第141話 高尾太夫
吉兵衛の三味線に合わせて、遊女たちは鳴り物を鳴らした。
じゃん、じゃじゃん。
じゃん、じゃじゃん。
「どうです。最初は軽めに都々逸でもやろうと思いますが」
「結構だね。どんな歌だい」
「粋な恋の歌を、七七七五で作ります。歌と合わせて三味線を弾きます」
「面白そうだ。粋なのは結構だ」
二人の承諾を得ると、吉兵衛は楽しそうに笑った。周りの遊女も、楽しそうである。
「そーれ、ちょちょんのちょん。
〽️四国ゥ西国ゥ、島々までもォ、都々逸ァは、恋路のゥ 橋渡しィ」
名調子の歌だ。二人は楽しくなって手を打った。
「〽️雨戸叩いてェ、もし酒屋さんンン、無理を言わぬゥ 酒ちょうだいナァ とくりゃ」
これが幇間だ。それが生業だ。文吉はプロの技に魅入った。金を払う価値のある遊びだと感じたのだ。
「〽️恋に焦がれてェ、燃え尽くよりもォゥ。あの娘と濡れてたァ、ほうがいいィ」
吉兵衛は馴染みの遊女である汐凪のほうを見ながら歌うと、汐凪は笑いながら犬の仔を追うような手つきをした。
それにあわせて遊女たちはからかうように笑い、吉兵衛は拗ねたように小さくなった。
この少ない言葉の歌にもドラマがある。文吉はそれを感じて手を叩いて笑った。
熊吉は鼻を鳴らして立ち上がる。
「よーし! オレもやるぞ!」
やるぞと言われても、文吉には不安しかないが、遊女たちは「お大尽、お大尽」と囃し、吉兵衛も三味線をかき鳴らして、熊吉のために調子をゆっくりめにする。
熊吉は軽く咳払いをして胸に手を当てた。
「〽️紀州のォ……」
止まった。全くのノープラン。全員わたわたとコケた。長付き合いの文吉も分かっていたとは言え、余りの不出来に声を上げた。
「出来てから言えよ。お前はよゥ」
「〽️ウナギのォ……」
「続けるな。聞いてたか? 七七七五だ。紀州もウナギも四四じゃねェか。しかも関連がない!」
「〽️湯漬けのォ……」
「なんだ。まだあんのかい?」
「〽️タマゴォ焼きィ~」
最後、五で〆たと得意げな熊吉だが、文吉は背中を大きく反らして静寂。その後で叫んだ。
「めちゃくちゃだなァ。自分が食いたいものを言ってるだけじゃねぇか」
頭を押さえて笑う姿の熊吉に、遊女たちも転がるような声で笑う。
この頃になると、他の座敷も灯りが灯って楽しそうな声が聞こえる。しかし、文吉たちの座敷以上の規模はほとんどない。あそこの灯りはどこのお大名だァとみんなで噂が始まった。
「なんでィ。じゃあ文左衛門の兄ィは出来るのけィ」
「出来るなんてもんじゃァないが、進んで立つほどの結果ではなかったと言っているんだ」
それを吉兵衛や遊女たちは笑って止める。
「まァまァ。遊びですから、九万兵衛の旦那も盛り上げるためにお上手でございました。吉原は粋でなくてはいけません。そこへ行くと粋なところじゃありませんか。文左衛門の大旦那も一つやってみましょう」
と三味線を鳴らす。
つん、つん、つん、つん。
囃し立てるとはこのことで、文吉もなにか出さなくてはならないと頭を捻る。
そのうちに遊女の一人が「はい」と言って手を上げる。歌の出来ないお客をそのままにしておいたら客の恥となる。遊女の上手い計らいである。吉兵衛もそれをわかって、そちらに体を向けて三味線を鳴らした。
「〽️ぱっと輝く、花火のような、男の唄こそ 粋ですなァ」
わっと拍手が起こる中、文吉は頭を捻った。簡単そうで難しい。こうなると熊吉のタマゴ焼きのほうがまだ出た方だと思った。
考えていると、町の雰囲気が変わる。ワイのワイのとザワつき始めたのだ。
「なんだァ?」
熊吉は立ち上がって窓から様子をうかがいに行った。そこにはここにいる遊女よりも豪華な衣裳を着た遊女が二人の女童に三味線と鼓を持たせて、一人の女に手を引かせ、大きな黒い雪駄を鳴らして、ポッ、ポッと歩いてくる。
吉兵衛が熊吉の背中に言った。
「あれぞ本日の主役で、高尾太夫でございます。こちらのお座敷に来まして、上座に座ります」
「はあ? ワシらが客じゃねェのかい」
「吉原では太夫が一番偉いのでございます」
「ふーん……」
そう聞くと、熊吉も無礼があってはならないと、自身の座布団に座る。
そのうちに、外から太夫が行くのはどこのお座敷だ。あれは紀伊国屋の旦那がただ。やはり銭をもってるなァ。との声。
文吉は太夫とはどういうものか吉兵衛に聞いてみる。
「太夫は遊女の最高位で、国を傾けるほどの美人なので傾城とも呼ばれます。知識も教養もありまして、お相手は大名や豪商などの長者さまだけですな」
「ほう、そんな人か」
「高尾太夫は三浦屋きっての太夫でして、天下に二人とおりません。年の頃は16、8といったところでしょう」
「なんかおかしいこというね。7がないじゃないか」
「ええ。先月流しちゃいまして」
それを聞いた遊女たちはフッと笑う。なるほど、七と質をかけたのだ。
そうこうしてると果たして、上座にある襖が開き、女童が案内する中、高尾太夫が入って来た。
途端に、吉兵衛は曲調を変えて三味線を鳴らす。
「〽️立てばァ芍薬ゥ 座ればァ牡丹ンン 歩く姿はァ 百合の花ァ」
太夫を褒める歌と同時に高尾は腰を下ろし、文吉と熊吉に手を揃えてお辞儀をした。
「おいでなんしィ」
二人ともポカンと口を開けていたが、こちらもわたわたと頭を下げた。
「こ、こりゃどうも」
「おいでくださいました」
高尾は二人の滑稽な様子に口を押さえて笑った。そして吉兵衛へとたずねる。
「吉兵衛さん。あの人さんはどなたでありんす?」
「えー。紀州みかん船でお馴染みの紀伊国屋文左衛門さまと九万兵衛さまでございます」
「まァあの。そうでありんしたか。紀文のお大尽と紀九万のお大尽。今日は楽しんでいきなんし──」
そういって女童にキセルを用意させると煙草をぷかぁり、ぷかぁり。こちらに来て遊ばないのかと吉兵衛に聞くと、初回はこういうもので、来て貰えただけでも脈ありだと答えた。
しかし、ぬるっとした感じで釈然としない。そこだけ別の空間のような感じがして文吉は気持ちが悪かった。