第150話 東照宮改築入札
ともかく、日光東照宮改築入札は紀伊国屋の勝ちであろう。ライバルの柏木屋は消えた。
40万両手に入れば江戸一番の大金持ちだ。そうすれば白い玉から離れることは容易だ。もう頼らなくて済む。
真面目に商売をしてミツを捜す。もしミツが見つかって独身ならば結婚を申し入れよう。
そしたら夫婦して、この江戸一番の金持ちの生活を送るのだ。あの一文無しのみなしごの二人が日の本一の屋敷を持つ。なんと楽しいことだろう。
文吉は東照宮改築を任されるのを待った。
しばらくすると、紀州大納言からの呼び出しだった。これは東照宮改築の話であろうと、胸をときめかせて大納言の江戸屋敷へと駕籠を飛ばした。
大納言の御前へとまかり越すと、大納言はなぜか申し訳なさそうである。
「お上、いかがなさいました」
「いやぁそれがのう」
大納言はなぜか目を合わせようともせず、手元で扇を開いたり閉じたり。それを数度繰り返すとようやく重い口を開いた。
「東照宮大権現さまのお宮の件であるが、あれは文吉の店ではなくなった──」
は──?
文吉にはなにがなんだか分からない。ライバルの柏木屋はレースから離脱した。ではもう紀伊国屋しか残っていない。他には泡沫のような材木問屋しかあるまい。
「はぁ。もしや、改築自体がなくなったのですか?」
「そうではない」
「では延期ですか?」
「いや違う」
なかなか大納言も言い出さなかったが、ようやく言い難そうに語った。
「他の材木問屋に決まったのだ」
え……。
文吉の心の中はただのそれだけだ。柏木屋を白い玉の力によって排除したが、他に名のある材木問屋など有りはしない。それに、自分にはこの紀州大納言がついていたのではないか?
コネも金も実力も間違いなくあったはずなのに負けた。分けが分からなかった。
「一体、どこの材木問屋に決まったので?」
「うむ。余も懇意である紀伊国屋になるよう働きかけたのだ。十中八九そなたに決まりかけていたのだが、将軍さまのひと声。まさに鶴の一声だったわ」
「え? 将軍さまの?」
「左様。上様がお決めになった。それは奈良屋という材木問屋である」
「な、奈良屋?」
文吉の目の前が暗くなる。聞いたことも無い屋号だ。文吉は目まいを覚え、大納言の前であったが、前に倒れかけて畳の上に手をついて耐えた。
柏木屋を島流しにしてまで材木を引っ張り、確実に自分たちの勝ちだと思い込んでいたのでダメージが大きすぎた。
そこに、大納言は上座より駈け寄って文吉に手を貸して起き上がらせた。
「のう文吉。そんなに落ち込むな」
「は、はい」
「余の力で、そちには寛永寺根本中堂の造営を任せるよう口を効いてやったぞ。上様は、大納言の故郷の者なら間違いない。任せようとのお言葉だった」
「ほ、本当でございますか?」
「うむ。これでそなたも威張って幕府の御用達だ。それから余もそのうちに紀州に帰らなくてはならない。余の代わりに幕府の要人と仲良うなれ」
「は、はい」
「余から側用人の柳沢吉保、勘定奉行の荻原重秀に声をかけておいたぞ」
そういって大納言は文吉に目配せする。文吉は畏れ入ってひれ伏した。
「何から何までありがとうございます!」
「よいよい。幕府の連中にも接待してやってくれ」
「もちろんでございます!」
「当然余にもな」
「ええ! それはもう!」
「じゃあ早速行くか? 熊吉と吉兵衛を呼べィ!」
「はい!」
東照宮改築の入札はとれなかった。しかし大納言のお陰で寛永寺根本中堂の造営の仕事が貰えた。
東照宮ほどの儲けはなくても幕府の御用達となれる。それだけで充分だった。
文吉は大納言との縁に改めて感謝した。
文吉は吉原で遊び、屋敷に帰ると神殿の白い玉へと報告に行った。
神殿の襖を開けると白い玉は、うっすらと光った。
『どうだい、文吉。東照宮の入札は上手く行ったかい? まあ聞くまでも無いが──』
いつもなら何でも知っている白い玉なのに、なぜか東照宮の改築がとれたと思っている。不思議がって文吉はたずねた。
「あのぅ。ご存知ないので?」
『何を言ってるの? 東照宮で40万両。これはまだ布石。まだまだ大金持ちになって幕府より金持ちになるわよ!』
「東照宮の入札は取れませんでした」
『???』
「東照宮改築は別の材木問屋に決まってしまいました」
『ま、まさかそんな──』
白い玉はしばらく絶句。文吉は白い玉でも外すこともあって、ショックを受けるのだなぁと思っていた。
「ではご報告は以上です」
『ちょ、ちょっと待ちなさい』
「なんです?」
立ち上がろうとした文吉を白い玉は止める。そして、言い難そうにしていたが、ようやく声を発した。
『そ、その材木問屋の名はなんという──?』
「え? ああ。たしか奈良屋とか」
『な、奈良屋? 聞いたこともない』
「ええ。アタシもですよ」
『お前はなぜそんなに落ち着いているのだい? 40万両をフイにしたのだよ?』
「それは大納言さまが別な仕事を与えてくれたからですよ。寛永寺根本中堂の造営です。これで紀伊国屋も晴れて幕府御用達です」
『そ、そう……』
「大納言さまには感謝しかありません」
これは文吉の厭味であった。人の力で仕事をとった。自力だといいたかったのだ。もうわけのわからない白い玉の力ではないと。
『これ文吉や』
「なんです?」
『今度吉原に行くときは私を懐に入れてお行き』
「え? はぁ。まぁよろしいですが……」
白い玉は少しばかり先の未来を読んだ。しかし白い玉にも、その未来もぼやけてよく見えなかった。
なにかが見えそうで見えない。しかし行かなくてはならない。そういう未来であった。