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師匠と弟子

 コウモリのように空を飛んだミュカは、いくつかの巣穴を覗くと、そのひとつへと降りたった。


 枯れ枝を編んだようなクッションの上。ワイバーンの卵は人間の大人ほどの大きさがある。

 そしてそのそばに、岩壁に背を預けて座っている人影がひとつあった。


「……キリコさん?」

「ミュカ。その羽は……魔術?」

「はい。これでも実家にいたころは、ペットの大コウモリと一緒によく夜空を散歩していたのです」


 背中の羽が空中へ溶け、魔力が霧散する。

 ミュカはキリコの方へと歩きながら、彼女の様子を観察してハッと息を飲む。


「足の怪我……酷いじゃないですか」


 彼女の衣服には右足部分に大きく裂けているところがあり、そこから血が滲んでいる。足の付け根を麻紐で結んでいるものの、想像していたより多量に出血しているようだった。治療をするなら早いほうがいいだろう。


「あの、キリコさん」

「なに?」

「えっと……わたくしから提案がありまして。その、変なふうに捉えないでいただきたいのですが……」

「ん?」


 ミュカは妙な前置きをしながら、キリコのそばで膝を落とす。しかし、なにやら躊躇しているのか、そわそわした様子のまま一向に動く気配を見せない。


 キリコは首をこてんと横に倒した。


「どうしたの?」

「あの、ですね」


 すーはーすーはー。

 ミュカは胸に手を当てて呼吸を整えると、真剣な目でキリコの顔を覗き込む。


「あなたの足の傷口を、わたくしに舐めさせていただけませんか?」


 瞬間、空気が固まる。


 もちろん、ミュカの提案には理由があった。

 実は吸血族(ヴァンパイア)の唾液には、弱いながら治癒と麻酔の効果がある。小さな切り傷程度なら治せる上、多少なりとも痛覚を麻痺させることが出来るのだ。他人の首筋から血を吸う彼女たちにはある意味必須の技能とも言えた。


 ただ、そんなことを知らないキリコは……。


「……変態?」


 至極当たり前の反応として、絶対零度(アブソリュートゼロ)の鋭い視線をミュカに向けるのであった。



 一方の地上では、トランがワイバーンの巣穴を見上げて唸っていた。


「んー、ミュカは無事たどり着いたみたいだが……なかなか出てこないな」

「だねぇ、マスター。ミュカっち大丈夫かなぁ」

「巣穴の中で何か揉めてる……とか?」


 その傍ら、ソウリュウは騎竜に水と肉塊を与えながら、妙に憂いを帯びた目で岩壁を眺めている。強気の塊のようなその背中も、今では不思議と弱々しいものに見えた。


「悪ィな、旦那。おおかたキリコのやつが卵欲しさに無理を言ってんだろ。戻ってきたら説教だ」

「いや、ミュカが何か斜め下の行動をやらかしてる可能性もある。事情を先に聞かないとな」

「まーまー二人とも。まずは無事に戻って来るかどうかだよぅ」


 ルルゥの言う通り、まずはミュカとキリコが帰ってきてからだろう。

 トランは腹の底に、ジワジワと焦るような不快感を覚えていた。自分が思っている以上に心配しているのかもしれない。


(……ミュカ。無事で帰ってこい)


 そうやって、無意識のうちに届かない念を送っていた。


 一方のソウリュウは、ふぅと息を吐き、地面にドカッと座り込む。手持ち無沙汰だからだろうか。何やら高価そうな槍を手に取ってボロ布で磨きはじめた。


「それは?」

「あぁ。アーヴィング家からもらった槍だ。いわゆる魔槍って奴なんだがなァ……。こんなイイモンを倉庫から引っ張り出してくるくらいには、あのご当主サマも嬢ちゃんのことが心配なんだろうぜ」


 他の槍のように、投槍術で無くすには惜しいほどの名槍なのだろう。だからこそ彼は、トランに「槍が戻ってくる魔道具」なんてものを依頼しようとしていたのだ。


 トランは槍を眺めながら、顎に手を当てて少し目を瞑る。ミュカが嫁に来たのには、やはり何か裏があるように思えるのだが……。


「アーヴィング家は、ミュカを冷遇していると思っていたが……違うのか?」

「表向きはな。まァ、俺も詳しいことは知らねぇが……。最近は王国の軍部も慌ただしいみてぇだ。無駄かもしれねぇが、せいぜい気をつけろよ」


 そう言って槍を磨き続ける。

 その横顔は真剣そのもので、いつもの軽薄そうな雰囲気は微塵も感じなかった。


「はァ……なぁ旦那よ」

「ん?」

「師匠ってのは、弟子に何をしてやりゃあいいんだろうなァ。最近、よくわからなくなっちまった」


 弱音とも取れるそんな発言に、トランとルルゥは顔を見合わせる。彼がそんなことを言う性格には思えなかったのだが……。


「キリコの馬鹿は、この頃よく無茶をするんだ」

「……無茶?」

「あぁ。なんか焦ってんだ、あいつは」


 そう言うと、ソウリュウは磨き終わった槍を頭上でクルクルと回し始めた。思わず見惚れてしまうほどの繊細な槍捌きは、彼に似合わないほどの美しさを纏っている。


 トランはその様子を眺め、ポツリと呟いた。


「……槍竜(ソウリュウ)トマリオ」

「ちっ。知ってたのかよ、旦那も人が悪ィ」

「そりゃあな。有名な王国騎士だろう?」

()な。今はただの狩人ソウリュウよ」


 何があったのかはトランも知らない。

 だが、ソウリュウも彼なりの事情を抱えて王国騎士を辞め、このような辺境でキリコの師匠として狩人をしているのだろう。


「どんな経緯であの子を弟子にしてるんだ?」

「まァ……キリコは親友の娘でな。鬼角族(オーガノイド)の中でも際立って小柄なあいつは、実家での立場がずいぶん低いもんだったらしい。あの種族は力の強さに絶対的な誇りを持っているからな」


 槍を振るいながら、そんな話をする。

 冷遇されているキリコを鬼角族(オーガノイド)とは別のやり方で育ててやってほしい。そんな父親の頼みを受け、弟子にしているのだという。


「実際、あの歳の狩人見習いとしては優秀だ。無鉄砲な性格はいただけねぇが、そのぶん得難い経験も積んでいる。経験を重ねて思考力が追いついてくれば、良い狩人になれるはずなんだがな……」


 ソウリュウは槍を振り下ろし、いくつかの型を繰り返し行っていた。隙間時間に修行をするのは武人によくあることだが、今はどちらかというと弱った気持ちを奮い立たせるのが目的だろうか。


「俺はどうにも褒め方が悪ィ。そんで、あいつは自分に自信がねぇ……俺なりにいろいろと試行錯誤はしてるんだが、どうもダメでな」


 結果的に指導は上手くいかず、最近のキリコは身の丈に合わない無茶を繰り返す始末だ。ソウリュウは今もなお、キリコとの接し方に迷っているようだった。


 そんな中、二人の会話へぴょんと飛び入ってきたのは、ルルゥだった。


「むずかしいよねぇ……。困った弟子なのは、ミュカっちも変わらないけどさぁ」

「んァ? 弟子?」

「そうそう、家事全般を教えてるんだよぅ。ミュカっちもさ、根本的に自信がなかったり、できないことを無理してやろうとしたり……そのへんはキリっちと一緒なんだよねぇ」


 ルルゥのそんな発言に、普段の様子を知っているトランは思わず苦笑いを漏らしてしまう。

 師匠同士の愚痴り合いが始まりそうな今、ミュカたちが降りてくるのはもう少し後がいいかもしれない。そんなことを思いながら、トランはぼんやりと岩壁を見上げた。




「わかります! わかりますよキリちゃん!」

「ほんと? ミュカ」

「えぇ。わたくしは本当にダメダメで……なんとかルルゥ師匠に認めていただきたいんですけど、いつも失敗ばかりしてしまうんです」

「わたしも。ソウリュウ師匠みたいに効率的に狩りたいのに、全然ダメ。やっぱり狩りの才能はないのかも」


 巣穴では、弟子同士が手を取り合っていた。

 キリコの足はミュカの唾液により傷も浅くなり、痛みもずいぶん和らいでいるようだった。今は治癒を待ちつつ卵の運搬について相談しているところだったのだが。


 気がつけば、だんだんと弟子トークが白熱していったのだ。


「才能なんて! 自慢ではありませんが、わたくしには才能と呼べるものは全然ありませんよ!」

「本当に自慢じゃなかった」

「この前なんて、トランさんから美味しいお茶の淹れ方を教わったんです。なので、夜中にはイメージトレーニングまでおこないまして……」

「へぇ。それは頑張った」

「それで翌朝、イメージした通りの手順でお茶を入れたのです。ですが……」


 ミュカは遠い目をしてため息をつく。


「お茶を飲んだトランさんに言われたのです」

「む? なんかケチをつけられたの?」

「いえ、『これお茶っ葉じゃなくて岩海苔じゃないか』って。確かに磯の香りがしました」

「…………ドンマイ」

「うぅ……どうしてこうなのでしょう」


 顔を押さえて蹲るミュカの背を、キリコは優しく叩く。この様子だけ見ると、どちらが要救護者なのか分かったものではない。


 キリコはよろめきながら立ち上がる。

 そして、右足を引きずりながらワイバーンの卵へ近づくと、その表面をペチペチと叩いた。


「師匠は本当は……すごい人」

「……キリちゃん?」

「王国にいた頃は有名な騎士だった。それなのに、今はわたしなんかのために人生を棒に振っている。だから、早く一人前になって、独立して……師匠を開放してあげたかった」


 そう言って振り返った彼女の顔は、何かが吹っ切れたのか、少しだけスッキリしているようだった。


「わたしは結局、考えなしにワイバーンなんて大物を狩って、みんなに迷惑をかけただけ。ごめん、ミュカ……。卵は諦める」


 キリコはペコリと頭を下げる。

 先ほどまではあれほど卵にこだわっていたのに、今は不思議と執着心が消えているようだった。


 だが、対するミュカは、


「……いえ、持ち帰りましょう」


 首を横に振って微笑んだ。

 キリコのそばに寄ると、その身体をギュッと抱きしめる。


「キリちゃんはわたくしなんかより凄いんですから。師匠にちゃんと認めていただかないと」

「凄くはない。けど、どうやって運ぶ?」

「わたくしが魔術でなんとかしてみます。そうしたら、師匠に美味しい親子丼を振る舞って、凄いねって褒めてもらいましょう」


 そう言うと、ミュカは腰の魔導ポーチから取り出した特殊なインクと筆で、卵の表面に模様を書き始めた。これはマーキング用の魔術紋――魔術のターゲット指定を補助してくれるものだ。


「ミュカもすごい。ちゃんと師匠に認めてもらうべき。そうだ、親子丼はミュカが料理してみる?」

「あー、お気持ちだけ受け取っておきます。実は、キッチンに立つのはまだ禁止なんです」

「ん? なにをしたの?」

「うぅ……いろいろです。その、今度じっくり聞いてくださいね。キリちゃん」


――魔力起動マギ・アウェイクニング


 魔力を纏ったミュカは、背中から羽を生やした。その状態で左腕でキリコを抱え上げると、右の手のひらで卵に触れる。


「装甲魔術、捕縛氷網(アイス・ネット)


 瞬間、右腕から伸びた氷の網が卵を覆う。

 鬼角族(オーガノイド)ほどではないが、吸血族(ヴァンパイア)は細腕でも筋力が強い。卵はかなりの重量があるが、ミュカはなんとか片手で持ち上げることができた。


「ミュカ」

「な……なん……ですか?」

「ありがとう」

「いえ……これしき何でもありません……んんぅ」



 ミュカは真っ赤な顔をして踏ん張りながら、亀のような速度でどうにか卵を運んでいく。巣穴の出入り口にたどり着けば、あとは穴から下りるだけだ。


 ふぅと息を吐いて地面を蹴り、羽を大きく広げて宙に飛び出して――ちょうど、その時。


「キィィィィィッ! キシャアアアアア――」


 最悪のタイミングだった。

 トランやソウリュウの攻撃が届かない距離。キリコは怪我をしていて、滑空しているミュカは両手が塞がっている。そんな状況で、それは帰ってきてしまったのだ。


 オスのワイバーン。

 血走った目で彼女たちを睨んだ巨体は、大きな口を開けながら襲いかかってきた。


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