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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
紀文と吉原篇
163/202

第163話 男女三組

 几帳は新造四人の顔をそれぞれキッと睨む。こいつらが熊吉をたらし込んだとばかり敵意剥き出しである。

 新造四人にしてみれば、太夫など自分たちの憧れだ。美しい顔立ちに女の身でありながら魅入ってしまった。


 熊吉は自分の寵愛する自慢の几帳が来たので笑顔でお猪口を持ち、酒を注ぐように命じた。


「おいおい。なにを勇ましい顔してやがんでィ。さっさと酒を注がねェか」


 几帳のほうでは誤解しているのでなにを白々しくコノヤロとばかり睨んで、不気味に微笑む。


「ああら。それは気が付きませんで。旦那が来てると聞いて夢中で駆けてきたものでありんすから」


 そういって頭を下げ、徳利の首を摘まんで熊吉へと差し出す。熊吉はお猪口を少し下げて注ぎ入れ易いようにした。


「あーら、あちきとしたことがァ──」


 そういって、お猪口を通り過ぎて熊吉の膝の上にびちゃびちゃと酒をかける。


「ッ! なにしやがんでィ。冷てェー」


 さらに慌てたふりをして熊吉の胸元に徳利を投げ付け、他の体面上目を細めて謝った。


「あら、間違いしんした。人間誰しも間違いはありんす。許してくださんせ。お詫びに三味線で一曲披露いたしんしょう」


 そういって禿から三味線を受け取るが、熊吉は酒がかかったところの水気を手で払い除ける。


「おいおい。三味線より先に拭くものだろゥ」

「一度に二つのことは無理」


 そして小粋な曲を弾き始める。熊吉は立ち上がって着物をパタパタと叩いた。そこに気の毒がった几帳付きの禿二人が手拭いで吹き出したのだ。

 そんな熊吉に几帳は背中を向けて三味線を弾き続けるものだから熊吉も情けない声で苦情を言った。


「な、な、なんだってんだよォ~……」

「なによ。若い女を呼んでご乱行。あちきがいながらヒドいじゃないのサ」


 二人は声を潜めてケンカである。といっても几帳が一方的に攻めているのだが。


「何言ってんだ。この座敷が終わったらちゃんとお前のところに遊びに行こうと思ってたぞ?」

「え──?」


「今日は、子どものように可愛がってきた定吉に遊びを教えてやろうと思ってきたんだ」

「え? 前に言ってたあの拾ってきた子っていう?」


 几帳は定吉のほうに大きな目を向けると、定吉のほうではとんでもない美人に見て貰えたと胸を高鳴らせた。几帳はそれに愛想よく口を大きく曲げて笑う。そしてまた熊吉のほうに寄り掛かりながら顔を向けた。


「なによゥ。だったらそう言えばいいじゃないのゥ」


 と痛くないように胸を叩く。


「お前が早とちりしただけだろうが」

「憎い人だよこの人ァ。じゃァお酒を飲ませて上げるわねェ」


 熊吉のお猪口に酒を注ぐが、すぐにそれを手に取って自分の口の中に。


「お前が飲むのかよォ」


 と言ったところで、熊吉の首に手を回し、膝に乗っかって口移しだ。もうそれは人目を憚らずといった感じである。

 定吉はそんな几帳の大胆さに真っ赤になって目をそらしたが、几帳はお構いなしだった。定吉だけではない。他の遊女たちも、几帳の情の深さに目を丸くして顔を赤らめた。

 そんな定吉に小春は酒を勧める。


「あ、あの主様──。お一つどうぞ……」

「ん? あ、ああ……」


 定吉は興奮していた。尊敬している熊吉は女に押し倒されて口を吸われている。だが小春に声をかけられ落ち着きを取り戻して定吉は酒を飲んだ。


「お見事でありんす。息もつきません」

「いや夢中で味も分からなかった。もう一杯頼む」


「おやすいご用でありんすゥ」


 その様子に文吉は安堵した。定吉に小春。熊吉に几帳。文吉には新造の遊女が三人。三人の遊女たちは今ここで文吉の歓心を買っておけばと必死でもり立てるものの百戦錬磨の文吉は涼しい顔であしらっていた。

 文吉はしばらく座敷の様子を楽しんでから定吉の肩を叩く。


「どうだ。小春は気に入ったか?」

「へ、へぇ!」


「では抱いてやれ。後はワシに万事任せておけ。明日の朝迎えに来る」


 そういって立ち上がる文吉に、定吉は訳も分からず同じく立ち上がる。だが文吉はそれを制した。


「見送りは結構だ。こちらの三人の遊女にして貰おう」


 そういって、残った遊女たちを立たせて座敷を出て行った。残されたのは熊吉と几帳。定吉と小春である。

 熊吉も、文吉が出て行ったので、几帳の手を引く。


「それじゃ寝るか。几帳。伽をせィ」

「はーい」


 熊吉の腕に引っ付いて座敷を出て行く几帳。几帳の禿も後に続いた。定吉は初めてのことなので頬を掻く。小春も赤い顔をしていた。


「ね、寝ます?」

「お、おう……」


 そこは小春も遊女である。定吉を閨へと案内した。定吉、初めての夜である。






 

 熊吉は几帳の部屋に来ていた。几帳はお付きの禿を部屋の外に出して二人きりの夜を楽しんだ。部屋を暗くして熊吉は几帳を愛す。それに几帳は情を込めて手を回していた。


「ああ、九万ちゃんずっとここにいて──。もう離さないで──」


 それは遊女の決まり決まったセリフではない。涙まじりの几帳の声は二人の閨では毎回のことだ。

 熊吉とて几帳の気持ちは分かっている。しかし熊吉はそれに応えられなかった。几帳は大事だ。愛している。しかし文吉は几帳の身請けを許さないだろう。お前もきっと欺されるというに違いない。それに文吉を裏切りたくはない。

 熊吉もここでは几帳を壊すくらい、ただ抱きしめることしか出来なかった。






 さて文吉は、新造の遊女三人に一両の祝儀を渡すと早々に屋敷に帰っていった。

 牛車を係に任せて、屋敷の入り口に立つ。


「おい! お時、お清!」

「……はい」


 重くドスのきいた声。すると奥から摺り足で千代がやって来る。


「あ、そうか……」


 気付いた文吉。時も清もこの時間はいないのだ。機嫌の悪そうな千代。だが自分はこの屋敷の主人だ。負けてなぞいられない。足に力をいれて踏ん張りながら千代を指差し指示をする。


「お、おい、お千代。ワシの給仕をいたせ」

「……はい」


 文吉が屋敷に上がり込むと、その草履を揃えて文吉の後ろに続く。なにも話さずに眉毛を吊り上げている。

 部屋に入って中央にどかりと座り込む。千代は黙って膳を取りに行った。

 キセルを取り出してタバコを吸い始める。雰囲気が重い……。なぜ自分がこんな目にあわなくてはならないのか。


 そのうちに千代が膳を持って現れ無言のままそこに座る。無言の圧力。文吉のほうがたえられなくなり、独り言を言い始める。


「ほう……味噌とネギを焼いたのと、数の子か……こりゃうまそうだ……」


 音を立てて数の子を食いつつ湯漬けをすする。その音が広い部屋を支配する。何かを話さなくては……、何かを話さなくては。その空気を破ったのは千代のほうだった。


「定吉兄ちゃんを吉原に連れて行っておいてきたのですか?」


 激しく体を揺らして驚く。何も怒られることなどしてないのに、怒られるという感じだ。


「ん……ああ。この味噌焼きもうまい……」

「嫌らしい!」


 すすった湯漬けをぷっと吹き出す。


「何が嫌らしい?」

「男なんてみんなそんなに助平ですの?」


「あ、あのなぁ。お前が定吉との結婚を断るから……」

「自分の相手くらい自分で決めます」


「……あっそう。他に好きな男がいるのか?」

「おりますので、ご心配なく!」


「お、おう……」


 食べ終わると、千代はさっさと膳を片付けて出て行ってしまった。文吉はタバコを一服吸う。嫁に叱られるとはおそらくこんな感じなのだろう。バツが悪いものだと思い、さっさと寝たほうがマシだと部屋に戻っていった。

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