』

『いえ……。本当はもっと早くに言うべきでした。トランさんの血を吸いたいって。結局何も言わずに倒れてしまって、ご迷惑を……』


 ミュカは両手でトランの顔を包む。

 トランは彼女の髪を撫でながら、細い背中をそっと抱き寄せた。


『……あなたの血を、吸わせてください』

『あぁ、俺で良ければ』


 汗ばんだ視線が交差し、ミュカの顔が再びトランの首元に埋まる。


 カプリ。

 鋭い牙が刺し入れられ、首筋をちゅうちゅうと優しく吸われる。ミュカの喉はコクリと鳴り、トランの体液を飲み下していった。




 そんなことを思い出しているトランの視界で、カチュアは槍のような尻尾を全力で振り回し、何やら怪しい踊りを踊っていた。


「トラン兄っ! ストップストップ! 一回それ考えるの止めよう? すっごくダメな顔になってるよ、ホントに待って」

「ん? あ、あぁ……」

「あのほら、そう魔導義手! 新しい義手につけて欲しい機能があるんだよ、だからちょっと相談に乗って欲しいんだけど……ねぇ聞いてる? ミュカもほら、お茶淹れてくれるんでしょ?」


 強引に思考を引き戻されたトランは、後頭部をクシャクシャと掻いて椅子に座る。なんとなく気恥ずかしくなって、話題を逸らすようにキリコへと話しかけた。


「キリコ。そういえば最近ソウリュウを見かけないが、どこかへ行ってるのか?」


 その問いかけに、キリコはコクリと頷く。

 この頃は彼女がひとりで行動している姿をよく見かけるが……。


「師匠は一時的に王都に帰ってる」

「王都?」

「軍部が慌ただしく動いてる。トランにも気をつけるよう伝えておけ……って言ってた」


……どうも最近、気になる噂が多くなってきていた。


 戦争をしたがっている帝国。何やら裏で動いている王国やアーヴィング家。それから、南にある連合国でも妙な事件が起きているらしい。

 この春には一度、トランも王都の魔道具ギルドを訪れる必要がある。可能な限り面倒ごとは避けたかったが……なんとなく、そう都合よくは行かないような気がしていた。


「ミュカっち、これお茶っ葉じゃないよぅ! 便秘のときにお腹をユルくするゲーリィ草!」

「ふぇっ!? あわわわわわわわわわわ」

「うわぁぁぁぁぁ、飲んじゃったじゃないっ!」

「……わたしは匂いで気づいた。セーフ」


 あんまり考えすぎても仕方ない、か。


 とりあえず今は、この工房を流れる平和な時間に浸っていよう。そう思い、トランは小さく笑みを浮かべた。




 そんな騒がしいお茶会から、数日後。

 よく晴れた気持ちのいい日だった。


 トントン、トントン。

 玄関の戸が静かに叩かれる。


「マスター、お客さん?」

「来客予定はなかったはずだが……」


 トランはすっと立ち上がり、リビングを出た。


 厄介な客でなければいいと思いながら、少し諦め気味にため息を吐く。わざわざこんな山奥に来るのだ。多かれ少なかれ、何かしらの事情を抱えている可能性は高いだろう。


 玄関の戸をガラガラと開く。


「……お初にお目にかかります。トラン・ブロン・デジタライズ様」


 そこにいたのは、大柄な熊耳メイドだった。


 頭の熊耳は熊手族(ウェアベア)の証だ。紅茶色の髪をショートカットにして、黄色の瞳に四角い眼鏡をかけている。歳はミュカとそう変わらなそうだが、メイド服に包まれた身体はトランよりひと回り大きい。


 彼女はメイド服の裾をつまみ、優雅に一礼する。


「私めはミュカお嬢様の専属従者をしておりました、ユリシアと申します。それから……」


 ピュゥイッ。

 指笛の音に呼び寄せられるように、なにやら大きな影が空から降りてきた。体長五十センチほどのそれは、バサリと羽をたたみ、ユリシアの足元で蹲る。


「……コウモリ?」

「はい。こちらはミュカお嬢様のペット、大コウモリのバロンでございます」

「キュイィィィ」

「はぁ……」


 従者のユリシアと、ペットのバロン。

 戸惑うトランの前で、彼女は再び深々と頭を下げた。


「どうか私どもを、トラン様のもとでお雇いいただけませんでしょうか」

「キュッ!」


 生ぬるい風がトランの頬を撫でる。

 突然の来訪者とともに、今また新しい季節が始まろうとしていた。


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