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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
ルーイと英雄篇
28/202

第28話 別れの贈り物

 それから幾日か経った。

 16歳のルーイ少年と30歳のモーツァルトは、弟子、先生の立場ではなくよき理解者となって部屋を行き来した。


 ルーイ少年は、作曲法を真剣に学んで真綿が水を吸収するように習得して行った。


 しかし、音楽の大家が言う冗談には辟易し弟子たちと同じように苦笑いを浮かべた。

 たまに音楽の大家はルーイ少年をからかって男女の過激な睦み合いの話しをし、真っ赤な顔の彼を見てニヤニヤとしていた。そんな姿に弟子たちは深くため息をついた。ほとんどがそんな雑談の時間だ。


 音楽の大家は緊張する音楽業界の息抜きに、彼らのそんな表情を見るのが好きだったのかもしれない。



 音楽の大家は多忙ではあったが、ルーイ少年の部屋に行ったこともあった。

 ルーイ少年は慌てて机の上を片付けたが、音楽の大家は一枚の楽譜を手に取った。


「ほう!」

「いやぁ、先生。まだ書きかけでして。お恥ずかしい」


「うん! よく出来てる。暗~いキミが書いたとは思えない。ふーんふーん。いいね」


 楽譜を見て頭の中に曲が流れているようだ。指をクルクルと回しながら節をとっていた。


「これはどんなイメージなんだい?」

「ええ。見ての通り貧乏をしておりまして、ウィーンに行くためにお金を貯めていたんです。お金が貯金箱に貯まって行くのが楽しみでした。しかし、お金を数えている時に急に父が帰ってきたので床にお金を落としてしまって」


「プ!」

「それが床の穴に落ちてしまい、まさか銅貨のために床板を外すわけにもいかず、諦めたっていう曲ですよ」


 音楽の大家は、声が出ないほど笑った。ルーイ少年は呆れて腕を腰に当てながら、冗談まじりにそれを咎めた。


「もう、笑わないで下さいよ」

「いや~。失礼。失礼。そーかそーか。それで、お金が貯まってこちらに来たってわけか」


「まさか。母が病気がちで薬を買うために使いました。ウィーンは諦めたのですが……」

「ふんふん」


「ご領主様が芸術に理解がある方で助成金を頂きまして、それで」

「ああ、そうなのか。しっかしくたびれた服に、くたびれた部屋だ。助成金があるなら、もっといい部屋に越したまえ。服もいいものを着るんだ。他の者もそうしてる。身なりに気を使わんといいものができんぞ? それにキミの腕前があればどんな貴族もパトロンにつく。それでお金を頂きなさい」


 音楽の大家がそう言うとルーイ少年は眉間にシワを寄せた。


「しかし先生。ボクは貴族は大嫌いです!」


 そう。ルーイ少年は貧しいものはいつまでも貧しい。家柄のいいものはずっと身分も贅沢も保証されているという世の中が嫌いだった。

 貴族にへいこらしてお金をもらうよりも、もっともっとたくさんの人に自分の音楽を聞いてもらいたい。

 そんな世の中になって欲しかったのだ。


「だって、キミの父君だって宮廷歌手だろ? ウィーンに来たのだって大公からの助成金だろ? 貴族を相手にしないでどうやってお金を稼ぐんだい? まさか平民相手に劇場をいっぱいにしようなんて思わないだろ? 貧しい平民なんてその日の食事のことで頭がいっぱいだよ?」

「そ、それはそうなんですが」


 だが音楽の大家はそんなルーイ少年に微笑みながら癖っ毛だらけの頭を撫でた。


「若い頃はいいな。夢がある。希望もある。不可能なことが可能になると思っている。まぁボクは天才だったからそんな苦労なんて考えたことなかったけど。キミもボクくらいの天才なんだから悩まないでパトロンを取りたまえ。……おー。初めて先生らしいことを言ったな? なぁ? そう思わないか?」


「……いえ」

「そうかね」


 彼らの仲はいつもこんな感じだった。

 ルーイ少年は音楽の大家を尊敬していたし、音楽の大家もルーイ少年の類い希なる才能を認めていた。


 軽い音楽の大家。気難しいルーイ少年。

 この性格も思想も違う二人の妙な関係はしばらく続いた。





 しかし、別れの音は音楽の大家のドアのノック音だった。彼は扉を開けた。


「ん? おお。ルーイくんじゃないか。さぁ上がりたまえ。今日も元気なウンコはでたかね?」


 ルーイ少年は首を横に振った。


「おや、出なかったのかね? それは気の毒な」

「いえ、そうじゃありません先生。実はお別れを言いにきました」


「なんだって?」


 その言葉に音楽の大家の胸が急にキュッと締め付けられた。


「故郷の母の容態が悪いのです。私は故郷に引き上げねばなりません」

「……なんだって?」


「いろいろとご教授を給わり、恩知らずのまま帰るというのは甚だ遺憾ですが、人は世の中に五万とあれど、父母は二人しかおりません。どうかご容赦を」

「…………なんだって?」


「さようならです。先生」

「………………な ん だって──?」


 未来ある少年が自分の目の前から離れて行ってしまう。自分と同じくらいの能力のある少年が。

 放心状態の音楽の大家にくたびれたコートの背を向けて、ルーイ少年は歩き出そうとした。その時だった。


「待ちたまえ」


 音楽の大家の一言にルーイ少年は立ち止まり振り返った。


「ルーイくん。ボクのために少しだけ時間を割いてくれまいか? なに、そんなに時間はとらせはしない」


 ルーイ少年はうなずいた。ひょっとしたら、先生は(はなむけ)に一曲披露してくれるのかもしれない。それを人生の糧にしよう。そう思って少年は音楽の大家の後に続いて家の中に入って行ったが違った。


 そこは埃臭い小さい部屋だった。


「先生?」

「かけたまえ」


 そこでもまだルーイ少年は期待していた。小さい管楽器を取り出して、この一室で響かせるつもりか。そういうことだなと期待した。


 しかし、彼の前に置かれたのは小さい黒い箱だった。


「え?」


 小さく驚いた声を上げたルーイ少年に音楽の大家は、落ち着いた様子で続ける。


「キミは、モーツァルトは神童でわずか3時間で父親の8年分の年収を稼いだ。……と本気で思っていたと思うが」

「は、はい」


「たしかに、ボクは天才だ。アマデウス・モーツァルトは天才だった。だがね、それだけで世界中に知れ渡る天才になどなれっこない。今の世の中はそんなもんだ。キミの嫌いな世の中は……ね」

「え、ええ」


 音楽の大家は、寂しく笑った。


「これはね。願いを叶える箱さ。ただし条件が少々キツい。ボクは“名声”と“栄光”を願った。それがためにかなり寿命を奪われてしまったわけだが」

「え? え? え?」


「これをキミに譲ろう。ただ、使い方に気をつけておくれ。さもないと早死にしてしまうかもしれない。大きい願いほど代償は大きいんだ」

「は、はい。でもボク……」


「キミの言いたいことはわかる。ただ持っているだけでいい。キミはボクよりもストイックだ。貴族の下で歌なんか歌えるかって奴だもんな。だからキミは使わないだろう。正直言うと、人に譲らない限り、その箱はボクから死ぬまで離れないんだ。だから持って行って欲しい。もううんざりなんだ」

「え? は、はい」


「キミならきっと使わないで一生を終えると信じている。そしたら箱は永遠にそのままなんだと思う」


 そう言って音楽の大家は少年に不気味な黒い箱を握らせた。

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