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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
紀文と吉原篇
129/202

第129話 紀州中納言

 三人の侍に引き連れられてやってきたのは、先ほどの野っ原よりもさほど遠くない場所であったが、山の陰になって文吉と熊吉には見えない場所だった。

 そこには正装した侍たちが立ち並び、勢子と呼ばれる獣を追い込む係のものが大勢いた。

 幔幕が張られた中に案内されると、鷹狩りの衣裳を纏った紀州中納言。文吉と熊吉は畏れ入って平伏した。


「御前。連れて参りました」

「左様であるか。これ町人、名をなんという」


「て、手前は文吉でございます」

「熊吉でございます」


 二人の名を聞いた後で紀州中納言は呵呵大笑した。


「はっはっは。度胸のあるヤツらだ。生類憐れみ令の中、無防備に鷹狩りをするとはな!」


 中納言が笑う中、文吉と熊吉は顔を見合わせた。

 生類憐れみ令とは、時の将軍、徳川綱吉が出した命令である。生けとし生けるものを憐れもうと生き物の殺生を禁じられた。漁師以外の娯楽の釣りなども禁止されたほどだ。当然、中納言の行おうとしている鷹狩りも禁止の対象であった。

 鷹狩り自体も、許された大名のみの娯楽で、文吉のような市井の民ができるものではない。しかし禁じられた鷹狩りは中納言の大好きな娯楽だ。表向きは江戸の将軍の布令を聞いている顔をして、実は隠れてこんなことをしていた。


 生類憐れみ令は最悪の法律であったが、地方ではこのように緩さもあり極端でなければ見逃されるものも多かった。

 中納言は先ほどの侍の剣幕とはほど遠く、笑っていた。そして文吉の鷹に興味があるようであった。


「その方の鷹はかなり度胸が据わっておるな」

「さ、左様で……」


 中納言の周りの鷹匠が据える数羽の鷹は、文吉の鷹に怯えているのか羽根をバタつかせ、手の上を行ったり来たり。それに対して文吉の鷹はピンと胸を張り微動だにせず声を発しなかった。


「ふむう。この中で一番威風堂々としておる。さながら鷹の将軍だな」

「将軍──?」


 大空を見上げる中納言。高いところに大きな鶴が飛んでいる。それを指差した。


「文吉。あれがとれるか?」

「お、お咎めがなければおやすいご用で」


「許す。やれ!」

「は、はい」


 文吉の体の操作は白い玉が行う。文吉の鷹は掌の上で二三度羽ばたくと、大空にロケットのように舞い上がる。


 一瞬──。


 花火のように広げられた鷹の羽根。それと同時に鶴の白い羽が空中に舞う。その羽が渦を巻く中央を文吉の鷹は急降下。鉤爪には鶴が握られている。周りの者は息を飲んだ。

 文吉の鷹は文吉の掌に止まる際に鶴を落とす。その全ての課程すら美しい。中納言は唸った。


「むうう。これはこれは素晴らしい」

「あ、ありがたき幸せ」


 自分の持っている鷹の中にこれほどのものはない。中納言は真っ直ぐに文吉の顔を見ながら口を開く。


「文吉。これを余にくれ」


 そういって、近侍のものを呼び指図をすると、果たしてその侍は和紙で包まれた小判を盆に乗せて中納言に差し出した。

 文吉の目からもそれは100両(1000万円)はあるだろうと見て取れた。中納言はそれを文吉の元へと運ばせた。


「100両ある。これで余に譲ってくれ」


 10両の鷹が100両である。10倍に化けた。文吉も熊吉も震えて最初ものが言えなかった。しかし、文吉は震えながらも口にする。


『お断り申し上げます』


 そこにいたものは全て凍り付いた。言った文吉本人さえも。それを言わせたのは白い玉だったのだ。いつものように文吉を操り、勝手にものを申させたのである。

 文吉は震えて鷹を掌に据えたまま、平伏した。どうしてか分からない。白い玉は味方ではなかったのか。侍を怒らせて良いことなど一つもない。文吉は必死に中納言に言葉を告げようとするものの、操られていて口が開かない。

 中納言は冷静を装うものの、眉がヒクリと動いていた。


「なんじゃ、文吉。足らんか?」

『左様でございます』


「ほ、ほう。では200両やろう。それで余に譲ってくれ」

『なりませぬ』


 言っている本人、文吉の背中に冷たいものが流れる。熊吉も驚いて声をかけた。


「お、おい。文吉」


 周りに控える侍も、さすがに無礼と思い激高したものが声を上げた。


「やい町人。御前(ごぜん)間近であるぞ!」


 それでも文吉は平伏したまま“はい”とは言わなかった。中納言も頭に来たようで、もはや顔に笑顔はなかった。


「文吉。(おもて)を上げろ。(つぶり)を起こせ」


 操られる文吉は顔を上げて中納言の顔を見る。文吉は汗ビッショリで唇を震わせていた。


「なぜじゃ? なぜ譲ってくれん?」

『これは私の財産でございます。これで一生食べていかなくてはなりません』


「文吉。鷹に200両は高すぎるくらい余とて知っておるぞ?」

『しかしこれは吉兆の鳥。中納言さまに渡れば紀州徳川に幸運を授ける鷹となりましょう。200両ではとても』


「紀州に? はっはっは。気でも狂ったか。世迷い言はよせ!」

『いいえ。紀州徳川を将軍にする鷹にございます』


 紀州中納言は文吉をにらみ据えた。将軍の地位になどなれるわけがない。それを町人が軽々しく口にするのが許せなかった。


「不可能だ。もうよい。斬れ!」


 紀州中納言が文吉を指差し周りのものに指図すると文吉は鷹を据えたまま立ち上がる。


『不可能を可能にしてご覧に入れます』


 恐れもしない文吉に皆、足がすくんだ。当の本人の文吉は体を操られたまま死に体だ。しかし、文吉の目には懐が赤く発光するのが隙間から見えた。


 すると幔幕の外からどよめきが聞こえた。やがてそれがはっきりとした声となる。


大猪(おおしし)だ!」


 それとともに、幔幕の一部が倒れ一町(110m)ほど先に一丈(3m)もあろう大猪がこちらに突進してくるのが見えるではないか。


「防げ、防げ!」

「御前に近づけるな!」


 侍たちは槍を構えて大猪を追いかけるものの後手──。とても大猪のスピードに勝てず背中を追いかけているようだ。

 幔幕の侍たちは抜刀して中納言の前に立つが、その前には文吉。文吉の鷹は掌の上で大きく羽ばたいた。


『今日、ここに文吉を呼んだことを第一の幸運と思いなされ──』


 そういって大猪に向けて鷹を飛ばす。相手は一丈もある大猪だ。それに鷹を差し向けるなど、狂気の沙汰だと誰しもが思った。


 しかし文吉の鷹はさながら戦闘機のように大猪に迫り、その鉤爪で両眼を握りつぶしてしまった。

 これには大猪も大きく口を開けて咆吼した。だが猪突猛進と言うだけのことはある。そのまま中納言に牙を向けて突進。


 閃光──。


 文吉の鷹は空中に舞い上がるが、低く一回転して体勢を変える。そして大猪の首に鉤爪を立て、眉間目掛けて太く曲がった嘴を突き立てた。


 文吉の鷹は胸を張って顔を上げると、大猪の眉間より夥しい血と脳漿が溢れ出し、そこにどうっと倒れ込んだ。

 文吉の鷹は、そこから当たり前のように文吉の掌へと帰り羽根を閉じた。

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