第70話 怒りの爆発
次の日。茜音は殴打された顔の腫れを隠すようにマスクをした。その姿を見て裕は驚いてしまった。
「誰だかわからないよ~。怖いねその白いの」
「ふふ。そんなことないよ」
「声もそんなに聞こえないし」
「そう?」
そう言って茜音はマスクをあごにかけると、裕はすかさずそこに口づけをした。茜音は殴られたことなど忘れ嬉しそうな笑顔をする。いつか分かる日がくるかもしれない。その時は正直に言おう。自分の体の部品を黒い箱に与えて裕を作ったことを。
茜音はそう思いながら会社に出掛けた。
裕の部屋での一日が始まった。裕が一人になると黒い箱が現れてそばにいる。裕は少しも寂しくはなく、母である黒い箱と二人で共に教育テレビを見る。
面白いときには楽しそうに手を打ちながら。
昼食になるとパンにピーナッツバターを塗って食べる。そして、昨日買ってきたスライスチーズ。開け方がわからずにまた癇癪をおこしそうになったがなんとかチーズと対面することが出来た。それをチビチビと食べて笑顔になった。
『ゆたかはなんでもできるね』
「うん。ママ。ゆーたん、チーズだいすきなんだぁ」
そしていつしか満腹になり茜音のベッドでお昼寝。目を覚ましてしばらく床掃除をしていた。
日に日に成長する裕は、引き出しなどもあけれるようになった。キッチンの引き出しを開けると、そこにはフォークや栓抜きがある。それを見てなぜかニンマリと笑った。
そんな機具に興味を持ったのはこの部屋にオモチャなどがなかったからなのかもしれない。なにしろ頭脳は子供だ。遊びたい盛り。それを一つ一つテーブルの上に置きだした。
なにが楽しいのかわからないが小さい順から並べたり、円を描くように並べたり。
そのうち並べるものが無くなり、思い出したように寝室の方にやってきて、めぼしい引き出しを開けた。
裕の顔が青くなった。そこにはスクランブルの音楽CDやDVD。ファンクラブの通信や冊子。
裕はそれを乱雑に掴むと床に叩き付け、さらには引き出しを掴んで中身を床にぶちまける。
自分と似てるヤツ。
自分と似てるヤツ。
洗いざらいの引き出し、本棚。
茜音のスクランブルグッズを引っ張り出して暴れ回り狂ったようにそこに倒れ込んだ。自分がなぜこんなことにグツグツと沸騰した気持ちを持つのか分からない。
天井を見ながら涙を流すしかできない。
何故だ。何故だ。何故だ。
裕の目から大粒の涙がぼろりぼろりとこぼれてくる。その顔の脇に、黒い箱がチカチカと点滅して光を送っていた。
「ママ。ぼくってなんなの? アカネの恋人の他のことが分からない」
裕の自称が“ゆーたん”から“ぼく”になっていた。教育テレビを見て、さらに成長したことで自称が変わったのだ。
黒い箱には決して悪気は無い。箱には人間の気持ちなど無いのだ。
『ゆたかは、おかあさんがつくった、さいこうのにんげんなんだよ』
「作った? ママ……。ぼくは産まれたんじゃないの? 作られたの?」
『そうだね。せいかくにいえば。でもおかあさんがうみだしたことにちがいはないよ』
「あいつは、あいつは誰なの?」
『あれは、スクランブルのむらかわゆたか。ゆたかのもとになったにんげんさね』
「え……」
グッズの上に寝転んでいた裕は起き上がり、黒い箱を掴んで光って流れる文字群を見ていた。
「ぼくの元?」
『そうさ。ゆたかのこいびとがおかあさんにねがった。だからおかあさんがアイツをもとにゆたかをつくったのさ』
「うそだぁ」
『ウソなもんか』
「うそだ!」
裕は壁に黒い箱を投げつける。だが箱はまるでゴム毬のように弾んで裕の元に戻ってきた。
「うそだうそだうそだ! ぼくはちゃんとした人間だぞ! ロボットじゃない!」
『そのとおり。ゆたかはロボットじゃない。さんそ62.6%、たんそ19.5%、すいそ9.3%、ちっそ5.2%、そのたカルシウム、リンなどを、こまかくきちんとはいごうしておかあさんがつくりあげたほんもののにんげんなんだよ!』
裕はその分けの分からない配合率を見てギャーンと大声で泣き出した。なぜか分かった。ちゃんとした人間ではないことを。
グッズの山に体を伏して狂ったように泣き叫ぶ。黒い箱もどうしていいのか分からずに、オロオロと左右に転がることしか出来なかった。