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薬師と妖精

「はじめまして、だよね? 私は薬師のジェダ。そうだな……立ち話もなんだし、家に入らないか。妻もいるから紹介するよ。寒くなりそうだしね」


 さきほど降り始めた雪は、だんだんとその粒を大きくしていた。もしかすると、今夜は吹雪になるかもしれない。


 薬師ジェダは人の良さそうな笑みを浮かべて立ち上がる。

 歳の頃は四十前後だろうか。銀髪赤目というだけでなく、その面影にもどこかミュカと似たところがある。もしかすると、アーヴィング家の血縁なのかもしれない。


「ご挨拶が遅れました。トランと申します」

「君がトランか。噂は聞いているよ。吸血族(ヴァンパイア)の子を妻にしたそうじゃないか……。一度話をしてみたいと思っていたんだ」


 こんな森の奥で薬を作って暮らす吸血族(ヴァンパイア)。はたしてどんな偏屈な人物かと身構えていたが、今のところただの穏やかな男性といった印象だ。

 ちなみにトランは、同様に引き篭もっている自分のことは完全に棚上げにしていた。



 庭に整備された畑には、トランも知っている薬草から全く知らない植物まで何種類も生えていて、横を通るたび不思議な匂いが鼻を刺激した。魔法薬を作るのに必要なものなのだろう。


 そんな畑の間を通り、巨木の切り株でできた家に近づいていくと……突然、玄関扉がバンッと大きな音を立てて開いた。


「ダーリンダーリン! 大変大変!」


 飛び出してきたのは、小人族(ハーフリング)よりさらに小さな女の子だ。


 身長は三十センチほどで、森の精霊と同程度。チョコレート色の髪をお団子に結んでいて、背中には蝶のような色鮮やかな羽を生やしている。


「そんなに焦ってどうしたんだい?」

「あのねあのね、給湯器がまたまたぶっ壊れちゃって、プスンプスンと黒い煙が出てきて、ジジジジ、ジジジジってマナが漏れててね」


 そう言って、ジェダの顔の前をパタパタと飛びながら、大きな身振り手振りで説明をしている。どうやら、この家で使っている給湯器が壊れてしまったらしい。


 ジェダは手のひらに彼女を乗せると、親指で頭をそっと撫でて落ち着かせた。


「あー、分かった。これから見てくるよ。それより、私の後ろにお客さんがいるんだが……」


 ジェダの言葉に、彼女はヒョコっと頭を動かしてトランを見る。

 今の今まで動転していて気づいていなかったのだろう、一瞬だけ「ガビーン」という顔をすると、次の瞬間には大人びた表情に切り替わっていた。


「あらあら、気がつかなかったわ! わたしったら、ごめんなさいね。ジェダの妻のペチカです。うふふ。見ての通り、妖精族(フェアリー)よ。今お茶をお出しするからあがってちょ――ってそうだった! お茶を出そうにも給湯器がぶっ壊れてたんだぁ!」


 えらいこっちゃ、えらいこっちゃと踊り始める妖精のペチカに、ジェダは額を押さえて小さくため息をついたあと、トランへと向き直った。


「はは……まぁ、こんな感じの妻と二人で暮らしているんだ。少しゆっくりしていてくれ。私は給湯器の様子を見てくるから」


 苦笑いを浮かべるジェダ。彼の様子からすると、ペチカが騒がしいのはいつものことらしい。


 トランはおずおずと手を挙げる。


「あー……こう見えて、魔道具職人なんだ。給湯器だったら、俺に見させてくれないか?」


 ここは自分の出番だろう。

 トランの申し出に、二人は「なるほど」と声を揃える。ペチカは大興奮で謎の踊りを披露し始め、ジェダは「そういうことなら、よろしく頼むよ」と柔らかく微笑んだ。




 この家の魔導給湯器は、トランの家にある湯沸かし器とはまた少し違った種類の魔道具である。


 妖精族(フェアリー)をはじめとして、身の回りに火を持ち込むことを好まない種族は一定数存在する。特に森の中に居を構える者にとっては、火に頼らずに生活できればそれに越したことはなかった。

 給湯器はそういった者たちがよく使っている魔道具である。大量のお湯を一度に沸かして貯めておき、家の中にパイプを引いて生活に利用するのだ。調理や入浴の他に、パイプの熱を暖房としても使うことも多いらしい。


 トランは片眼鏡(モノクル)と手袋を身に着け、古い給湯器を分解しながら観察する。


「トラン、どうだい? 素人なりに、何度か修理もしているんだけれど、すぐ壊れてしまってね」

「そうだな……。供給されるマナ量に対して、魔導陣が小さ過ぎる。魔導核(コア)は問題ないみたいだけど、これでは回路がすぐに焼ききれるだろうな」


 応急処置ではあるが、魔導陣を大きくするよりもマナタンクの出力を下げる方が修理は簡単だ。給湯器の能力も当面は問題ないだろう。修理に必要な素材についても、手持ちのもので足りそうだった。


「さすがに本職は手際がいいね」

「出張修理なんかもするから、このくらい簡単なものなら。ただ、この給湯器はあちこちガタが来てるから、そろそろ買い替えたほうがいいかもな」

「わかった、すまないね。それにしても……君も用事があって私を訪ねて来たのだろう? なんだか時間を取らせて申し訳ないね」

「あぁ、それなんだが――」


 トランは修理を続けながら、ポツポツと来訪理由を話し始めた。




 ほどなくして、給湯器の修理が終わった。試験動作も問題なく、しばらくはこのまま使い続けることができるだろう。


 修理道具を片付けるトランへ、ジェダは穏やかに笑いかけた。


「さて、じゃあそろそろ君の要件を片付けるとしようか」


 給湯器がグォンと音を立てて動き始める。

 トランは一通り道具を片付け終わると、その場に腰を下ろしてジェダを見た。


「トラン。これは吸血族(ヴァンパイア)にとっては繊細な問題なんだが……。私たちの種族を妻に迎えるのなら、君には知っておくべき事がある。そうだな、ポイントは大きく三つだ」


 ジェダは指を三本立て、ひとつずつ折り曲げながら説明を始めた。


「まず一つ目。吸血族(ヴァンパイア)はワインを飲んで吸血衝動を抑えている……が、血を全く飲まなくて良いわけではない」

「それは……ワインを飲んでいても、それとは別に血を飲む必要がある、と?」

「その通りだ。だから、大抵の吸血族(ヴァンパイア)は専属従者をつけて血を吸う。結婚しているのなら、私のように配偶者の血を吸って生きている者もいるがね」


 そういえば、ミュカは実家にいた頃、専属従者として同年代の女の子がついていたと聞いたことがある。その役割は身の回りの世話だけではなかったのだろう。


 ワインで抑えている場合は三日に一度。ワインなしの場合は一日に二度ほどのペースで吸血をおこなうのが一般的らしい。

 その衝動を、彼女はこの一ヶ月ずっと我慢してきたのだ。


「二つ目。彼女が倒れた直接の原因は、ワインが切れたからじゃない。おそらくは貧血だ」

「貧血……。吸血族(ヴァンパイア)は血を飲まないと貧血になるのか?」

「そうじゃない。これは私たちにとって、大っぴらに話すのは恥ずかしいことなのだが……。私たちはしばらく吸血をしていない場合、我慢できずに自分の血を吸ってしまうことがあるんだよ」


 自分の血を吸ってしまう。

 確かに、倒れたときのミュカは血の気が失せていた。おそらく、ずっと吸血をしていなかった影響で吸血衝動が強くなり、自分の血を過剰に吸ってしまったのだろう。


「だが、どうして俺に言ってくれなかったんだ? 血を吸いたいのなら、言ってくれれば――」

「それが三つ目だよ、トラン」


 ジェダは最後の指を折り曲げながら、トランの顔を覗き込むように話をする。


吸血族(ヴァンパイア)にとって吸血衝動とは、赤裸々に話すのが恥ずかしいものなんだ……例えるならそう、性衝動に似ているかもしれない」

「それは……あぁ、なるほど」

「うら若き乙女が、血を吸いたいという話や、自分の血を吸ってしまったという話を素直にするのは……まぁ、なかなか難しいだろう」


 そう言われ、トランはようやく腑に落ちた。


 聞くところによると、夢魔族(サキュバス)の夢喰い衝動は、どちらかというと食欲に似ているらしい。そのため、彼女らはあっけらかんと夢喰いについて話をする。

 そのイメージがあったため、吸血族(ヴァンパイア)の吸血衝動についてあまり深くは考えていなかったのだ。


「ちなみにだが、私はもう何年もワインを飲んでいない。代わりに、妻に増血の魔法薬を飲んでもらっていてね……」

「じゃあ、毎日二回ほど吸血を」

「コ、コホン。まぁ……そんなところさ」


 恥ずかしそうに顔を背けるジェダを見て、トランは改めて理解し直した。

 今のジェダの話も、トランとミュカのために恥ずかしさを我慢して教えてくれたのだろう。これ以上彼から詳しい話を聞くのは酷だ。


 それにしても、あの体の小さい妖精族(フェアリー)の奥さんから、どうやって血を吸っているのだろうか。いや、そもそもどういう夫婦生活を――そこまで考えて、トランはいったん思考を止めた。決して答え合わせのできない疑問など、想像するだけ不毛だろう。


「私が言いたいのは、だ。君にその気があるのなら……つまり、奥さんに血を吸わせる覚悟があるのなら。増血薬であれば分けてあげてもいい、ということだ」

「……ありがとう。それは助かる。今回の修理代はそれと相殺ということでいいかな」

「こちらとしても、そうして貰えると嬉しい」


 そう言うと、ジェダは腰のポーチから錠剤の入った小瓶を取り出した。吸血前に一回一錠が適量で、それ以上飲むと体への負担が大きくなりすぎるらしい。


「それと、トラン。これだけは覚えておいてくれ。吸血族(ヴァンパイア)にとって、吸血対象の異性というのは特別な存在だ。だから……」


 ジェダは小瓶を手渡しながら、真剣な顔でトランを見つめる。


「彼女のことを一生大切にする。その思いがない限り、軽々しく血を提供しようだなんて言わないことだ……わかったかい?」


 吸血というのはそれだけ繊細な行為なのだ。それを深く心に刻み、トランは小瓶を受け取った。




 去っていくトランを窓越しに眺めながら、ジェダとペチカの夫婦はゆっくりと薬草茶を啜っていた。給湯器をちゃんと直してもらえたのは、二人にとって予想外の幸運だった。


 ジェダは熱すぎるお茶を、()()()()で冷ます。


「そういえばダーリン、あのさぁ」

「ん? どうしたんだい?」

「森の精霊が言ってたよ。トランの奥さんは、銀髪赤目の吸血族(ヴァンパイア)で、氷の魔力を持っているんだって。たしか名前は――」

「ミュカ、かな?」

「うん。それってやっぱり()()()?」


 そうかもね、と笑ってジェダはお茶を啜る。

 ペチカはそれ以上気にした様子もなく、彼の肩にそっと腰掛けた。


 あたりは徐々に暗くなり始め、風も強く吹き始めていた。夕日を受けて赤黒く染まった重い雲からは、真っ白な雪が降り続いている。


「……今夜は積もるかもしれないね」


 そう言って、彼は少し疲れたように目を閉じた。


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