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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
紀文と吉原篇
145/202

第145話 お礼

 日を選んで文吉と熊吉はお供を連れて、紀州大納言のお屋敷へと向かった。風呂敷の中には絹織物三匹持参して。

 門をくぐろうとすると門番に止められる。


「お手前は当家になんのご用か?」

「兼ねてお招き預かりました、手前どもは紀伊国屋でございます。お広敷(ひろしき)通ります」


「左様か。兼ねてお上よりお達しがあった紀伊国屋どのであったか」


 お供を門で待たせて、門をくぐると広い広いお屋敷である。庭を通ってようやく玄関に着くと、案内に出たのが歳の行った初老のお侍。


「当家の重役、渡辺主水(もんど)と申します。お上がご面会を許されると誠にありがたいお言葉。御前にまかり越した際には無礼がないように」


 こう言い渡されると、一度山で会っていたとはいえ緊張し始めた。お広敷という大変大きな座敷に通されると、横にはお侍たちがすでに座り、正面の一段高いところには座布団と肘掛けが用意されていた。


 二人が座っていると、頭を下げるように言われる。言われた通りにすると、上座の襖がスッと音がして、上座の席に腰を下ろしたようであった。


「主水。彼の者はなんと申した。文左衛門と九万兵衛か。二人とも面を上げィ」


 言われた通りに顔を上げ手をついたまま挨拶をした。


「大納言さま。お懐かしゅうございますゥ」


 そう言われて、大納言はその二人の顔をまじまじと見る。そしてパッと笑った。


「なんだ、その方ら。文吉と熊吉ではないか! 一丁前に立派な髷など結って紋付きを着ておる」

「左様でございます。大納言さまに頂戴したお金を元に商売を始め、ここまでの商売人となりました。屋号も紀州にあやかって紀伊国屋でございます。こちらはほんの手土産でございます」


 と、絹織物を差し出すと、大納言は家来に受け取らせた。

 大納言はご機嫌になり、江戸に駐留する渡辺主水に二人との鷹の話を聞かせた。


「左様か。その方らが紀伊国屋。その方らなら面識がある。商売が繁盛するとは喜ばしいことだ。そちらの商売は材木問屋と聞いておる。そう言えば、東照大権現さまのお宮の改装があるらしい。紀伊国屋。その方、入札はしたのか?」


 東照大権現とは徳川家康のことである。死して日光東照宮に祀られている。実は数年前の地震により内部の施設が壊れたので改装する手はずになっていた。

 しかし、東照宮の改装には木曽檜がなくてはならない。

 文吉は思った。木曽檜は紀州と親戚続きの尾張徳川の管理下だ。白い玉が言っていた使者とはこれだと感じたのだ。


「お上にお願いがあります」

「ほう。申してみよ」


「実は、尾張徳川さまの管理下である木曽檜は、江戸では柏木屋が独占しております。木曽檜がなくてはとても東照宮の入札も出来ません。その木曽檜をこの紀伊国屋にも卸して頂けますようお頼み頂けませんでしょうか?」

「なに、左様か。それは不届きな。独占とは気に入らん。木曽檜。よし余から頼んでやろう」


「ありがとうございます」


 大納言は扇を広げてニヤリと笑い、口元を扇で隠す。


「その方、では余に礼なぞするであろうな」


 お礼──。大納言にそう言われても何を贈ったらいいか見当もつかない。


「はぁ。さればどのようなものがお好みであられましょう」

「それはアレじゃ。余はそなたの江戸でのことを聞き及んでおる」


「と、申しますと?」

「そなたは遊びの達人らしいな」


 なるほど。大名にまで、自分たちの吉原での遊びは伝わっていたのだと感じた。実際に楽しんでいるのは熊吉のほうで自分はほとんど仕事だ。一人の遊女も抱いていないのにと思ったがうなずいた。


「はい。お上の耳に入るとはお恥ずかしゅうございます」

「余は下々の遊びに興味がある!」


「なるほど。では吉原のお話でも致しましょうか?」

「……いや違う。そちは商売人である割に勘が鈍いな」


 文吉はその言葉に息を飲む。


「──徳川御三家のお一人、紀州公のお上を吉原に連れて行けと?」


 途端に、そばに控える渡辺主水は咳払いをする。


「オホン。これ紀伊国屋。お上がそんな悪所に興味があるわけなかろう」


 悪所とは今でいう色街。すなわち風俗街である。そんな場所にお上に行かれては大変だと、大納言に釘を刺す意味で文吉の勘違いとしたかったのだが、それに大納言は渡辺主水の方を向く。


「左様。主水、余がそんなものに興味があるわけがない。しかし悪所とはどういう場所か視察せねばいかん!」


 そんなことを言われて渡辺主水は眉を吊り上げる。俗に徳川御三家を『水戸に君あり、紀州に臣あり、尾張に大根あり』というように、紀州の臣はお上を助けるものが多かったようだが、悪く言えば真面目の堅物揃いだったのであろう。


「お上! そんなことが幕府に知れたら大変ですぞ」


 声を張り上げる渡辺主水を大納言は手を上げて制した。


「もちろんじゃ。であるから余はお忍びである。紀伊国屋よ。吉原では余を大納言と呼んではいかん」

「で、では私の友人で紀州屋の徳兵衛という名前ではいかがでしょう」


「紀州屋徳兵衛。よい名じゃのう」

「ありがたき幸せ」


 渡辺主水の慌てる中、とんとんと話は決まり、大納言改め紀州屋徳兵衛は商人らしい服装と髷を結って文吉と熊吉と一緒に屋敷を出る。


 大慌ての渡辺主水は、若侍を集めて、幕府に知れたら改易だ。閉門だ。お前たちは切腹だと脅し、バレないように変装して護衛せよと、商屋の若旦那を装い、腰に大刀を一本だけ差した侍が20人集めて大納言の後ろを守らせた。

 大納言の護衛で背筋を伸ばしてついて行く。まるで大名行列だ。とても若旦那には見えない。


 途中、文吉は人を使って吉兵衛を呼ばって、座敷の用意を言付けると吉兵衛は先に吉原へと向かっていった。


 駕籠に乗って大門をくぐると、大納言は駕籠の御簾を上げて辺りをキョロキョロ。そこで駕籠を降ろされ、三人は馴染みの三浦屋へと入っていく。

 護衛の若旦那衆は慌てて、外は十五人で睨みを利かせ、中にはお前たちが行けと選ばれた若旦那衆の五名、こちらも息を切らせて無理矢理にお座敷に入っていった。


 吉兵衛はすでに待ち構えており『なるほどご友人の』ということで、遊女や食膳など用意して、『さァ今宵も楽しんで参りましょう』という段だが、周りの若旦那衆の様子がおかしい。絶えず目を血走らせて、お膳が来ると、立ち上がって『御免』というと、一つ一つに箸を付け、それを紀州屋徳兵衛の前に運んでくる。毒味というやつである。

 何も知らされていない吉兵衛もこれを見て『随分高貴なお方がお忍びで来たのであろう。無礼があってはいけない』と気を付けることにした。

 遊女の方は吉兵衛よりも男の相手をしてきた手練手管だ。早々に『これはすました侍だ。商人に化けているようだから遊んでやろう』と思っていた。

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