第20話 残された一人
その日、病院から帰った隆一は、二人で団欒したキッチンのテーブルへと向かい、きゃんに宛てた手紙を書いた。
それをキレイに封をしてテーブルの上に置いてから一息飲む。そして覚悟を決めて黒い箱を取り出した。
『wwwwwwww wwwwwwww』
箱はまた笑っていた。隆一が願うことを分かっているように。これが箱の手。願わざるを得ない願いを待つ。本人が言うまで。
「くそ! どうせ、命を全て差し出せって言うんだろ? 望み通りにしてやるよ!」
『願い事をどうぞ』
「心臓だ! オレの心臓をくれてやる! それで妻のきゃんを治せ!」
命との引き換え。命と等価の命を救う。愛する妻の命を──。
『Ai$09ちちちフフ55*#。いr瓶むら?#$FP!936◆そたフフ★溢蟹VuKaqスッ6』
光文字が現れ始めた。隆一は思った。この黒い箱の思考の長いパターンは願いを叶えられるパターンだ。今から自分は死ぬ。しかし後悔はない。
誰もいない部屋で隆一はつぶやいた。
「きゃん。ごめんな。約束、全然守れなかったよ。どうかウチの母ちゃんを頼って赤ん坊と一緒に暮らしてくれよ。せっかく産まれたんだ楽しい人生送ってくれ」
願い──。
きゃんへの思い。新しく産まれる命の──。
黒い箱の思考の間、僅かに唱えた遺言。それも終わりを告げる。
黒い箱に光文字が表示されたのだ。
『叶 え ら れ ま し た』
死刑宣告の文字とともに、一筋の白い光が病院に伸びて行く。きゃんの体を治してるんだろう。
隆一は、覚悟を決め黒い箱へと願う。
「なぁ。箱。残ったオレの体をくれてやる。だから次の願いも叶えてくれ」
黒い箱は嘲笑しながら『どうぞ』と文字を表示する。
「バカなことを言うかも知れないが、あんたの不思議な力に感謝しているよ。自分の体の部品を使ってだがきゃんを作ってくれた。あんたがいなきゃきゃんに、妻に会えなかったものな」
隆一は箱を「あんた」と言った。まるで人に話すように。この機械なのか何なのかも分からない、感情などおよそ持ち合わせていないであろう黒い箱に。
『願い事をどうぞ』
「きゃんは戻ってきたら、あんたを使ってオレを復元するだろう。間違いない。自分の体の部品を使って。だが愛するきゃんにそんなことさせない! だから。だから……」
隆一はこの上ない大きな声で怒鳴った。
「オレの前から消えて無くなれ!」
『叶えられました』
箱はピョンと浮いて壁をすり抜けて消えて行く。だが、絶えず赤い光が隆一に照射されている。
「うぐぁーーーーーッ!!!」
隆一はどんどんと薄くなって消えていき、しまいには、その断末魔すら全く無くなってしまった。
◇
数日後。きゃんは退院した。
しかし、隆一が迎えに来ない。きゃんは不安を抱えていた。
間違いなく隆一は体を使って自分の病気を治したはずだと。
だが、母に情けがあるならば隆一が生き残れるだけの体にしてくれているはずだ。
彼女は期待を込めて部屋のドアを開けた。
「隆一!?」
しかし返事はない。きゃんの胸がキュッと冷たく握られた思いだった。
キッチンのテーブルの横には『母の家』と書かれたダンボールが雑に床の上に転がっていた。
「隆一!? お母さん!?」
きゃんはまたも叫んだが、なんの返答もなかった。そしてテーブルの上に隆一からの手紙を見つける。
きゃんは急いで封筒を開け、中の手紙を読んだ。
「きゃんへ
キミが手紙を読んでいるってことは、キミは助かったってことだよな?
よかった。退院おめでとう。
でもオレは、もうそこにはいないんだろう。ごめん。約束破った。
約束破って、キミの母さんの手を借りた。
嫌いになってくれ。そして再婚してくれて構わない。
でも大好きな君が治って本当に良かった。
しばらくの間、生活はオレの母に面倒見てもらってくれ。
一度行ったから、頭のいいキミは覚えてるはずだよ。
母にはもう、言ってあるんだ。
孫が産まれるのを楽しみにしている。
最後に。
キミは鈴村さんのことを凄く気にしてたけど許してやってくれ。
彼女は不治の病。
キミだけ残るんだ。
オレの分まで生きろ。きゃん。
隆一」
きゃんは無言で手紙をたたんみ元の封筒に入れ、自分のハンドバッグの中に入れた。
そして二人のベッドに行き、隆一が使用していた枕を腕の中に抱いた。
「勝手だよ。隆一は。勝手に人のこと産み出しといて。勝手に死んで。私の夫で。恋人で。私を育てた父で……」
そして誰にもはばからず大声で泣いた。産まれてきた時のように大声で泣いたのだ。
赤ん坊、恋人、妻として、母になって。僅かな時間、二人ともにいた時間の中には夫である隆一がいた。きゃんの人生の全て。その隆一がいなくなったのに自分だけどうして生きていられるのだろう。
きゃんは泣き声を止める──。
枕に隆一のものと思われる数本の抜け毛をしばらく見つめた。そしてキッチンへと向かい、引き出しよりジップロックを取り出して丁寧にその抜け毛を入れた。残された隆一の一部。それに鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「隆一のにおい」
その声はとても寂しそうだ。小さな声。消えてしまうくらいの声でつぶやいた。
「隆一。人はね。愛する人のためなら死ねるものなの。あなたがそうしたように。……お母さんは? ここにはいないみたい」
きゃんは母を捜して辺りを見回す。
「どこにいても必ず見つける。そして隆一を復元……」
きゃんは、決意を込めた言葉をつぶやくと荷物をまとめて二人の部屋を出ていった。
【予告】
男は小さい頃からヒーローに憧れていた。
願いを叶える黒い箱は魅力的な存在だった。
次回「男と正義の味方篇」
ご期待ください。