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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
紀文と吉原篇
139/202

第139話 幇間吉兵衛

 源蔵が二人を迎えて訳を聞くと、みなしごを見つけて拾ってきたという返答。


「そんな犬や猫の子じゃないんですから」

「放っておいたら、それこそ犬のエサになっちまう」


 源蔵に答えて、文吉は玄関先で声を張り上げた。


「おい! お時! お清!」

「はァい」


 奥から返事が聞こえたかと思うと、女中の二人が足音を立ててやって来た。


「おや旦那がた。今日は遅いんではなかったので?」

「予定が変わった。見ろ」


「あらまァ。この子たちをどうしました?」

「拾ったんだよ。今日からウチで働くんだと。着物着せて飯を食わせてやってくれ。それから仕事だ」


 そう言うと、お清が草鞋をはいて二人の手を引いた。


「おやまァ。だったら裏で足と体を洗ってやるよゥ。汚いままで上がられちゃァもう一度拭き掃除しなくちゃならないじゃないか」


 そう言いながら、裏手に二人を連れて行った。文吉と熊吉は、遊びに行くより面白そうだと、体を洗って服を着せたらこっちに連れて来いと、部屋に入って腰を下ろしていた。


 しばらくすると、お時が二人に茶と菓子を持ってきて、孤児の二人の食事もここでとらせるのかと確認すると、果たしてそうだという回答。半刻もすると、元気な足音を立てて二人がやって来た。


「おお、定吉。お千代。見違えたな。馬子にも衣装だ」


 熊吉はそう言うが、文吉は息を飲んだ。


「どうしたい。文左衛門の兄ィ」

「おミツ──」


「え?」


 熊吉の言葉を背中に、膝と手で千代の元に急ぎ、その手を取った。


「お千代。お前のおっかさんの名前は?」

「え?」


「お前のお母さんだよ! 名前を覚えてないか?」

「えーと、んーと、おはる!」


 途端に強張った文吉の顔が和らぐ。千代とミツの顔はまさに生き写しであった。しかし、母の名前が違う。千代はミツの子どもではない。つまりミツは火事で死んで死んではいない。

 文吉はホッとした。そんなことを熊吉は何のことか分からずたずねた。


「どうしたんでィ。文左衛門の兄ィ」

「──いやさ九万兵衛、この千代が前々から言っている、別れたおミツに生き写しだ。だから千代の母親はおミツだと思ったのよ」


「なんでィ。そうかい。だったらまだどこかで生きてるのかも知れねェな。希望があるな」

「そうよなァ」


 そんな折にお清がお膳を二つ運んできた。白いご飯に、魚のアラ汁。おからを炊いたのに大根菜のお漬物。

 この時代、保温ジャーなどない。白いご飯は冷や飯だ。お清は二人の目の前でご飯にお湯を注してやった。湯漬けというやつだ。


「わぁ! しろまんまだァ」

「さ、お食べ」


 ガツガツ、ちゃんちゃん。

 箸が陶器とぶつかって音を鳴らす。腹が減っていたのだろう。慌てて食べているのだろう。文吉と熊吉はそれを可愛らしいと見守った。

 千代の楽しそうな顔を見ながら文吉は思った。おミツはどこかで生きているのかも知れない。ひょっとしたらこの江戸にいるのかも──。

 二人は今日の遊びはこの辺にして、次に回そうということになった。





 明くる日、源蔵に屋台の話を楽しそうにするものの、屋台で買い食いしたことなど遊びに入りますか。さァ、今日も遊んでらっしゃい。

 芝居に踊りにお座敷なんかで遊ぶのが大人の遊び。女郎を買うことぐらいなさいな。移動には駕籠を使いなさい。と、二人を見かねて仕方なしに遊びのレクチャーだった。二人は目を丸くした。


「なぁるほど、それが遊びかァ」

「さいでございます。袂と懐に銭を入れて、さァいってらっしゃい。仕事の方はこのアタシに任せて、さァさァ」


 ケツを引っぱたかないと何も出来ないだろうと源蔵はさっさと二人に見合うであろう大金を持たせて入り口まで見送った。

 二人はとりあえず駕籠を捕まえようと歩き出すと、後ろから呼び止める声。


「旦那がた。遊びに行きたいんでやしょゥ?」


 振り返ると、江戸のよい男の装いだ。髪型もキッチリして、鼻の下には泥鰌ヒゲ。歳は二人より少しばかり若そうだ。侍でもないのに裃を着ているが、なぜか三味線を抱えている。


「間違ェねェ。お二方、紀伊国屋の旦那様でやしょゥ? 昨日、大通りでお見かけしてずっと付いて行きましたが、屋台に火事被害者と救済。アタクシゃ、感服致しましたナ」

「お前さんは誰だい」


「申し遅れまして。あっしは幇間(ほうかん)の吉兵衛と申します。お座敷で遊んで貰うのを生業としております。本日はアタクシをお供でどちらかへスゥっと参りましょう」


 二人ともポカンとしていた。遊んで貰うことが商売。意味が分からない。そんなことが商売になるものか。


「幇間とは?」

「幇間とは、芸者です。芸人。たいこもちとも申します。歌を歌って三味線も踊りもやります」


 そういって三味線をバチでちゃらんと鳴らす。

 文吉は思った。なるほどそう言う商売があるのか。遊び知らずの自分たちだ。そういうのに案内して貰えばいろいろ遊べるだろうと考えた。


「そうかい。芝居や踊りや女郎のところに連れて行ってくれるかい」

「もちろんでございます。楽しかったらお代を頂戴出来れば幸いでござんす。へへ」


 この幇間の吉兵衛は成金の紀伊国屋の二人なら金を持っているだろう。遊んでくれるだろうと思い近付いたのだ。それは見事に功を奏した。




 吉兵衛が最初に連れて行ったのは芝居。人形浄瑠璃の小屋である。

 まるで生き物のように動く人形は人間そのもの。文吉と熊吉の二人は目を奪われて魅入った。最後には涙を流して手を叩くほどであった。

 小屋を出て吉兵衛が感想を聞く。


「いやァ、これはいいものだ。こんないいもの初めて見た」

「そうでやすか。いつもはお仕事がお忙しいと見えます」


「江戸に来て仕事ばかりで稼いできたからな。金の使い方がトンと分からん」

「さいですか。本日はきっと楽しめますよ」


「しかし、芝居の途中で、男が思っていた女に“可愛さ余って憎さ百倍”と言っていたが、そこは意味が分からんかった」

「さいですか? 思いが強いほど、女に裏切られ奪われると憎くなるものでして」


「そうかなァ。好いているなら、その女の幸せを祈るものじゃないのかなァ」

「さあて。芝居ですからなァ。庶民はそういうのが好きなんでしょゥ」


 可愛さ余って憎さ百倍。自分はミツの幸せを祈っている。どこかで誰かと夫婦になっていてもそれはそれだ。生きていてくれればそれでいい。

 それは裏切りなんかじゃない。ただ無事でいてくれたらと空を見上げて祈った。

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