第66話 愛する気持ち
やがて暗くなり茜音も仕事が終わって帰宅の道につく。手には途中で買ったお弁当の袋。お弁当は二つ。まだ子供ならばうれしいだろう。ハンバーグの弁当だ。
茜音は裕の反応が楽しみでニコニコ笑いながらドアを開けた。
「ただいま!」
暗がりの部屋の中。物音がしない。茜音は笑った。寝ているんだ。まだ子供だモンな。と。
そして、電気をつけると、床が驚くほどピカピカだった。
「わ! すごい!」
裕はちゃんと仕事をした。茜音から笑みがこぼれる。ふと、その廊下の先をみると、キッチンから空き缶が転がっている。
何があったのかとキッチンを覗くと、裕が床に転がっていた。
「キャア! 大丈夫?」
転んだと思った。まだ幼いから転んでしまい、ゴミ袋を巻き込んで体を打ちつけて気絶したのでは? そう思って裕の上半身を起こしてやった。
すると裕は目を開けて茜音に話しかけてくる。
「ああ……アカネ、お帰り~」
茜音はホッとした。どうやら無事そうだ。ただ寝ているだけだったか……。裕は寝惚けまなこをこすりながら、空き缶を見て口を尖らせる。
「こいつらバカなんだよ。バカ」
そう言って、足を伸ばして一つの空き缶を蹴った。空き缶は横に回転して他の缶に当たり、高い音を立てた。
茜音は裕から初めて出た汚い言葉にクスリと笑った。成長とともに、こうして悪い言葉も覚えて行くんだなぁと感慨深く思ったのだ。
「なぁんだ。こいつらはバカなんだね。じゃぁ、袋に入れちゃおうか。手伝って」
「うん」
二人は楽しく空き缶をゴミ袋に入れた。全て入れ終わると茜音は袋の口をたたみテープ止めをした。
「はいお終い。お腹すいたでしょ。ご飯にしようか?」
「うん! ご飯! ご飯!」
茜音は裕をキッチンのイスに座らせた。そして彼の前にハンバーグ弁当を置き、蓋をあける。
初めてみる食べ物に裕は少々驚いていたが、その匂いで美味しいものだと分かったようだった。
「わぁ! わぁ!」
「ふふ。これはねぇ、ハンバーグっていうの」
「へぇ! ハンバーグ! おいちそう!」
茜音はスプーンで一口大に切って、その一つを裕の口に運んでやった。裕は身を震わせ手を叩いて喜んだ。
「おいちい! これおいちい!」
「ふふ。そうでしょう」
裕にスプーンの使い方を教えてやると、彼はすぐに覚えた。自分でハンバーグをすくって口に入れ、ご飯をすくって食べた。
あっという間に食べきってしまった。
「ああ。もっと食べたいよう」
「ふふ。また今度ね」
「もっと食べたい」
「じゃぁ、パン食べる?」
「やーだ、やーだ。ハンバーグがいい」
そう言って駄々をこねた。茜音は、なるほどこれは子供だなぁと思った。こうして成長していくんだろうと思った矢先、彼はイスから落ちて床に転がりだした。
「ハンバーグ! ハンバーグがもっと食べたい!」
そういって床で手足をバタバタさせる。茜音が驚いていると、目からは大粒の涙がボロボロとこぼれている。顔は真っ赤で汗で髪の毛が張り付いていた。よっぽど興奮している。よくスーパーやデパートで見る子供のそれだ。しかし、これは子供の真似じゃない。本当なんだ。
本当に駄々をこねている。
茜音は裕の首を起こして自分の胸に抱いた。
「もうないんだよ。ゴメンね。裕。ガマンしてね」
裕はしばらくグズッていた。鼻汁を流しそれをすすりあげていた。何分かそうしていると、裕は落ち着いたようで自分で立ち上がった。
茜音はホッとした。
その後は何事もなく普通だった。いや、必要以上に裕は茜音に甘えた。体に抱きつき、少しの間離れることを嫌がった。茜音もそれを楽しんだ。早くにこうしてやればよかったと思いながら。茜音は裕に何度も謝った。
「ごめんね」
そう口にすると裕は茜音のその頬を触る。そして優しいキス。裕の中身は子供だが、茜音を大切にしたい、愛したいという気持ちが同居している。
よい雰囲気だが、それ以上前へは進めない。知性がないためだ。
キスをして、母親に抱きつく子供のようにじゃれつく。それが裕の精いっぱいの愛情表現なのだ。
やがて二人はいつものように寝る。ベッドとソファをつなげ合って。互いに顔を見ながらの就寝だ。
茜音の前には自分が好きなスクランブルの邑川裕の顔がある。中身は可愛らしい子どもだが、それでもいい。黒い箱に願ってよかったと感謝をした。