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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
紀文と吉原篇
135/202

第135話 流感

 神殿の中での白い玉の助言はまだ続いた。


『そのうちに木曽檜を扱えるようにする使者がくるだろう。それまでに木を切り出して運ぶ“木屋師”、それを筏にして運搬する“筏師”、それを木材に加工する“木挽(こびき)”の職人を集めなくちゃね。それから飯炊きや掃除の女中も必要だし、小僧も必要だわ』

「さ、左様で」


『もっと金を稼がなくてはならない。今、上方(大阪)の方では疫病が流行ってる。それの薬として塩鮭を売りに行きなさい』

「し、塩鮭ですか?」


『そうよ。これが一番病に効く』

「そうなんですか? へェ~」


『……というふうに売り込むのよ。塩は殺菌効果がある。病の元を殺します。鮭の脂は栄養があって体力が回復すると触れ回りなさい。上方には江戸ほど鮭は出回っていない。これも値が跳ね上がる代物。さっそく集めて船に詰め込みなさい』

「なるほど! はい。分かりました!」


 文吉は神殿を出ると、熊吉、源八に指示し塩鮭を買いに行かせた。

 これが一本、二分(50000円)である。それを8000本。つまり4000両分だ。有り金で買うだけ買い込み、また船旅だ。

 熊吉と源八は、材木を買わずに塩鮭という不思議な購入に首を傾げたが、文吉のやり方に間違いはない。

 気合いを入れて船に乗り込んだ。


 今度の海は波風は荒いものの、最初の船出の時と雲泥の差だ。あれを過積載で乗り切った文吉一家には楽勝であった。

 上方の港に着くと、文吉一家のものは大阪中を走って触れ回った。


「さァさ、流行病にたっぷり脂ののった塩鮭はどうだ! 塩は病を殺し、鮭の脂は体力を回復させる。早い者勝ちだよゥ!」


 病が過ぎて活気がないが、青っ(ちろ)い顔をした病人が塩鮭を求めてやって来る。

 勝手に商売をされてはたまらないと、みかんの時のように仲買人がやって来て、文吉と直談判だ。

 また勝手に値段をつり上げて、最終的には一本、二両三分(27万5千円)である。

 二分(5万円)で買ったものが二両三分(27万5千円)。5倍以上だ。


 即ち、2万2千両(22億円)が手元に残った。完売である。ひと月もしないうちに12両が2万を越えた。文吉一家は笑いが止まらない。


「どうだ。荒稼ぎをしたんだ。今日も少しばかり贅沢をしよう。この町で宿をとって酒を飲もうじゃねぇか」


 みんな手を叩いて囃し立てた。熊吉は率先して宿を探しに行ったのだ。




 宿も決まり、宴会を始めたところで、主人のすすめもあり女芸者が入って来た。こんな遊びをしたことがない文吉は目を丸くした。

 女芸者は白く顔を塗って口には紅をさし、三味線を弾いて歌を歌う者、踊りを踊る者。源八以下のものは立ち上がって踊っていたので、文吉も楽しくなって手を叩いた。

 しかし熊吉は目をうつろにして体を揺らしている。


「どうしたい。熊吉。面白くねェのか?」

「いや。眠い。先に休んでもいいか?」


「ああ。じゃあ部屋に行け」

「おう」


 熊吉は足をフラつかせながら部屋へと向うのを文吉は見送った。

 歌と踊りも一段落して、芸者たちが酒の酌をするというので、源八はあの上座にいるのが大旦那の紀伊国屋文左衛門さまだと言うと、芸者の中でも位の高い年増なものがやって来たので文吉は酒を注がれるついでに聞いてみた。


「流行病とは一体どういうのなんでェ」

「ああ、なんでも高い熱が出て悪くなるとそのまま、おっ()んでしまうそうです」


「なんと、死ぬ病かァ」

「大旦那さまも、あまり出歩かない方がいいですよ」


「そうかァ。ありがとう」


 おそらく、流行性感冒。すなわちインフルエンザであろう。この頃、医療も進んでおらず、いくら若くて体力があっても、ポックリ亡くなってしまう場合は稀にあった。


 芸者たちはめいめいに酒を注いで回り、しばらく談笑したのちに、また歌と踊りを始めたが、文吉はいつも一緒である義兄弟の熊吉がいないところで楽しめずに立ち上がって熊吉の様子を見に行くことにした。


 熊吉と文吉は同じ部屋だ。旦那らしい広い部屋で豪華なものだった。文吉が襖を開けて入ると灯りもなく真っ暗だが、熊吉の寝息が聞こえた。


「なんだァ。やっぱり寝てるのかァ」


 文吉は熊吉がいないのに一人で楽しんでも仕方がない。ここで一人酒でもしようと先ほどの徳利を持ってこようと思ったが足を止めた。


 熊吉の息が荒い──。


 暗闇の中、急ぎ駈け寄ってぼんやり見える人の型の頭の方に手を添え、瞬時に手を離した。熱い。高熱だ。流行病に罹患したのだと、先ほどの部屋に行って声を張り上げた。


「おい! 九万兵衛が病気だ! 急いで医者を呼んでこい! 宿の主人に火鉢や水、お湯、手拭いをもってこさせろ!」


 叫んだ後にこうしてはいられないと、熊吉のところに戻り、窓や襖を開けて換気だ。

 宿の主人が水桶と手拭いを持ってきたところで、水に浸した手拭いを固く絞って熊吉の額や首元に当てた。


「熊吉、しっかりしろィ! 死んじゃならねェぞ!」


 文吉の呼びかけに、熊吉は小さく目を開けたものの、またすぐに閉じてしまった。

 源八が呼んできた医者は熊吉の腕をとって脈をみたり、熱を測ったりするだけだ。文吉は医者に懇願した。


「先生。どうか熊吉を殺さねェで下せェ。先生。熊吉は大丈夫でしょ? ね、ね、ね?」


 そんな言葉に医師は苦い顔をするだけだった。そして薬を渡す。


「栄養のあるものを食べて、休みなさい」

「そ、それで治るんで?」


「いえ、旦那さま。あなたに言ってるんです」


 文吉は震えた。熊吉と一緒にいるから、伝染したかも知れないから療養せよという意味だったのだ。

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[一言] ぬおおおーー! 熊吉ぃぃーー! 死ぬんじゃないぞぉぉーー!
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