第148話 将軍
次の日の朝。文吉と吉兵衛は襟を正して大納言を待っていると、熊吉が笑顔でやって来た。
「やけにご機嫌だな。九万兵衛」
「あ~。いえね。朝露のやつが言うんですよ。もう離れたくない。この身は九万の旦那に捧げました。もう他に男なんてないもんだと思ってるでありんす。とまァ始終こんな調子で……」
よほど楽しかったのであろう。顔を赤くしての自慢話であるが、遊女の別れ際の常套句であると吉兵衛は苦笑した。
そのうちに大納言も共の若旦那衆を連れて入って来た。若旦那衆は寝ずの番をしていたのであろう。目の下に大きなクマを作っての登場であった。
文吉は接待が成功したと、笑顔で平伏した。熊吉と吉兵衛もそれに続いた。
「徳兵衛どの。昨晩はお楽しみ頂けましたか?」
「おお。文吉よ。太夫のやつめ余に惚れおってなァ。夜通しはなさんのだ。先ほどなぞ別れ際に、もう離れたくない。この身は主様に捧げました。もう他に男なんてないもんだと思ってるでありんす。とまァ始終こんな調子でのォ」
どこかで聞いたようなフレーズ。文吉も吉兵衛も苦笑いしていたが、当の熊吉は気付いていない。
「ところで」
大納言は座り直して真面目な顔をしたので、文吉も座り直した。
「文吉と熊吉だけ残って、みな部屋から出て行け」
と人払いである。忠義厚い若旦那衆であるが、お上からの命令と言うことで、幇間吉兵衛を伴って襖の外へと出て行った。
「二人とも。ちこう寄れ。もそっとこれへ」
「は、はい」
二人とも膝を揃わして、大納言の傍へと近づいた。大納言は扇を広げて口元を隠し、小声で二人に問うた。
「文吉。そなた、鷹の際に“紀州を将軍にする”と申したな。あれはどういう意味だ」
驚く文吉。しかし実は白い玉より話を聞いていた。後々に紀州から将軍が出ると。しかも、この大納言光貞の息子であると言うことだったのだ。
しかしそれを言ってよいものか迷った。軽々しく言えるものではないし、間違えれば殺されるかも知れない。
そこで熊吉が大納言へと言葉を返した。
「実はお上。文吉は占いをするのか、ぴたりぴたりと物事を言い当てるのでございます。みかんも塩鮭も材木もみんな文吉の言葉です」
文吉は、熊吉めなかなか面白いことを言うなと思った。占い。それはいいと思ったのだ。占いならば外れることもあるし、ここだけの座興と言うことにも出来る。
「左様でございます。卦に紀州に瑞雲が立ち上ってございます。まさにこれは神君の再臨かと」
文吉は大げさに点を指差しながらスラスラと応えると、その言葉に大納言は息を飲んだ。
「本当か?」
「いえ、占いにございますれば」
「その将軍とは──。余か?」
「いいえ」
思わず核心を返してしまったと口を押さえた。そう。白い玉は光貞の息子と言っていたのだ。文吉は冷や汗を垂らす。大納言は残念そうな顔をしていた。
「左様であるか……」
「ですが、ご子息にその光明があります。大納言さまの敷いた道がご子息を将軍へと駆け上がらせるのです」
意気消沈した大納言を励まそうと文吉はさらに続けてしまうと、大納言はまたもや目を輝かせた。
「なに、長福丸(綱教・紀州三代目藩主)か?」
「いえ……」
「では、長七(頼職・紀州四代目藩主)か?」
「占いでございますので、その義ばかりは……」
文吉は占いなので正確には答えられないと伝えた。実際白い玉に、誰がとは聞いていなかったのだ。
大納言も上から順に二人の息子の名前を出したものの、文吉の答えに納得して礼をした。
「なるほどそうであったな。占いであったな。気を焦りすぎた。許せ」
「いえいえ。私めも余計なことを申し上げたと反省しております」
「いや。紀州から将軍が出ると聞いただけでもよかった。礼を言う。文吉や熊吉とはこれからも付き合いたいがどうじゃ」
「畏れ多いことでございますが、よろしくお願いします」
「木曽檜のことは、早速尾張の中納言綱誠どのに書簡をしたためよう」
「ありがたき幸せ」
文吉と熊吉は接待を成功させ、三浦屋を出る。
「それでは徳兵衛どの! よろしくお願いしますよ!」
「おお。紀伊国屋。万事任せておけ!」
胸を叩く紀州大納言。それに笑う文吉と熊吉。二人は道に背中を向けていた。その後ろに遊女が二人。仕事を終えて一度遊廓に帰る途中だった。
「はぁ。疲れたでありんす」
「ホントに朝まで離さないんですもの」
「藤佳姐さんは、この道長いのでしょう?」
「ええ。かれこれ十年」
「もう少しで年季でありんすか?」
「その前に出たいけどねェ」
「心に決めた人でも?」
「まあねェ」
「あらそれは憎いでありんす」
「結婚しようと言われてるのよ」
「ますます憎いでありんすよォ」
藤佳と言われた遊女は、まさにミツであった。文吉とミツ。それは互いに顔をあわせることなく、気付くこともない。
手を伸ばせば掴めるのに。すぐそこにいるのに──。
◇
さて紀州大納言光貞の息子から将軍が出る。これはまさに八代将軍吉宗である。そもそも吉宗は光貞の四男のうえ、妾腹であったために重要視される人物ではなかった。
しかし兄二人が紀州当主となってすぐに身罷り、自分へとその順番が回ってきて江戸幕府中興の祖と言われるほどとなったのだ。
◇
紀州大納言より書簡を預かった、尾張中納言。中身は、江戸の木曽檜は『柏木屋』が一手に押さえている。独り占めはよくない。という内容であった。
尾張中納言は、それはもっともだと、木曽代官である山村甚兵衛を呼び出すと、誠にその通り、柏木屋が上手く配分していると思い込んでおりました。直ちに改めますとの返答であったので、それを書にしたためて紀州大納言へと返答した。
手紙を預かった大納言はほくそ笑んですぐさま文吉と熊吉を呼び出した。
「どうじゃ。余にかかればどんな難題も思うがままじゃ」
「まさに。さすがは神君のお孫さまでございます」
大納言は呵々大笑であった。
「では文吉。そのほう、余に礼をするであろうな」
「もちろん。高尾もお上を待っていることでしょう」
「そうか、そうか。高尾は余を待っていると申すか。そのほうが無理にと言うならばあってやろうではないか」
「無理を申し上げて、申し訳ございません」
「かっかっか。なんのなんの。では行くか」
行くかと言われれば困るのは家老の渡辺主水である。幕府にバレたら大変だ。全員切腹だ。紀州は改易だとまたもや若侍を集めて警護をさせた。
警護の若侍、文吉たちについていけば小遣いは貰えるし、女の子たちとも遊べると、渡辺主水の前では凛々しく眉を上げるものの、外に出ると鼻の下を伸ばしながらついていった。
その晩も大変に盛り上がり、遊び呆けた。大納言もご機嫌であった。
さて後日、尾張から紀伊国屋へと届いた木曽檜であったが、たったの18本。柏木屋からお情けでと流されたことが手に取るように分かった。
こんな申し訳程度では商売など出来ない。文吉と熊吉は、大納言へと正直にそれを伝えると、大納言もわが事のように憤慨して、また尾張中納言へと書簡を贈ったのであった。