第94話 その価値
テオは家に帰って兄フィンセントの部屋のドアを叩く。
少し遅れて不機嫌そうなフィンセントの返事。出てくる気が無い。いつもの調子。今までの兄の調子だ。
だがテオは自信を持ってしつこくドアを叩いた。
怒気をまとって足をならす音が部屋から聞こえる。フィンセントがドアを開けて怒鳴るのだろう。だがそれでいい。テオはにこやかにそれを待った。
「テオ! 何度も何度もうるさいんだよ! 私は今機嫌が悪いんだ!」
「兄さん。売れたよ──」
「は……?」
フィンセントの顔がゆっくりとほころびるのが分かる。だがフィンセントは一度強硬に出た態度を崩せない。機嫌悪そうな演技をしていた。口はモゴモゴと動いていたのだが。テオを睨んでいる体で扉の外に出て来た。
テオは嬉しそうな顔を崩さず、不機嫌そうなフィンセントを伴ってリビングの椅子に座らせ、テーブルに金を置く。一枚、一枚と。
フィンセントは250フランが置かれると思っていたのに、多い。それに慌てだした。テーブルに顔をつけて、重なるお金に目を近づけ、鼻息を荒くした。
「お、おいテオ」
「ふふふ。なんだい兄さん」
「な、なんだ。多いぞ。どういうことだ?」
「なんでだと思う?」
二人の顔が笑顔になる。これだ。テオはこれを待っていた。
兄には自信が必要なのだ。それが三点も一日で売れた。
フィンセントはそれを手に取って何度も何度もその紙幣を数える。
与えられた絵の報酬を手に取って、何枚売れたのか分かったのだ。予想していたこととまるで違う。
最初の剣幕はどこへ──?
フィンセントは子どもの頃、テオと一緒に遊んでいたような無邪気な顔に戻って両腕を上げて声無く叫んでいた。
「ああ、こんな大金を持つのは私は初めてだよテオ」
「本来なら兄さんの絵は一点でこの価格で売れてもおかしくはないんだ。自信を持って欲しい」
「そうだな」
フィンセントは嬉しそうに金を受け取った。そしてその中から500フランをテオの前に差し出す。
「今まで援助してもらってすまなかった。これでは返した分にならないが受け取ってくれ」
しかしテオは険しい顔をして首を横に振りながら、それを両手で突き返したのだ。
「いいや。兄さん。たった三枚売れただけで慢心しないで欲しい。兄さんの絵はもっともっと売れるよ。これはその資金にして欲しい。もっと売れたら返してもらう。それでいいだろう?」
テオの言葉。だが暖かみがある。フィンセントはためらいながらだが、嬉しそうに両手で掴んだその金を引っ込めた。
「すまん。そうさせてもらうよ。これからもよろしく頼む」
兄弟は優しく微笑み合った。それは愛し合う家族の肖像だった。