盗賊退治と酒不足
名無しの里の門の前で魔導バイクを停めたトランは、近づいてきた門番、狼牙族のボルグに片手を上げた。
「トラン殿。今日は一人であるか」
「ちょっと急用で酒場にな。それより、その格好……。何か変わったことでもあったのか?」
見れば、ボルグの鎧はところどころ傷ついており、持っている剣もいつもとは違う予備のものだ。最近戦闘でもあったのだろうか。
「うむ。実は昨晩、久々に盗賊退治をしたのである。見た目のわりに大して強い輩でもなくて、消化不良気味ではあるが……」
このあたりに盗賊が現れるのは、さほど珍しい話ではない。国から守られていない隠れ里など、彼らからすればカモもいいところだ。
もっとも、名無しの里には実力のある武人が幾人も在籍しているため、彼らの企みが成功することは未だかつてなかったのだが。
捕らえた盗賊は、冒険者の資格を持つ虎爪族のライオルが王都へと連行している最中のようだ。
「癪に触るのである。大将首を取ったのは我であるのに、まるでライオルの奴の手柄のような」
「まぁ、でもライオルは適任だろう。冒険者資格がないと王都への入場料も無駄に払わなきゃいけないしな」
「それはそれ、これはこれである。あのドラ猫め、いつかニャフンと言わせてやるのである」
拳を握りしめるボルグ。狼牙族と虎爪族は、歴史的にも仲が悪いらしい。
彼らは種族ぐるみで互いのことを「犬っころ」「ドラ猫」などと呼び合って対立しており、性格的にも合わない部分が多いそうだ。なにかにつけて張り合う様子は、距離をとって見ている分には面白いのだが。
「まぁ、ボルグもほどほどにな」
「……相手が突っかかってくるのである」
「ライオルも同じことを言ってたよ」
冒険者というのは、誰でも取れる資格ではない。
冒険者ギルドは国のしがらみにとらわれずに活動できる国際組織であり、所属することができるのはエリート中のエリートのみだ。当然、その入会試験は困難を極め、多数の有望な若者が毎年のように命を落とす地獄のような試験だと噂されていた。
一見するとチャラついて見えるライオルも、その試験を突破した実力者であることは間違いない。
トランはふと、以前聞いた冒険者事情に思いを馳せる。
「……冒険者、か」
「なんであるか? トラン殿」
「いや、貴族の子が家を追い出されるとき、冒険者試験を受けさせられる、なんて話も聞いたことがあると思ってな」
「確かに、文官の才もない三男四男などによく聞く話である。手に負えない乱暴者を放り込むことも多いとか」
仮にミュカが男だったら、そういった地獄の試験に駆り出されていた可能性もあったのだろう。
こんな人里離れた場所で自分なんかの妻になるのと、どちらの方がマシだったのか……倒れてしまったミュカの青白い顔を思い出し、トランは小さくため息をついた。
真っ直ぐやってきた酒場は、ライオルたちがいないからだろう、いつもよりガランとしていた。
カウンターでは、吸精族のリュイーダが困ったような表情を浮かべている。
どうも昨日討伐した盗賊は、王国と名無しの里を行き来する行商人を狙ったらしい。幸いにして商人たちに命の別状はなかったのだが、積み荷のいくつかは盗賊が食い荒らすなどして売り物にならなくなってしまったのだとか。
「……それでね、トランちゃん。残念なことに、ワインが入荷されてないのよ」
「それは……困ったな」
「そうよね。今回の賊は、奪った酒と肉で宴会をしていたらしいわ。転売で儲けるような頭のある奴らだったら、取り返せたかもしれないのだけど」
困ったことになった。
現在ミュカは家で寝込んでいて、ルルゥが付きっきりで看病している。その間にトランがワインを買って帰るつもりだったのだが。
「そうね。この酒場にワインがないなら……」
「ん?」
「あとは、自宅にワインを抱えていそうな子に聞いてみるしかないんじゃないかしら」
なるほど、とトランは納得する。
名無しの里に住む者も、皆が酒場で飲むわけではない。人間関係を嫌って国を出てきた者も多いため、自宅に酒を溜め込んでいるケースも少なくないのだ。
リュイーダは裏から売買記録を持ってくる。ここ最近ワインを購入した者であれば、まだ家に残っているかもしれない。
「うぅーん……持っているとしたら、この子だけかしら……」
眉を寄せてなにやら唸っているリュイーダ。
トランが首を傾げながら彼女を見ていると。
「ワインをたくさん買っていった子が一人いるんだけど……最近、何か問題を抱えているみたいなの。里にも影響が出ていて、正直困ってるのよ」
「問題?」
「ワインの交渉に行くついでに、ちょっと彼女の話を聞いてきてもらえないかしら。その代わり、今回の情報料はいらないから。ね?」
それは、取引の申し出だった。
通常であれば売買記録など個人情報絡みのやり取りには金銭を支払うのが普通なのだが、場合によっては別の何かを取引材料にすることもあった。
「話を聞いてくる程度ならな。ただ俺も急いでるから、それほど時間はかけられないぞ?」
「もちろん。可能な範囲でいいわよ」
「わかった。それで、その問題っていうのは」
「えぇ。説明するから少し待っててね」
リュイーダは尖った尻尾を艶かしく揺らしながら店の奥に向かう。
トランとしては、できるだけ早くワインを手に入れてミュカのもとへ帰りたいところなのだが。そう焦る心を、深く息を吐いて無理やり鎮めた。
ほどなくして戻ってきた彼女の手には、包丁がひとつ握られていた。
「よく砥がれた包丁だとは思うが……それは?」
「えぇ。ちょっと見ててね」
リュイーダはカウンターの上にまな板を起き、大根を一本乗せた。
力を入れず、ストンと包丁を落とす。すると、大根が切れ、まな板が切れ、カウンターが引き裂かれ、床に深々と包丁が突き刺さった。
床から引き抜いた包丁は、傷一つなく輝いている。リュイーダはうふふと笑みを漏らしながら、上目遣いでトランを見つめた。
「……と、いうことなのよ」
「どういうことだ」
こんな切れすぎる包丁など、危険物以外のなにものでもない。リュイーダは唇の端をペロリと舐め、妖艶に微笑むばかりだ。
トランは少し考えて、一人の女の子の顔を思い浮かべた。
「……エリィナ、か?」
「正解。さすがトランちゃんね」
この包丁を鍛えたのは、鉤鼻族の鍛冶師エリィナらしい。
年齢はトランのひとつ上の十九歳。国にいた頃から天才鍛冶師と呼ばれ、トランも当時からその名を知っていたほどだ。この里の鍛冶師の中でもダントツの腕前を持っている。
その彼女が最近、スランプに陥っている。
床まで切れる包丁。地面が爆発する鍬。真空波を放つ鎌。そういった、無駄に性能が高すぎて迷惑な品々を作るようになってしまったらしい。
「トランちゃんは確か、エリィナちゃんとも交流があるわよね」
「あぁ。魔道具作りに必要な魔導金属を売ってもらってるんだ。あいつに精錬してもらうと純度が段違いだからな」
「ふふ。じゃあ、エリィナちゃんの話を聞いてきてもらえないかしら。どうしてこんなモノを作るようになっちゃったのか……」
話を聞くといっても、トランが解決できるような問題かどうかは分からない。ただ、エリィナとは長い付き合いでもあるので、彼女の事情も確かに気になるところだ。
「わかった。ワイン交渉のついでに、エリィナの話を聞いてくる。それでいいか?」
「えぇ。取引成立ね。もちろん、どういう話をしたのか、あとでちゃんと教えてもらうわよ」
「それも取引の内だな。了解した」
トランはペコリと頭を下げると、急ぎ足で酒場の扉から出ていった。
トランを見送ったリュイーダは、我慢できないとばかりに体をクネクネさせながら、はぁはぁと荒い息を吐き出した。
「はぁぁん……トランちゃん嫁候補四天王の一角、鍛冶師エリィナ。燃え上がった嫉妬の炎。振りあげた槌はどこに打ち下ろされるのか……。楽しみねぇ。うふふふふふ……修羅場、修羅場、シュラバババ♪」
修羅場大好き吸精族リュイーダ(年齢不詳)は、本日も平常運転であった。





