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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
ルーイと英雄篇
36/202

第36話 ナポレオンに捧ぐ

 フェルディナントはそんなルーイの背中に抱きついてずっと彼の名前を呼んでいたが、ルーイにとってはただ温かく抱きしめられているとしか感じられなかった。


 ルーイは冷たい床から無言で立ち上がり、フェルディナントの呼び声に答えずドアを開けて外へ出て行った。もっとも、フェルディナントの声が聞こえなかったこともあるのだが。


 フェルディナントは叫び続けた。


「先生! 先生! どこへ行くんですか! 先生! 外は……! 外は嵐なんですよ!」


 ごーう、ごーうという風と共に縦からも横からも大雨がルーイを打ちつける。


 そんな大雨に打たれながらルーイは目標なくフラフラと歩き続けた。

 大きな音の雷が鳴り響き、まるで彼の不遇な人生の運命を奏でているようだった。


「やはり……。願うべきではなかった。自分の音楽家として魂と英雄の出現などと。……出現はさせた。だが箱はその後は責任を持たないんだ……」


 雨が激しくルーイの体を打つ。彼は大木の下に立ってその異様な大きさを眺めていた。


「……この木の枝ならボクを支えられるかも」


 ルーイは完全に絶望したのだ。

 不遇な人生だった。

 願ったもの、愛したものはすべて取り上げられた。母、モーツァルト、ジュリエッタ。

 そして最後の生き甲斐である貴族社会を費えるという望みですら消えてしまった。


 ルーイは上着を脱ぎ、両腕の部分を結んで輪を作って木の枝にかけた。

 雨で濡れてそう簡単にはほどけないだろう。


 ルーイは不気味に微笑んだ。


「なにが英雄だ……。ナポレオン・ボナパルト。ボクは君を認めない! 認めないぞ!」


 空が激しく光る。大地が大きく穿たれる。





「何も聞こえない……。


 まるでボクの心情のようだ──。


 今までの人生、つらいことばかりだった。

 この大地のえぐられようったらない。

 ボクの心もそうだ。


 ドツ。ドツ。ドツ。とえぐれて行く……。


 雷光がすぐ近くにある。

 耳が聞こえていればドジャーンっと高く不気味に鳴り響いているんだろうな……。


 ………。


 ………!!?


 そうだ……!


 聞こえる!


 ──聞こえるぞ!


 この光を音にすればいい!

 穿たれた大地を音にすればいいんだ!


 ああ! ボクには耳がないけど目があるじゃないか!

 ジュリエッタ!

 ボクにはまだ「光」は失われちゃいない!

 少しの音なら耳に器具を入れて聞けばいいんだ!


 何を甘ったれてるんだ!

 辛いことがあるから人生!

 そうだろう?

 ボクには生きるだけの思い出がある!

 月の女神との──。


 生きてさえいれば。

 また会えるんだから……。


 ああ!

 ステファン!

 リヒテンシュタイン!

 ヴェーゲラ!

 フェルディナント!

 ボクは分かった!

 分かったんだよ」



 ルーイは嵐を旋律に変えながら嬉しそうな顔をして大木の下で膝を抱えて一夜を明かした。



 朝。一晩の嵐はウソのように収まり、カラッと晴天となっていた。ルーイはいつの間にか寝てしまっていたが、ジリジリと太陽の光に焼かれ目を覚ました。


「おお。もう日があんなに! すぐに帰らねば。フェルディナントも心配しているだろう」


 音楽家としての目の光が戻っていた。すぐさま一晩の旋律を楽譜に書きたくて足早に部屋に帰ろうとした。目の前には素晴らしい田園が広がっていた。


「ほーう! なんと素晴らしい景色! ん? あそこでは若い男女が踊っている。あああ──。なんてすばらしいんだ。心に響くこの旋律はどうだ!」


 ルーイはそこに立ち止まってしばらくそれを眺めていた。


「そうだ! そうだよ! この世界には音であふれている! ボクはそれを楽譜に書き込めばいいだけだ! それがボクの仕事! もう、英雄なんてどうでもいい! ボクには支えてくれる友達がいる。弟子がいる。かわいい弟たちがいる! ボナパルト。ボクはキミなんていらない。英雄はボクの心にある! 誰にも心に英雄を持っているんだ!」


 ルーイは急いで部屋に帰った。弟子のフェルディナントがそれを温かく迎えてくれた。


「フェルディナント! 分かっているね?」

「ええ! もちろんですとも! 熱い熱い極上のコーヒーをお持ちします!」


 その言葉をルーイは笑顔で受けた。

 そして机に向かい、すぐさま嵐の夜の旋律“運命”と、素晴らしい景色と男女のダンスを旋律とした“田園”を楽譜に(あらわ)した。


 そして、ナポレオンに送るはずの荷をほどき楽譜を取り出し、代わりに「黒い箱」を入れた。


英雄(エロイカ) ナポレオンに捧ぐ』


 そう書いた宛名の『英雄』の部分をぐしゃぐしゃに塗りつぶし『ナポレオンに捧ぐ』とだけ書き残した。


「ボナパルト。キミにこれを送ろう。好きなように使ってくれ。皇帝でもなんでも好きなものになればいい」


 そして楽し気にフフフと笑った。


「使った瞬間から君の破滅は始まるがな」



 さて──。

 これ以上、ベートーヴェンの人生を書き記す必要はない。音楽の聖人と言われた楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはその後も曲を書き続けた。第一線で指揮棒を振り回したのだ。


 そしてナポレオン。彼はずっと腹を抑えていたが、あれはいったいどういう意味だったのか?

 なくなってしまった体の一部を押さえていたのではないか?

 であれば黒い箱になにを願ったのか?

時間が戻る。バスタードマンの死後、箱はどこにいったのか?

箱は女の元にあった。彼女は愛する夫のために箱を使う。


次回「女と愛篇」


ご期待ください。



──────────

 ルーイと英雄篇、いかがでしたでしょうか?

 もうずっと頭の中に「月光」が鳴り響いております。「英雄エロイカ」じゃないんかい!って、そうですよね。ゴメンナサイ。エロイカそんなに聞いてません。(なんだと?)


 月光ばっかり書きながら聞いておりましたもので。第三楽章はね、インパクトがありますし頭から離れません。


 さて、作中の登場人物を解説して参ります。まずはこの子ですね。



【ジュリエッタ】

 作中では下町の両親のいない貧乏な盲目の少女ですが、これは私が昔、小学校の図書館から借りたベートーヴェンの伝記に書かれていたのを引用しました。

 ワルトシュタインと夜の町を歩いていると民家からピアノの音が聞こえるので(勝手に)入って行くと盲目の少女がピアノを弾いていた。

 その彼女に月の光の曲をプレゼントするといった内容でした。別に恋に落ちておりません。


 実際のジュリエッタは伯爵令嬢です。ベートーヴェンがピアノのレッスンを彼女にするわけですが当時の彼女は14歳。ベートーヴェンは20代後半です。ベートーヴェンは憎からず思っておりましたが、彼女は貴族のところへ嫁いで行ってしまいます。


 そんな彼女に「月光」を送った。というふうになっております。


 そしてベートーヴェンの死後、作中にも登場するステファン・ブロイニングと、弟のヨハンとで彼の遺品を整理してますと「不滅の恋人へ」と書かれた恋文と肖像画が出てきます。映画にもなっているようです。(私は見てませんが)

 諸説ありますがその不滅の恋人はジュリエッタではないか? というのが有力らしいです。



【ルーイについて】

 愛称は適当です。ルートヴィッヒの愛称とネットで調べたら出て来ただけです。

 とんでもない気難しがり屋ってことらしいですが、耳が不自由なのでイライラしたのはいたしかたないと思われます。

 彼自身は相当は面食いだったらしいですね。そして身分の高い方に恋をしてしまうって感じで。

ただ後年、ワルトシュタインに「もう結婚したい相手がいないよ」と手紙を送っています。ルーイ。あーたはどんだけ高望みなの?




【モーツアルト】

 作中では天才だけど下品。となってますが実際の彼は相当下品で特に「尻回り」が好きだったようですね。女性に手紙で「振り返ってくれないならボクはウンコになっちゃう」とか送ってます。「オレの尻を舐めろ」という曲まで作ってます。マジどんだけ。


 天才でわずか6歳の時にマリア・テレジアの前でピアノを弾くことになります。しかし、弾き終わった後、美人好きの彼はこの女帝の末の娘のマリア・アントンの手を握って「将来お嫁さんにしてあげるよ」と言い放ちました。

 マリア・アントン。フランスに嫁いで「マリー・アントワネット」になります。フランス王国最後の女王ですね。




【親友と弟子たち】


〈ステファン・ブロイニング〉

 母親が死んで失意のルーイでしたが、ステファンは優しく声をかけます。「ボクにバイオリンを教えてくれよぅ」(イメージ:カツオの友人の中島)そして彼の境遇を哀れみ、様々な援助を惜しみませんでした。


 ベートーヴェンの親友でもっとも近くにいたかもしれません。そんな彼は作中同様、弟や甥のカールの不実さに怒りをいだいており、それを忠告しベートーヴェンと仲違いするということを数度やっております。

 誰でも親族のことは悪い言われたくないとは思いますが、ステファンはそれほどルーイを愛し、哀れに思っていたんですね。



〈ワルトシュタイン伯爵〉

 彼もルーイをよく支えました。援助したりピアノを送ったりしています。ルーイの弟子でもありました。



〈フランツ・ヴェーゲラー〉

 作中では名前のみの登場です。お医者様で、ステファンの妹をヨメに貰っています。



〈フェルディナント・ルース〉

 ルーイの弟子で、ルーイの死後フランツ・ヴェーゲラーと共にベートーヴェンの伝記を書いています。父親はルーイの音楽教師。




【弟と甥】

 カスパルとニコラス(ヨハン)という二人の弟がいました。狡猾で兄を騙して金品をとったり、楽譜を売ったりしてしまったようです。


 カスパルの死後、甥のカールは身寄りがなくなりベートーヴェンを頼ります。

 ベートーヴェンは快く迎え入れ養子にしますが、自堕落でやはり金品をとったりしていたようですね。「伯父さんと一緒に街を歩きたくないや」なんてことも言ったりしました。ヒドい!ヒドいわぁ!


 ベートーヴェンとカールは晩年ヨハンを頼りますが2ヶ月後に追い出され哀れ大音楽家は荷馬車に乗ってウィーンに逃げ帰ったといいますから、いっそう哀れですね〜。




 以上、登場人物でした!


 では、物語の続きをお楽しみ下さい!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 純粋に、ベートーヴェンの物語が面白かったです! 他の方の感想返信に、こじつけとありましたが、クロいハコがあっても不思議じゃないと思える説得力がありましたね! とはいえ、私は小学生の時に学校…
[良い点] 感動しました! [一言] 黒い箱がナポレオンの出現に関わっていたとは……面白かったです。
[良い点] こんばんは。 英雄と聴力、の辺りでベートーヴェンだ、とは気がついたのですが、まさか箱をモーツァルトが持っていたとは。 そして「箱を譲る」という選択に驚きました。 もうこれ以上は渡すものが…
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