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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
女とアイドル篇
63/202

第63話 きみの恋人

 裕はヨタヨタと立ち上がり、ヨチヨチと茜音のほうに向かって歩き出した。

 茜音の目を見、唇を震わせて無理に笑いながら。


「ゆーたん、歩けるようになったよ」

「今日はお(みじゅ)をたくさんのんだんだよ」

「アカネのおかえり待ってたんだ」


 たどたどしく言葉をわけて裕は茜音に話かけた。まるで幼稚園から帰って来て母親に報告するように。

 茜音は思った。たしかに成長している。だが、この偽物をどうすればいいんだろう?


 とりあえず、ご飯を食べてネットオークションをしてから考えようと思った。

 裕を狭くて暗い浴室まで連れて行き床を指差す。


「ここがアンタの部屋。しばらく大人しくしてな。寝ててもいい。あたしはまだ仕事が残ってるから」

「うん」


 そういって裕はニコリと笑った。その笑顔に茜音は少し戸惑ったがドアを閉め、電気もつけずに放置した。

 そして、自分だけゆっくりと食事を味わいながらスマホを眺め、過去の限定グッズを狙っていた。

 初期のシリアル付きのグッズがあった。ファンに0円で配られたものだが、5000円からの値がついて、今は8100円でストップしている。

 おそらく終了間際に多量の入札が見込まれる。自分では3万円までは出せる……。

 そう思いながら8110円入札した。


 入札終了間際になり、たくさんの同じようなファンが動き出す。

 一万円、一万千円、一万二千五百円……。

 勢いがすごい。だが自分も参加しなくてはいけない。一万四千円を入札した時、浴室のドアがガラリと開いた。


「……アカネ……。ゆーたん、うんちしたい……」


 もじもじとお尻を抑えて切な気に小さい声を出してきた。


「はぁ!?」


 変なところでするとまた怒られる。しばらく我慢していたのだが生理現象には勝てなかった。どこでしていいのか分からない。トイレの使い方がわからない。


 茜音はスマホの更新ボタンを押すと、すでに自分の入札金額より上回る金額が入れられていた。


「おしり押さえてガマンしてろよ!」


 と大声をだしてハッとした。また隣人がくるかもしれない。


 入札締め切りが迫っている。腹を立てながら、裕をトイレに座らせた。


「そうそう。そこですればいいから。出終わったらお尻をこの紙で拭く。その紙は下の水に捨てて、流すのボタンを押す。わかった?」


 と言って、トイレのドアをしめスマホを覗いた。裕はここは水を飲む場所だと思ってしばらく躊躇していたが、ガマンの限界だった。


 ポタポタポタポタ


 水に便が落ちる音が聞こえた。茜音はそれにもムカついた。自分の邑川裕像が壊れてゆく。


 イライラしながらスマホを覗くと、24960円で入札終了。落札されていた。

 自分は三万円まで準備していたのに、この男のせいで!


 今までの時間はなんだったんだ! と頭に血が上った。


 裕は茜音に言われたとおりに紙で拭き、水を流した。ここはこういうところなんだと学習でき、立ち上がる。


 トイレのドアを開けると、茜音が腕組みをして待っていた。

 裕はニッコリ笑った。


「ゆーたん、うんちでた」


 そう言って、幼児が母親にするように茜音に抱きついた。茜音は少し驚いた。叱りつけてやろうと思ったのに……。この感触はなんだろうと。


 そして、裕は茜音の顔を覗き込む。


「ゆーたん、アカネの恋人……」


 ドキリ……。


 よく見ると、やはり邑川裕だ。

 しかし、今は髪の毛もボサボサ。プツプツとヒゲが伸びて毛穴に黒ずみもある。

 体中に傷だらけだ。


「ゆーたん、おなかすいた……」

「はぁ? ……ちょっと待ってろ。部屋のもの勝手にいじるんじゃないよ!」


 そう言って、茜音は出て行った。


 しばらくすると、茜音は戻って来た。手には買い物袋。近くのスーパーから買ってきたのだ。

 見ると、裕は浴室で小さくなって座っていた。


「アカネ、お帰り~」


「わぁ! びっくりした。脅かすんじゃねーよ。それに、まだそこにいたのか。こっちに来いよ」

「うん」


 裕はスッと立ち上がった。

 成長している。先ほどまではヨチヨチ歩きだったが、ある程度スムーズに歩けるようになっている。


 茜音は買い物袋から食パンを取り出した。


「あ! たべものだ!」


 裕はそれにかぶりつこうとしたが、茜音はそれを止めた。


「まだだよ。それだけじゃ美味しくないでしょ」


 そう言って、ピーナッツバタークリームを塗って渡した。


「いいよ食べて」


 裕はそれにかぶりつくと身を震わせ、泣きながら無我夢中でむさぼった。


「そんなに泣くほどおいしい?」


 裕は無言でうなずいた。茜音は野菜ジュースにストローを挿して渡してやった。裕はそれも美味しそうに飲んだ。


 買ってきたものには服もあり、パンツ、Tシャツ、短パン。それらをはかせてやった。背中のキズには軟膏を塗ってやった。


 裕は泣いた。茜音に優しくされることが嬉しかった。手当が終わると、また茜音に抱きついた。茜音は裕の頭を撫でた。


「ヒゲも……そってあげなくちゃね……。やったことないけど……」


 茜音は裕の鼻とアゴにシェイビングクリームを塗り自分の足用のカミソリで髭をあたった。裕はくすぐったそうに身をよじった。そんな姿を可愛らしく思えて来た。


 続いて、キッチンに連れて行く。


「これね。ここを押すとお水がでるから」


 そういって、水道のレバーを押す。途端に水がジャーと音を立てて流し台に当たった。


「わ! お(みじゅ)!」

「ふふ。そう。トイレで飲んじゃダメだよ」


「うん」


 そして、冷蔵庫の開け方を教えてやった。

 そこに食パンと菓子パンを入れる。

 食べていいのはこれだけで、他のは調理しなくてはいけないから食べてはダメだと言った。裕はそれにうなずいた。

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