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暖炉に薪を

――結婚生活とは、暖炉に薪を焚べるようなものである。


 愛の女神が言うには、あまりに激しく燃え上がる夫婦は、燃え尽きて冷え固まるのも早いのだという。薪を切らさぬよう気をつけながら、小さな火をじっくり育てるのが長続きのコツらしい。


 そんなことを思い出しながら、十四歳の少女ミュカは胸のあたりをキュッと押さえ、小さくため息を吐いた。


「少し……火力が強すぎますかね……」


 絵筆を動かしていた手を止める。

 窓の外を見れば、舞い落ちる雪は先ほどよりも大粒になってきていた。


「トランさん……。大丈夫でしょうか」


 スケッチブックには、一人の青年の姿が何枚も何枚も描かれていた。少しクセのある黒髪と、怒っているように見えて実は優しい翡翠色の目。


 この一ヶ月の間、彼女はトランの絵を密かに描き溜めていた。


 魔道具を修理する真剣な横顔。魔導バイクに跨がる凛々しい背中。少しだけ口角を上げ、照れくさそうに頬を掻いている様子。白いタキシードを着て花束を持った――彼女がひっそりと空想している、将来の姿。


「……これは誰にも見せられませんね」


 そう言ってほんのり頬を赤らめ、大切そうにスケッチブックを閉じる。


「はぁ。血を吸わせてください、だなんて……はしたないこと、言えませんよね……」


 魔導ストーブを全開にしても底冷えするリビングで、彼女は目を閉じて、再び小さくため息を吐いた。


 そうやってゆっくり過ごしていると。


 コンコン。

 ノックの音がして、小さな人影が入ってくる。


「ミュカっち、気分はどう?」


 ミュカの師匠をしている魔導人形のルルゥは、心配そうな声色で彼女のそばへと寄る。手に持った盆に乗っているのは、白い湯気の立ちのぼる薬草茶だった。


「すみません、またご迷惑をおかけして」

「まったくだよぅ。自分の体は大事にしなきゃダメだよ? 私みたいな人形と違って、簡単に修理できるってわけじゃないんだから」


 そう言うと、ひょいひょいと脚立を駆け上がり、慣れた仕草で湯呑みをコトリと置いた。


 窓の外は薄暗く、風も強まってきている。ミュカが初めて工房を訪れた日と比べれば、まだ穏やかな方ではあるが……。


「ルルゥ師匠は……」

「ん?」

「どんな風にトランさんと出会ったのですか?」

「……そうだねぇ」


 ルルゥは窓の外を見て、小さく笑みを浮かべた。


「私はねぇ。王都の路地裏に打ち捨てられていたんだよぅ……」



 通常、魔導人形は卵型の魔導装置として遺跡から発掘される。オークションでは高値でやり取りされ、その多くは貴族や好事家のもとで仕事をしていた。


 修理できる技術者が存在しないことから、壊れてしまえば基本的には破棄されるのみ。五歳のトランが拾ったのは、そんな風に捨てられているボロボロの魔導人形だった。


『お願い……私を壊して……終わらせて……』

『魔導人形……? 大丈夫か?』

『もう消えたい……もう……』


 トランはそんな人形を持ち帰り、長い時間をかけて修理を続けた。壊れた部品を新造し、古代の文献を調べ、遺跡に潜る。


 紙に起こした図面は、膨大な量になった。


『どうして……私を直そうとするの?』

『別に、純粋に君のためってわけじゃない。俺には夢があるんだ。そのための一歩だよ』

『……そう』


 結局ルルゥの修理が終わる頃には、およそ三年の月日が流れていた。


 八歳になったトランは、図面とルルゥを見比べながら深く頷いた。あとはもう少し部品を追加するだけだ。彼はそう言って、嬉しそうにニコニコと笑う。


 ルルゥはそんな彼に静かに話しかけた。


『ねぇ、修理が全部終わったら……私の記憶を消してくれないかしら』

『えっ? ルルゥ、君は……』

『今の私にとって、あなたと一緒に夢を追いかけるのは辛いの。でも、何も知らない私なら、きっとあなたの役に立つことができる。だから……私を初期化して、あなたのそばに置いてください。お願いです……マスター』


 そうしてルルゥは、トランに頼みこんで卵の状態まで記憶を初期化してもらった。

 といっても、当時交わしたいくつかの会話記録については、トランにも秘密のままバックアップ領域にこっそりと残していたのだが……。



「だからね、ミュカっちがかけてる迷惑なんて、なんでもないんだよぅ。私なんて、マスターにはまだまだ何にも返せてないからね」

「そんなことがあったんですね……。でもルルゥ師匠は、普段からトランさんのお役に立っていますし、この家になくてはならない存在です。わたくしこそ、まだ何も……」

「うーん。そうだなぁ」


 ルルゥは何かを思い出したように、クスリと笑いを漏らす。

 それからマナ結晶をポーンと上に放り投げ、口で器用にキャッチして、ポリポリと噛み砕きながら床に跳ね降りる。


「あのね。ミュカっちが来てから、マスターは少しだけあの頃みたいに笑うようになったんだよぅ」

「えっ?」

「だからさ――」


 ルルゥはミュカの手を掴んだ。


「ありがとね、ミュカっち。家事とかはまだまだ修行が必要だけど……。マスターの奥さんになることについては、合格をあげるよぅ」

「そんな……えっと、いいんですか……?」

「もちろんだよ。私はチョロいからね!」


 そう言って、ルルゥは部屋の戸に向かって跳ね歩いていく。彼女はいつもと変わらず元気そうで……それでいて、少しだけ寂しそうな背中をしていた。


「さーて、マスターが帰ってくる前に、何か温かい食べものを用意してくるね」

「わたくしはお風呂を沸かしておきます」

「……沸騰させちゃダメだよ?」

「も、もうしませんよ……たぶん」


 ミュカとルルゥはそうして笑い合いながら、トランを迎え入れる準備を始めたのであった。




 窓の外もすっかり暗くなった頃。


 コンコン。

 戸を叩く音に、ミュカは玄関へと急いだ。


 外套のフードに積もった雪。

 ずいぶんと寒かったのだろう。帰ってきたトランは、青白い顔で小さく震えながら、ミュカに向かって頭を下げた。


「おかえりなさい、トランさん」

「すまないミュカ。ワインは――」

「お話は後で。寒かったでしょう。お風呂が沸いていますので、まずは温まってください」


 ミュカはそう言って、トランの持っていた背負袋を引き剥がした。土足のままの彼の手を引いて、風呂場に向かい廊下を進んでいく。


 それはまるで、出会った日とは逆の光景であった。



 脱衣所の戸の前で、トランが立ち止まる。


「……ミュカ。その、あー……コホン」


 ミュカは振り返って首を傾げた。


「どうかしまたか?」

「あぁ。風呂を準備してくれて、ありがとな。体が冷え切ってるから、本当に助かる」

「いえ、そんな……」

「それで、風呂を上がったらなんだが……」


 トランは少し照れくさそうに、しかし真っ直ぐにミュカを見つめた。そして、真剣な声色で告げる。


「――俺の血を、吸ってくれないか?」


 その言葉に、ミュカは目をまん丸に見開き、顔を真っ赤にして動きを止めたのだった。


これにて第四章は終了です。

お読みいただきありがとうございます。


また、感想や評価などをいただけて大変励みになっています。引き続きよろしくお願いします。

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