ワイバーンの巣
二足歩行のトカゲのような生き物――騎竜が、荒れた大地を豪快に走っていた。その背に乗るソウリュウは、飛んでくる石を灰色の鱗で弾き、ゴブリンに向かって槍を構える。
「ゴガアアアアアアアアアアアア」
「……ふッ」
シンプルな軌道で飛ぶ槍は、一瞬で獲物を絶命させる。素人目にも鮮やかな手際だ。
一方のトランたちは、彼のすぐ後ろを魔導バイクで追いかけていた。車輪を青白く光らせ、地面から浮遊して滑るように進む。マナ消費は大きいが、凹凸の多い場所を車輪で走るわけにもいかない。
「今仕留めた獲物は回収しないのですね」
「あぁ、ゴブリンの肉はマズいらしいしな」
「このあたりは、放っておけば半日くらいでスライムが処理してくれるよぅ」
ヌメヌメとした緑色の肌からは、ヘドロのような血しぶきが上がっている。普段であれば魔導核くらいは回収するのだろうが、先を急いでいる現状では無視するのが妥当だろう。
ソウリュウは腰のポーチから新しい槍を取り出すと、一度も止まることなく騎竜を走らせる。紛失しても構わないような雑な作りの投槍であったが、それでも彼の実力が褪せることはないようだ。
魔物とは、魔導を行使する動植物の総称。その多くは人類種を見ると狂ったように襲いかかってくるため、普通の動物とは危険度が段違いだ。
代表的な雑魚であるゴブリンも、巧みな身体強化を駆使して襲ってくる魔物であり、戦う力のない者にとって厄介な相手であることには変わりない。
「……わたくしも、魔術での戦闘に慣れなくてはいけませんね。学校の授業とは勝手が違いそうです」
ミュカの通っていた貴族学校で、実践に重きを置いた授業は稀だった。
貴族が戦場で矢面に立つ時代はとうに過ぎ去り、今や戦うのは騎士や兵士の仕事である。幼い頃より教え込まれる強力な魔術も、象徴的な意味合いの大きいものになっていた。
だが彼女は、これからは国の庇護を受けずに辺境で生きていかなければならない。最低限、自衛の手段は磨いておくべきだろう。
「それより、ミュカは本当に大丈夫なのか? 飛べるって言ってたけど、無理してないよな」
「はい。装甲魔術は吸血族の得意分野ですし、これでも真面目に勉強してたんですよ」
「むぅ……でもやっぱり心配だよぅ」
ルルゥの声に内心同意しながら、トランはバイクの速度を上げた。ミュカのことを信じていないわけではないのだが……。この状況に、どうにも嫌な予感が拭えないでいたのだ。
騎竜が少しずつ速度を落とす。
見えてきたのは、いかにもワイバーンが巣として好みそうな大きな岩山だった。切り立った崖の上方に、直径五メートル程度の横穴がいくつか開いている。
地面に降り立ったソウリュウは、そのひとつを指差しながらミュカへと振り返った。
「キリコの奴がいるのは、あのあたりだ」
「ワイバーンは近くにいるのですか?」
「今は不在だな。キリコはメスの成体に引っついて巣穴に入り込んだみてーだが、その時に母ワイバーンは仕留めている。巣の中に卵はあるが、ワイバーン自体はいねーはずだ」
「番のオスはいないのでしょうか」
「それが問題なんだよなァ。オスがいつ帰ってくるか分からねぇ。さっさとキリコを回収したいトコだ」
岩壁の巣穴は数が多く見えるが、彼によればここを根城にしている番は一組。
ワイバーンの習性として、生まれたばかりは共食いをしやすいため、穴ひとつに卵ひとつというのが基本なのだとか。
ソウリュウは懐から短距離用の魔導通信機を取り出した。中央のボタンを押しながら、鋭い声で呼びかける。
「キリコ、聞こえるか。今どうしてる」
『師匠……? 足の怪我は止血した。けど、崖を下りるのは無理。あと、大きな問題が一つある』
「どうした」
『母ワイバーンの肉で魔導袋がいっぱい。これじゃ卵を持ち帰られない』
「今回は諦めろ。これは師匠としての命令だ」
『絶対嫌。獲物は狩った者のモノ。今夜は親子丼って決めてる。師匠であっても異論は認めない』
ソウリュウは頭を抱えてため息をつく。
道中にも話していたが、近頃のキリコの強情さには彼もほとほと手を焼いているようだ。
「……はァ。口論するだけ時間の無駄か。今、飛べる奴をそっちにやる。卵を持ち帰るかどうかは……そいつと交渉しろ」
そう言って、ソウリュウは通信を終わらせた。
魔導と魔術は似て非なるものだ。
まず「魔導」とは、マナを直接のエネルギー源に様々な現象を発生させる術である。魔導回路の挙動から、魔道具が発生させる魔現象、魔物が行使する術も全て魔導の範疇である。
一方で「魔術」は、体内の魔力をエネルギーに発現する。魔導よりもきめ細かく現象を操作出来る代わりに、手間のかかるものでもあった。
「――魔力起動」
それは、幻想的な光景だった。
目を閉じて呟いた彼女の周囲に、冷気を纏った光の粒がふわりと舞い踊る。
ミュカの体から漏れ出てた氷属性の魔力。それが周囲の空気を急速に冷やし、生み出された氷の粒が日の光を反射してキラキラと光るのだ。
体内で魔力を循環させ、術式を構築する。身体を包むようにいくつもの魔術陣が生まれ、彼女を中心に回転し始めた。
「――装甲魔術、天駆氷羽」
ミュカの背から魔力が吹き出し、意思があるかのようにグネグネと形を変えていった。そして、周囲に冷気を撒き散らしながら、ひとつの形へと収束していく。
――現れたのは、氷で作られたコウモリの羽。
白く透き通った扇型の骨格に、薄氷の膜のような羽が張られていた。ミュカの身じろぎに合わせてバサリと大きく羽ばたく動きは、まるで身体の一部かのように自然だ。
ミュカは息を大きく吐き出すと、ゆっくり目を開ける。
「……では、行ってきますね」
その表情は、いつもの頼りないものとはまるで違った。使い慣れている魔術なのだろう、余裕のある笑みを浮かべながら、一気に空中へと跳ね上がる。
羽をバサバサと動かし、危なげなく上へ上へと飛んでいく。その様子を見て、ルルゥはソワソワしながらトランの足元に寄った。
「大丈夫かなぁ。ああいう自信満々な顔してる時に失敗するのがいつものミュカっちなんだよぅ」
「変なフラグを立てるな。今は信じて待つしかないだろう?」
話しながら、トランは魔導バイクに取り付けてある魔物避けの結界魔道具を起動した。走行中は使用できない制約はあるが、長時間の休憩や野営の際には重宝する機能だ。
「……オスのワイバーンが戻る前に、帰ってこれるといいけどな」
日は少し傾いてきている。
トランは空を見上げながら、肩によじ登ってきたルルゥの頭をそっと撫でた。