第18話 ドッペルゲンガー
家に帰る。
ベッドに二人して腰を掛けてテレビを見ていると、きゃんが息荒く強引に隆一にキスしながら抱き付いた。
上から唇を合わせ、そのまま二人は睦み合った。隆一は睦み合いの最中、きゃんの顔を見上げる。
「積極的だなぁ。本物もこんなに積極的なのかなぁ」
つい本物の鈴村きゃんと比べてしまった。きゃんは興をそがれて動きを止め、隆一の頬を思い切り平手で打ち不機嫌な顔をした。
その本気な力のこもった平手に隆一は自分の不注意な言葉を謝罪する。
「あ! ゴメン」
「別に……。いーよ。愛してるもん。でも今日はもうちょびっとも動いてやんない。バーカ」
そう言って隆一の隣に背中を向けて荒々しく寝転んだ。そんな怒った様子も可愛らしくて隆一は鼻息荒く攻守交代した。
◇
そんな二人の生活は続いた。甘い甘い新婚生活。きゃんは隆一を愛し、隆一もきゃんを愛した。ベッドもセミダブルのベッドに代えた。枕も二つ。
週末を利用して隆一の実家へ行き両親と兄に挨拶をした。楽しく談笑しているときゃんは、隆一の両親に尋ねた。
「なんで隆一は次男なのに一が付くんですかぁ? そしてお兄さんは光司さんなんですね。なんか、音からすると変な感じがしますね」
常々疑問に思っていることを質問すると、両親は爆笑した。
「ホントだ! 今まで気づかなかった! 画数でつけたからなぁ」
「え? そうなんですか? 意味があると思った!」
「しっかし、こんな可愛い人が隆一のお嫁さんだなんて! 芸能人なんでしょ? 顔見たことあるよ」
きゃんは手を振って、そのいつもの質問を否定した。
「違いますよぉ~。あっちが私に似てるだけです。あっちが偽物です」
きゃんの言葉に、隆一の両親はカワイイ冗談を言う娘だと笑った。隆一の兄は、目の前にいるアイドル鈴村きゃんそっくりの彼女に照れ、なかなか会話に入ってこれなかったが、ようやく口を開く。
「ホントにきゃんちゃんじゃないの? これドッキリなの?」
「違いますよぉ。私が本物の“きゃん”ですから。だって芸名じゃなくて本名ですもん!」
「へー。二人は前世で姉妹だったのかもね」
「ふふ。そうかもしれませんね」
そんな兄への回答。実家への初めての挨拶の日だった。
その夜。隆一の母親が隆一の部屋に布団を敷いてくれたので二人で並んで寝ていた。真夜中に隆一が目を覚ますと、きゃんは目を開けて天井を見つめている。
「きゃん……?」
「──あ。隆一。起きちゃった?」
「起きちゃったじゃないよ。枕が変わって寝れないのかァ?」
彼女は無言で横に首を振った。隆一は安心して目を閉じながらつぶやく。
「そうか──」
と、もう一度まどろみに戻ろうとする。だがきゃんの小さな声。
「ねぇ」
「──ん?」
「みんな私のこと、鈴村きゃんだと思ってる」
「ん? うん……」
「私は違うのに。成田きゃんなのに……」
「うん。そうだよ……」
「あいつさえ……」
「ど、どうした?」
「ううん。なんでもない。お休み……」
隆一に背中を向けて眠りについたと思われるきゃんを見ながら、隆一の方は逆に考えてしまった。
作られたきゃん──。
しかし、激しい自我がある。本物への嫉妬なのであろうか。隆一は早々にきゃんのために本物を忘れ距離を取らなくてはと思った。
実家から帰ってすぐ、きゃんは部屋のポスターやグッズを隆一に片付けさせた。
「隆一、ゴメン。ゴメンね。……でも結婚してるんだから、他の女の写真見て欲しくないの」
きゃんの嫉妬。隆一はきゃんを大事に思い、今までのファン活動やプレミアがついたポスターなどあったが気にしない顔をした。
「うん。もちろんだよ。もともと片付けようと思ってたんだ。だって目の前にオレのきゃんがいるんだし。不要だよな。こんなの」
隆一はきっぱりとポスターを丸めて可燃ゴミへと投げ入れた。
きゃんは嬉しそうな顔をしている。その笑顔を守るために、隆一は次のポスターも次のポスターも乱雑に剥がして捨ててしまうのだった。
◇
隆一が会社に行くと、きゃんは『母の家』から黒い箱を取り出して話しをするのだ。
きゃんは心が読めるわけではない。隆一の本当の気持ちなどはわからないのだ。だからため息をつく。
隆一が本当に好きな人は誰なのか? この顔だけが好きなのか? そんな顔を引き裂いてしまいたい。でもそんなことをしたら隆一に嫌われるかもしれない。きゃんは本物を苦々しく思っていた。
彼女が憎い。
彼女さえいなくなれば──。
そんなこと思うと、決まって彼女の母は光文字を表示する。
『願い事をどうぞ』
母と呼ぶ娘にまで体の一部の提供を持ちかけるのだ。その度に彼女は母を家であるダンボール箱に帰した。
◇
ある時、きゃんがテレビを見ているとわんわん探検隊が生出演していた。このテレビ局は近い。車で20分ほどだ。
何を思ったのがきゃんはタクシーに乗ってテレビ局に向かう。
そして警備の前では鈴村きゃんのフリをして中に入り込んだ。顔パスであった。きゃんの中には鈴村きゃんの記憶がある。来たことのあるテレビ局だ。あのスタジオがどこか分かっている。楽屋を捜しその近くにあるトイレの中に忍んで彼女が来るのを待った。
そこに、鈴村きゃんが入ってきた。彼女が個室に入ろうとしたところに強引に自分も体をねじ込ませて、個室のドアに鍵をかけ彼女の口を押さえた。
鈴村きゃんは驚いた。目の前にいるのは自分だったのだ。それは、眉を吊り上げて叫ぶ。
「鈴村きゃん! いや、伊藤ふく!」
鈴村きゃんは驚いて目を大きく見開く。成田きゃんは容赦せずに続けた。
「いい? 大声出すんじゃないよ。そんなことしたらただじゃおかない。頭のいいアンタなら分かるでしょ?」
鈴村きゃんは高速で縦に首を振ると、成田きゃんは彼女の口から手を放した。
「あんたの行動なんてお見通し。私はあんた。あんたは私だからね。いい? もうアイドルなんてヤメちまいな。人の旦那の心を奪う仕事なんて趣味悪いよ。……つってもあんたには分かんないか」
彼女は驚いてうなだれてしまった。この自分そっくりな人間に心の中を見透かされていると思ったのだ。
「そりゃ私だってヤメたいよ……」
悔しそうにつぶやく鈴村きゃん。成田きゃんはそれを鼻で笑った。
「フン! ホントはシンガーソングライターになりたいんでしょ!」
「どうしてそれを……」
「言ったでしょ。私はあんた。あんたは私。いい? 一年間だけ待ってやるから。それ以降もアイドルやってたら私どうなるか分からない。常に自分の影に恐れる生活になるよ!」
「う、うん……」
「私達の邪魔しないでよ! 忠告はしたから!」
そう言って、成田きゃんはトイレを飛び出して行った。鈴村きゃんは、そこにへたり込んで体を震わせていた。
そのうちに、メンバーやマネージャーが探しにきて、彼女を見つけた。彼女の震えは治まっていない。
「私、もうすぐ死ぬのかも……」
悲痛な叫びにもにた小さな声にメンバーたちは驚いた。
「どうして?」
「──ドッペルゲンガーみちゃった……」
ドッペルゲンガーとはドイツ語で『側面を歩くもの』。伝承の中で、自分とそっくりな者を見るとその人は 死ぬ。