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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
紀文と吉原篇
123/202

第123話 お稲荷様のお使い

 それから数日後──。

 ミツの家に馬を挽いた男がやって来た。ミツの家の主人は笑いながら頭を下げて、ミツを馬の上に乗せる。

 文吉はただそれを畑の斜面から仕事の手を止めて見ていた。ミツも文吉のほうをジッと見ていた。


 文吉はそれに手を振ることしか出来ない。無力な人間。身分もへったくれもない。家畜同然の人間たち。

 しかし文吉もミツも拾われなければ生きることすら叶わなかった。僅かな時間でも恋を出来たのは幸せだと考えるべきだろうか?

 文吉はそうは思わなかった。やがて文吉も家主に申し入れて自分自身を身売りした。

 男の身売りなんてものは大したものじゃない。米一俵と三両。これで商家へと売られたのだ。

 文吉の主人も、目先の金に捕らわれて労働力にも関わらずそうそうに家を出した。文吉14歳の頃であった。


 金さえあれば──。

 金があれば自由だ。自分の人生を進むことができる。ミツとも再開できるかもしれない。ミツもそれを待っているのかも知れない──。

 文吉の人生の始まりであった。





 文吉の入った商家は醤油の製造と販売を営む大店(おおだな)であった。住み込みの従業員を50人ほど抱えており、活気があった。

 文吉は、店の仕事をする傍ら商売を学んだ。もともと才能があったのかも知れない。農家にいた頃はとにかく働く労働力。働きアリくらいにしか思われなかった。

 しかし、商家の主人は違った。利発で働き者の文吉を愛した。目をかけたのだ。文吉も主人の期待に応え、二手、三手先を読んで主人に気を配った。


 大抵の従業員たちは文吉に好意的であったが、当然、文吉への主人の寵愛を面白くないものもいる。大男の熊吉がそうだ。

 熊吉は文吉と同い年で同じ境遇。つまり孤児だ。しかし、文吉より3年も早くこの店に奉公に出ていたので、後輩の文吉が優遇されるのが面白くない。

 身の丈6尺2寸(約185cm)。怪力無双で醤油が入ったままの樽を両手で引っ掴んで移動できるほどの男であった。普通は四、五人いないとできないにも関わらずだ。

 そんな熊吉は、密かに金を稼ぐ方法を持っていた。奉公人が頭を並べて寝る場所は二十畳もある大広間だが、布団を片して相撲をとることだ。

 相撲といっても普通の相撲ではない。熊吉は腕組みをしたまま畳の縁に立つ。その自分を十数える間に畳の縁から動かせば500文(12500円)払うというのだ。ただし挑戦料に50文(1250円)。


「ひー。ふー。みー。よー。いつ。むー。なな。やー。ここのー。とー」

「ダメだぁ。かなわねェ」


 血気盛んな奉公人たちはこぞってこれに挑戦したが誰も敵わない。畳の縁で腕組みをしたまま熊吉は笑う。

 挑戦料のおかげで熊吉の貯金箱には結構な金が貯まっていた。


 熊吉は文吉に、俺に挑戦せよと言ってきたのだ。文吉とて農家で鍛えた体だ。それなりに腕に自信はあるものの、熊吉は桁違いだ。そんなことで大事な50文をなくしたくない。

 他のものとは違い、買われた身だ。給金はない。しかし、ご主人が子どもの祝いのたびに小遣いをくれた。使い先のご主人が飴代だと小遣いをくれた。それをため続けて300文ばかりあったが、その中で50文は大きかった。


「勝てば500文だぞぅ!」


 熊吉の挑発。イラつくがこれに乗っては負けだ。しかし、周りの仲間たちも囃し立てる。自分たちも50文失ったのに文吉だけ失わないのも癪に障るのだ。

 

「やれぇやれぇ」

「逃げるな文吉。卑怯だぞぅ」


 雰囲気に飲まれるのはこういうことなのであろう。いつの間にかやることが義務付けられている。こんな賭けの成立しない相手に、賭けをするなど狂気の沙汰だ。

 文吉は逃げたかったが、周りの目がいつやるのかと訴えている。


「ああ、おらはどうしたらいいんじゃ──」


 主人に使いを命じられた帰り道。突然の雨に降られて、文吉は山道の中に見つけたお堂の中で雨宿りをしながらつぶやいた。

 神様の住まうお社の中で不遜とは思いながらも、大地を穿つ大雨がやむまでと、お堂の隅の方に腰を下ろしていたのだ。


 空は真っ暗で昼間なのに夜のよう。激しい雨風。轟く雷鳴。そんな中であるから、木立に隠れたお堂の中は真っ暗で不気味この上なかった。


「今夜はここで夜明かしになるかもしれないなぁ」


 ポツリとつぶやくと、一人しかいないはずのお堂の奥から声が聞こえるではないか。


『大丈夫。もうすぐやむわ──』


 文吉はドキリとしたがそれに応じずにいた。中年の女の声だ。これは古き生きた狐狸が妖怪となって自分を誑かさんと女に化け、何ごとかを企んでいるのだろうと思ったのだ。


『アンタ悩みがあるんだろう? ここで会ったのも何かの縁よ。おばちゃんがアンタの願いを叶えてあげよう』


 勝手に話を続けているが、恐ろしい。文吉は口を押さえて息も聞こえないようにしていた。女の声は、その後も続く。


『やぁねぇ。警戒してるわね。大丈夫。おばちゃんは神様のお使いよ。大事にしないとバチが当たるかもよ?』


 続く挑発。この声に応じたらいけない。文吉は膝に顔を埋めて耳を押さえた。


『ああん、もうじれったいわねぇ』


 神社の中に灯りが灯る。それは見たこともない光り。膝の中に顔を埋める文吉の膝の隙間から光りが見える。たまらず文吉は顔を上げた。


 そこには、手のひら大の白い玉が転がっていたのだ。


「わぁ!」

『なーによ。驚くなんて失礼しちゃうわね』


「お、お、お稲荷様のお使いですか?」

『あらこの神社は稲荷神社だったのかしら? だったらそうよ』


 見たことも聞いたこともない素材が提灯より明るく発光している。文吉は何が起こっているのか見当もつかなかった。

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