第41話 誘拐
成田きゃんは隆一の実家で家事手伝いをしていた。身重だが懸命に働いている。
洗濯物、家の中の掃除、食事の用意──。
そして生まれ来る子供の為に、安い時にオムツや粉ミルク等の消耗品を買い集めていた。義理の母にそう薦められていたの。
そして、それらが終わり今日の夜のストリートライブまでまだまだ時間があると時計を見ながら思った。自室に戻り急いで着替え外に出た。
きゃんは電車に乗って移動した。大きなサングラスに帽子を深くかぶり変装をしながら優先座席に座った。
“鈴村きゃん”と勘違いされたくない思いの変装だった。
やがてある駅で止まり、きゃんは徒歩である場所に向かった。
大きな建物の前に立ち止まり、窓を見上げる。
そこは病院だった。
きゃんはある病室に向かう。手には何も持っていないのでお見舞いではないのだろう。
そして、個室の大きな引き戸の前に立った。
ただ立っただけだ──。
病室の名札には「伊藤ふく」と書いてあった。それは鈴村きゃんの本名。
マスコミにもこの場所はわかられてはいない。なぜ成田きゃんはここに鈴村きゃんがいると分かったのであろう?
おそらく、二人には互いに引き合う力があるのかもしれない。
成田きゃんはしばらくそこに立つ。何をするわけでもない。
ただ、ただ病室の扉を見ながら立ち尽くした。
ひとしきり立ち尽くした後、体を反転させてエレベーターホールの方に向いた。
「ふっちゃん……??」
後ろから声をかけられた。きゃんが声の方を一瞥すると、40代ほどの女性だった。きゃんは
「いえ」
と言って立ち去ろうとした。しかし、その女はきゃんの腕を掴む。
「ふっちゃんよ! ふっちゃん! どうして立ってるの? 一人で起きれたの? どこにいくの?」
その女は大変興奮した様子だった。それもそのはずだ。女は、“鈴村きゃん”の母親だった。
「何をするんですか。やめて下さい。人を呼びますよ?」
成田きゃんは迷惑そうに言いながら手を振り払おうとした。だが鈴村きゃんの母親は腕をガッチリと握って決して放すまいとしていた。そして嬉しそうに話しかけてくる。
「ほら! その声! ふっちゃんよ! え? え? どうして? 目を覚まして……? え?」
成田きゃんはため息をついた。
「どなたと勘違い?」
「娘を間違うわけないでしょ! ホラ。お部屋に戻んなさい。先生を呼んでくるわね!」
鈴村きゃんの母親は手を引いて鈴村きゃんの病室のドアを開けた。
「あ、あ、あら……?」
ものものしく医療器具をつけられた鈴村きゃんはベッドで寝ていた。ほぼ意識を失っている。もうじき訪れる死をただ待つばかりなのだ。
鈴村きゃんの母親は、成田きゃんの手を握ったまま、そこに膝をついて泣き出してしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい──」
母親は嗚咽をもらして謝った。
「本当、迷惑です。私、帰ります」
成田きゃんは細くため息をついた後、冷たく言い放った。しかし、鈴村きゃんの母親は顔を上げてすがる。
「でもその首筋のホクロ!」
しゃがみこんだまま、細い首筋を指差す。成田きゃんは無言でそこを手で押さえたまま立ち去った。
「なんて……なんて、そっくりなの? うぅう……ふっちゃん……」
鈴村きゃんの母親は、奇蹟が起こったと思ったのであろう。しかし、それは無惨に打ち砕かれたのだった。
成田きゃんはエレベータに乗り込んだ。そして、今起きたことを思い返してつぶやいた。
「鈴村きゃん。何度かここに来たけど、やっぱり回復は難しいのね。余命はあとどのくらいなんだろう。憎い相手だったけど、どうして? やっぱり姉妹のような情なのかもしれない。そして、あの母親──。今の鈴村きゃんと全然違う私を娘と勘違いするなんて。母親ってそんなものかな? 私は鈴村きゃんからコピーされたものだけど。あの母親に特別な感情はない。ただのおばさんだ。どうして、お母さんはそういうところまでの感情をコピーしてないんだろう? やっぱり、私にはお母さんは一人しかいない」
母親である黒い箱のことを考えていると、エレベーターが1階に到着した。
成田きゃんは降りようと足を一歩前に踏み出そうとしたが、目の前に大男が立っていたので驚いてその者の顔を見た。そして男を避けて横をすり抜ける。
「失礼」
小さく詫びながら外に向かって歩き出した。
「──いえ」
その男の口がわずかに微笑む。
あの、6人の女を生け贄にした男の顔が──。それこそ青山幾朗であった。
エレベータのドアが閉まったが幾朗は乗らず、成田きゃんの後ろ姿を見ていた。
成田きゃんはツカツカと足音を立てて駅までの道のりを歩く。
しばらく大通りを歩くと、その横にハイエースが止まり、中から幾朗が出て来た。
成田きゃんは気にしなかったが、次第に幾朗は距離をつめる。
きゃんは少しゾッとした。なんなのかと思い振り向こうとした瞬間、きゃんの肩が幾朗に叩かれた。
「うぁぁ──……」
きゃんの身体中がしびれたようになった。
力が抜ける。膝をついて倒れ込んでしまった。
次第に人だかりが出来る。
その野次馬たちに幾朗はこう言ったのだ。
「す、すいません。突然“妻”が倒れてしまって。車の中に運ぶのを手伝っていただけませんか?」
すぐさま、人の良さそうな男たちが集まって、みんなで慎重に彼女を抱えて幾朗のハイエースの後部座席に優しく寝かせた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
幾朗は協力してくれた人たちに何度も頭を下げた。そして、後部座席に自分も乗り込み、もうろうとしている成田きゃんの帽子とサングラスを外した。
「きゃんちゃぁ~ん! やっぱりオレの祈りが通じて元気になったんだね!」
顔を覗き込まれるものの、成田きゃんは恐怖の目をすることしかできない。身動きすることも、話すことも出来ない。助けを呼ぶことすら──。
幾朗はゲヒゲヒと下品に笑い成田きゃんの頬を数度なでると、すぐさま運転席に乗り込み車を走り出させた。