招かれざる訪問者
名無しの里から帰ってきた三人は、山奥の魔道具工房で相変わらずの引きこもり生活を送っていた。ただ、あれから少しだけ変化があり――。
「ミュカっちの絵、本当にうまいねぇ」
「そうでしょうか……。あまり人に見せたことなどなかったので、自分ではよくわからなくて」
ミュカは空いた時間に、スケッチブックに絵を描くようになっていた。
リビングでは、縫い物をしているルルゥの横でミュカが絵筆を振るっている。
彼女は昔から、一人の時間には絵を描いて過ごしていたのだという。我流のようだが、とても綺麗で味のある絵柄だ。
スケッチブックの中では、水彩絵の具で描かれたルルゥ似の女の子が、可愛らしい服を着て踊っていた。
「その服、作ってみようかなぁ。マスター、今度お買い物に行くとき、布地を見てきてもいい?」
「ん? あぁ、布を買うのは構わないが……」
「やったぁ。頑張って作るよぅ!」
トランは読んでいた本に栞を挟み、寝転がっていたソファから体を起こした。ルルゥのテンションがずいぶん高いので、どんな服か気になったのだ。
ミュカの横からスケッチブックを覗き込む。
「……へぇ。見たことのないデザインだな」
「あの……古代の衣装が好きで、資料を見ながらずっと模写していた時期がありまして。あとは、東方に住む鬼角族の民族衣装なども参考にして、少しずつ要素を取り入れてみたんです」
ミュカはキラキラした目で嬉しそうに語る。
デザインには和服のような要素も入っていて、トランは素直に好きだと思った。可愛らしい中にも凛々しさがあり、ルルゥが喜ぶのもよくわかる。
一緒に描かれている髪飾りは魔道具として作ってあげてもいいかもしれない。トランがそんなことを思っていると。
「……こんなに好きなことばかりをしていて、良いものでしょうか」
「ん? どうしたんだ」
「いえ、あの……こんなに平和な日々なんて、これまで過ごしたことがなかったので。フワフワしていると言いますか……。なんだか気が抜けてしまって」
そう言って、ミュカは柔らかく微笑んだ。
山奥での生活は刺激も少なく華やかさにも欠けるが、彼女がそれを不満に思っている様子はない。むしろ、ゆっくりと流れる時間に穏やかに身を任せているようだ。
「いいんだよぅ。ミュカっち」
「ルルゥ師匠……?」
テーブルに腰掛けたルルゥは、マナ結晶を放り投げては口でキャッチする。ポリポリと噛み砕きながら、ミュカの頭をポンと撫でた。
「そりゃあね、好きじゃないことを頑張らなきゃいけない時もあるよぅ。でもさ……そうじゃない時は、ずーっと好きなように生きてていいんだよ」
もしかすると、それは魔導人形の人生観なのかもしれない。
古代遺物の魔導人形は、基本的に卵型の魔導装置の状態で発掘される。使用者が魔力を込めることで、初めて人型となり動き始めるのだ。
彼女たちの仕事は、マスターから命令された通りの行動をすること。ならばある意味、それ以外の時間こそが彼女たちに与えられた本当の人生とも言えた。
もっとも、ルルゥは仕事自体も楽しそうにやっているようだが。
「ねー、マスターもだよ? やりたいことがあるんなら、変に遠慮してないでさぁ」
「はいはい。愛のある苦言をありがとうな」
「むぅ。まったく強情なマスターだよぅ」
頭を撫でると、ルルゥはふへへと笑う。
トランは苦笑いを浮かべながら、小さく頬を掻いて視線を逸した。
確かに、かつてのトランにはやりたかったことがあった。夢と言ってもいい。ただそれは、罪を自覚する前の無邪気な子どもの妄言であって……今では色褪せてしまった、昔話でしかなかった。
ふとミュカを見れば、グラスに入っていたワインをグイッと飲み干しているところだった。
「そういえば、ミュカは吸血族だけど……血を吸わなくて平気なのか? ワインで衝動を抑えてるって言ってたが」
トランとしては何気なく聞いたことだった。
しかし、ミュカは顔を真っ赤に染め上げ、ギュッと手を握って俯いてしまう。こんな反応をされるのは予想外だ。もしかすると、デリケートな話題だったのだろうか。
「悪い。今のは聞かなかったことにしてくれ」
「い、いえ。いずれは説明しなければと思っていましたし……吸血行為については、えっと……」
ミュカが恥ずかしそうに話し始めた時だった。
ドンドンドンドンドン。
玄関の戸を荒々しく叩く音が聞こえてくる。
「お客さんかなぁ」
「それにしては荒々しいが……」
ドンドンドンドンドン。
戸を叩く音は止む気配を見せない。
「仕方ない。ちょっと出てくる」
「はぁい。応接間だけ整えておくよぅ」
なんとなく面倒ごとの臭いを感じながら、トランはゆっくりと立ち上がった。
玄関に向かいながら、考えを巡らせる。
この工房に外から客が来ることは少ない。よほど緊急であれば別だが、基本的には名無しの里の酒場を介して依頼を受けることがほとんどだ。
しかも、こんな叩き方をする人物は……。
トランはガラガラと戸を開ける。
「あっ、トラン兄! うふふ、来ちゃった」
ピシャリ。
変なものが目に入った気がして、トランは思い切り玄関の戸を閉めた。
空色のツインテールに、槍のような尾。夢魔族の少女カチュアのように見えたが……おそらく気のせいだろう。
こんな冬の寒い日に、あんな格好で出歩くような頭の悪い者がいるわけがない。
ドンドンドンドンドン。
再び戸が激しく叩かれる。
『トラン兄、開けて! 開けてよ! いい加減寒くなってきたの! 寒い、寒いんだってば!』
ドンドンドンドンドン。
トランは顎に手を当てて考える。
今日は朝から酷い冷え込みだったはずだ。
――ビキニ姿でこんな山奥にやってくる小娘など存在するわけがない。
きっと自分は疲れていて、おかしな幻を見ているのだ。乾いた笑いを漏らしながら、トランはなんだか頭痛のするこめかみを押さえる。
そこへ、準備を終えたルルゥが現れた。
「マスター、お客さんは?」
「気のせいだったみたいだ」
『トラン兄! 依頼人を案内してきたの! 魔道具を作ってほしいって人! お願い開けて! 話だけでも聞いてってば!』
ドンドンドンドンドン。
トランはため息混じりにジャケットを脱ぐと、ガラガラと玄関の戸を開ける。
「こんにちはトラン兄! 悩殺しにきたよ!」
「本当に悩みで殺されそうだ……」
「魔道具工房の依頼人もいるよ!」
鳥肌の立っているカチュアの肩にジャケットかけると、トランは彼女を玄関に招き入れた。その後ろから、二つの人影がおずおずと現れる。
竜鱗族の男と、鬼角族の女の子。
灰色の鱗のある男がヘラヘラと笑っている一方、角の生えた小柄な女の子は無表情のままその場で立ち尽くしている。どうやら彼らが件の依頼人らしいが。
「ククク。旦那が例の天才魔道具職人か。ちょいと邪魔するぜィ」
男はダルそうに片手を上げ、鋭い目をギラリと光らせた。