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自分の居場所

 魔導灯だけがぼんやりと灯る暗い部屋。

 名無しの里の診療所では、血の気を失って真っ白な顔をしたキリコがベッドに縛りつけられていた。手足の拘束具がギシギシと音を立てる。


「やめて。殺さないで」

「ふぉふぉふぉ、人聞きが悪いのぅ。これでもお主を治そうとしてるんじゃがな」


 ベッド脇から彼女を見下ろすのは、この里で唯一の医師をしている老人ジークだ。白髪頭の丸耳族(ヒューマン)で、白衣とサングラスに身を包んだ怪しげな雰囲気の男である。


 あくまで治療と言い張るジークへ、キリコは震えながら問いかける。


「じゃあ……さっきすり潰してた毒イモリは?」

「このあとお主に飲ませてやろうと思ってのぅ」

「剣牙フグの毒肝は?」

「同じじゃ。レッツラまぜまぜ、じゃよ」


 ボウルをかき混ぜるような仕草をするジークに、キリコの顔が絶望に染まった。


 狩人ならよく知っているが、どちらの毒も人間が体内に取り入れてよいものではない。魔物討伐にも用いられるほどの凶悪な猛毒である。


「なぁに、毒と薬は表裏一体じゃ。といっても、この治療はワシ独自の研究成果じゃがのぅ」

「独自の……研究……?」

「安心せい。この薬で命を落とす者などおらんよ、ほとんどな。だいたい大丈夫じゃ」

「ほとんど……? だいたい……?」


 ジークの言葉に、キリコは安心どころか不安を深める一方だった。


 そもそも、通常であれば大きな怪我には生命魔術による治療を行う。それこそが医師の役割であり、本来なら魔法薬は補助程度にしか用いられないものなのだ。


 そんな疑問を口にすると、ジークはため息混じりに説明を始めた。


「良いか。生命魔術での治療には、患者本人の体内マナを用いる。マナを消耗している者に下手に術を行使すると、逆に死ぬぞい」

「……そうなんだ」

「お主はろくに怪我の治療もせず、無理に鬼人化したんじゃろう? 治療に使えるマナは残っとらん。病気への抵抗力も落ちておるし、生命維持でギリギリじゃな。まったく愚かなことをしたのぅ」

「それは……うん。言い返せない」

「幸いこの里に薬を卸している薬師は優秀でな。多少時間はかかるが、魔法薬中心の治療で問題なく治るじゃろうて」


 ジークは棚からいくつかの小瓶を取り出す。手慣れた動作でそれらを少量ずつ混ぜ合わせると、ビーカーの中にはオレンジ色の薬が出来上がった。


 キリコは息をふぅとひとつ吐く。

 その顔に覚悟が浮かんだ。


「治療については理解した」

「ふぉふぉふぉ、そりゃあ良かった」

「わたしはもう暴れない。拘束具を外して」

「それは薬を飲み終わってからじゃのぅ」

「? ……わかった」


 だがこの時、キリコは本当の意味では理解していなかったのだ。この治療における真の()()を。


 ジークはテキパキと何かの器具を組み立て、キリコの頭部を固定する。鼻をつまんで口を開き、ロートの先端を強引に差し込んだ。


 何かがおかしいのではないか。

 そんな疑問を挟む間もない早業に、キリコはされるがまま自由を失っていった。


「うが……あえ!?」

「薬をちゃんと飲み下すんじゃぞ。中途半端に吐き出すと、本当に命を落としかねんからな」


 そう言うと、ジークは一滴ずつ、ゆっくりと薬を落とし始める。


 ロートの管を伝ってキリコの口内に薬が到達すると、彼女の四肢の拘束具は再びミシリと悲鳴を上げた。腐ったフルーツのような苦み、痺れて感覚のなくなる舌、鼻を抜ける生臭さ。それは、この世のものとは思えないほど――。


「死ぬほど不味いじゃろ。しかも、一滴ずつ飲むしかない……以前この薬を飲んだ者は、人生で最も長い三時間だった、と言っていたわい」

「うあ!? あんいあん!?」

「ふぉふぉ、何を言ってるか分からんのぅ。ちなみに、これはまだ一つ目の薬じゃからな。今夜は長いぞぅ」

「ふぁ! いおうえっ!?」

「くくく……まぁ、これに懲りたら今後は無理をせんことじゃ。若いもんが、あまり無茶をして師匠に心配をかけるものではないぞい」


 こうして、やたら楽しそうな表情を浮かべる闇医者ジークの手によって、キリコの体はまる一晩をかけて治療されていったのだった。




「――という感じで、私は殺された」

「キリコっち、成仏するんだよぅ。なむなむ」

「だ、大丈夫。キリちゃんは生きてますよ!」


 翌朝。キリコの病室では、ルルゥとミュカが彼女のそばに張り付いていた。

 ベッド上で起き上がった彼女は、ぐったりはしているものの顔色はずいぶんと良くなっている。数日もすれば退院できるようだ。


 その少し後方から、トランは三人の様子を眺めていた。


「ミュカには迷惑をかけた。改めて、ごめん」

「もういいですよ。里を経由して救助の手間賃もいただいていますし、ワイバーンの親子丼も美味しかったですし」


 空から落とした卵は無事に回収していた。

 実はあのとき、卵には衝撃吸収の魔道具を取り付けていたのだ。魔道具自体は壊れてしまったが、傷一つつかなかった卵は魔導バイクの荷台に収納して持ち帰ってきたのだ。


 壊れた魔道具との差し引きで言えば、値段的には赤字だったのだが。


「新鮮なワイバーンは、あんなに美味しいのですね。鳥のお肉より味が濃厚でした。卵にも旨味が凝縮されていて……実家にいた頃にも食べたことのない美味でしたよ」


 うっとりとした顔で語るミュカ。


 酒場では昨晩、里の者への夕飯にワイバーン料理が振る舞われていたのだ。一番人気の親子丼のほか、唐揚げや出汁巻き卵をはじめとする様々な料理が提供され、酒場は大盛況であった。


 もっとも、稼いだポイントはミュカやトランへの手間賃・慰謝料としてかなりの額が徴収されていったのだが。


「……わたしも食べたかった」

「キリっちはずっと病室で治療だったもんねぇ」

「違う。あれは治療という名の拷問」


 頭を抱えて記憶を封印しようとしているキリコの背を、ミュカとルルゥが優しく叩く。


 ちょうど、その時だった。

 部屋の戸がガラッと開くと、入ってきたのは険しい顔をしたソウリュウであった。いつになく不機嫌そうな雰囲気のまま、手に盆を持って歩いてくる。


「……師匠」

「キリコ。俺が言いたいことはわかるか」

「……はい」


 パンッ。

 キリコの頬に、赤い手形がつく。


 今回の狩りは、キリコの独断だった。

 ソウリュウの静止を振り切り、実力以上の相手をターゲットにして、酷い怪我をした。その上、各方面に迷惑をかけてしまったのだ。


「すみませんでした」

「お前は自分の命も、友人の命まで不用意に危険に晒した。反省しろ」

「はい。二度と繰り返しません」

「ちッ……しばらく休め」


 ソウリュウは手に持った盆を机に置いた。

 そこには、蓋つきの丼がひとつ乗っている。


「師匠。これは」

「経緯はどうあれ、お前の狩った獲物だ」


 それだけ言うと、ソウリュウは足早に病室から去っていった。


 この里には、様々な事情を抱えて国を出た者が集まっている。捨てられない何かを抱えている者も多い。なかなかどうして、人間関係は一筋縄ではいかないものだ。

 通常であれば破門されていてもおかしくない状況であったが、ソウリュウにはキリコを見放すつもりはないらしい。



――器の中身は、親子丼だった。


 キリコは蓋を持ったまま、目を丸く見開いて動きを止めている。


「そういえば、昨晩のソウリュウさんはすごく自慢げでしたよ。これは弟子のキリコが狩ってきたんだって、みんなに向かって何度も何度も」

「え……」

「うんうん、みーんなに絡んでたよぅ。鼻息を荒くしてさ。あとでキツく叱ってやんなきゃなーとか言いながら、すっごく嬉しそうにしてたよ」

「……あ、ぇ」

「さぁ、遠慮せず食べてください。キリちゃんの狩ってきたワイバーンですよ?」


 この場はもう、ミュカとルルゥに任せていいだろう。トランは少し頬を緩め、静かに病室をあとにしたのだった。




 カラッと晴れた冬の空。

 魔導バイクの燃料タンクへ砂状に砕いたマナ結晶を注いでいると、背後からズシンズシンと大きな足音が聞こえてきた。


 そこにいたのは、巨人族(ジャイアント)の男。

 彼は吸精族(サキュバス)リュイーダの夫にして、この里で農業を営むグルダンという者だ。その身長は三メートルほど。柔和な笑みを浮かべながら、大きな木箱を抱えて悠々と歩いてくる。


「トランちゃーん、荷物持ってきたど」

「すまないな、グルダン」

「蜜柑もたくさん生ったで、多めに入っとるからなぁ。嫁さんと食っとくれ」

「あぁ。ミュカは柑橘類が好きだから喜ぶよ。ありがとな」


 木箱には、里に来たついでに買い足した日用品や食料、修理を頼まれた魔道具などが詰まっている。それをバイクの荷物スペースにしまい込むと、帰宅の準備はおおむね完了だ。


 トランがバイクの座席をポンと叩くと、グルダンは顎に手を当ててしみじみと呟く。


「いい嫁さんを貰ったもんだぁな」

「だろ? 俺にはもったいない子だ」

「んなこと言うでねえ。お前もいい男だでさ」


 大きな手のひらで、パンと背中を張られた。

 衝撃に目を白黒させているトランへ、グルダンは快活に笑ってウインクをする。優しい男だが、どうにも力加減は苦手なようだった。


「そうだ。吸血族(ヴァンパイア)と言やあ、森の奥で暮らしてるのがもう一人いたでなぁ。ミュカちゃんは奴の親戚か?」

「いや、聞いたことはないな」

「あれだ、薬師としてジークの診療所に薬を卸している奴だで。妖精族(フェアリー)の奥さんと暮らしてる男さ。まぁ、そのうち関わることもあるだぁな」


 そう言って、グルダンはうんうんと頷く。


 ミュカ以外の吸血族(ヴァンパイア)に会ったことはないし、よほどのことがなければ今後も会うことはないだろう。

 そんなトランの予想に反して、その機会は意外と早くおとずれることになるのだが……。


「里のみんなも、ミュカちゃんのことをすっかり受け入れたようだでなぁ」

「本当によかったよ。ミュカはこれまで、自分の居場所にあまり恵まれなかったみたいだから」

「多かれ少なかれ、ここにいる連中はみんな似たようなもんだぁ。ま、なんとかやっていけるさ」


 そう言って、グルダンはまるで爆撃のような大きな笑い声を空に響かせる。

 トランはとっさに耳を塞ぎながら、キリコと笑い合っているミュカの顔を思い出し、気がつけば一緒になって口元に笑みを浮かべていたのだった。


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