第121話 鈴村きゃん
きゃんが目を覚ますと、そこには迎山がいた。迎山の部屋のベッドの上で寝せられていたのだ。迎山の左手がある。あれは夢かと思ったが、割れたガラスの部分にはブルーシートが張られていた。
それを見てきゃんは下品に大きくあくびをした。
「ふわぁぁぁ~~。はー。やまさん、こんちゃっす。お腹すいた」
「お前、あんなことあったのに全然だな。しかもはしたない。どこにカメラがあるか分からんぞ?」
「私は鈴村きゃんじゃないもんね~。ねぇ。なにかない?」
「寝てる間におにぎり買ってきたぞ」
迎山はビニール袋の音を鳴らしてきゃんの前に突き出す。彼女は顔を突っ込むようにビニール袋の中身を見た。
「うわー。シャケ。鶏飯がよかった~。昆布! ツナマヨがよかったなぁ~」
「はぁ? お前、大好きだったじゃねーか!」
「全然分かってないな~。妊娠すると舌が変わるんだよ。それでも担当かよ。も~~~」
「お前……!」
文句をいいながら、きゃんは二つのおにぎりにかぶりつく。よほど腹が減っていたのか、あっという間にペロリと平らげ、腹を撫でた。
「腹四分目だわ~。エネルギー使いすぎた」
「あれか……。不思議な力だな……」
「うん。私も知らなかった。初めてだったもん」
「ま、マジか」
初めてであの力のコントロール。しかし危機を脱出できた。
「何にしろ不思議だ。しかもあんなものが世の中にあるなんて」
「ホント。お母さんの……お陰かな?」
「お母さんの?」
「そう。私にもこんな不思議な力を与えてくれていたなんて──。でも……」
「でも?」
「──嫉妬って醜いね。あの白い玉はお母さんに嫉妬しているんだわ。きっと同じような目的で作られたにも関わらず……」
きゃんはしばらくうつむいたが、にこやかに笑って顔を上げた。
「ねぇ。まだ日が高いよね。ちょっとだけ付き合ってよ」
「ん。ああ。いいよ」
きゃんと迎山は部屋を出てタクシーを捕まえた。向かった先は、鈴村きゃんの入院している病院だった。
二人は鈴村きゃんのいる病室へと向かい、廊下の長いすに座る母親を見つけた。それに迎山は話し掛ける。
「お久しぶりです。伊藤さん」
その声に鈴村きゃんの母親は顔を上げ、力無く微笑んだ。
「ふくの……マネージャーさん……」
伊藤ふくは鈴村きゃんの本名だ。鈴村の母親は迎山の隣にいる若い女に目をやる。在りし日の娘そっくりのきゃんに。
「あなたは……前にもここでお会いした……」
それにきゃんはにこやかに答える。
「おばさん。ふくさんに会わせて頂けませんか?」
「でも……面会謝絶で……」
しかし鈴村の母親は何か感ずるものがあったのであろう。長いすから立ち上がり、病室のドアを開けた。
「……どうぞ。もう目を覚ましません。あと余命いかばかりか……」
そういって涙をこぼすが、きゃんは感傷的にもならず、その横を通り過ぎて鈴村きゃんのベッドの右横に備え付けられているイスに腰掛けた。
鈴村きゃんの口には生命維持のための管が入れられている。心音を知らせるメーターは絶えず微弱な音を鳴らしていた。左腕には点滴。きゃんはその点滴の打たれている細い腕を握った。
そうされても鈴村きゃんには反応は全くない。きゃんは顔を近づけてつぶやく。
「鈴村きゃん──。私の嫉妬の元凶。憎い憎い相手。でもそれってすごく醜い。同じなのに。二人は同じなのにね。愛し合えばきっと最高の友人になれる。だから、あなたはまだ死ねないわ」
きゃんの送る力。不思議な力で鈴村きゃんのまぶたが少しだけ動き、目が開いていく──。
それとともに、呼吸器に大きな呼吸音。鈴村の母親は驚いて、看護師を捕まえに行った。
きゃんは迎山のほうに振り返る。
「さあ。やまさん帰りましょう」
「な、治ったのか?」
「まさか。私ができるのはここまでだわ。ガンの治癒まではできない。力には制限があるんだと思う。これを治せるのは母しかいない。黒い箱しか──」
鈴村きゃんの病気の進行を止め、いくらか治癒しても大元までは治せない。自分の生命エネルギーではそこまでなんだときゃんは感じた。座ったまま迎山のほうへと顔を向ける。
「お腹すいたよ。やまさん。なにかおごって」
「お前、百万円もらったろ?」
「あれは赤ちゃんための生活費。シングルマザーは大変なんだから」
そして立ち上がって大きく開かれた鈴村の瞳に向かって笑いかける。
「頑張ってもう少しだけ生きな。アンタを完全に治せるように努力する。それまで死んじゃダメだよ。また来るから」
彼女に別れを告げて病室を出る。鈴村はその姿を目で追いかけた。その顔の前に迎山。いつものようにニコリと微笑んだ。
「鈴村。みんな待ってるぞ」
そういってきゃんの後を追う。鈴村きゃんはそれを泣きながら笑顔で見ていた。そしてわずかながら首を縦に振ったのだ。
◇
迎山のアパートの下。白い玉は土に埋もれて停止していた。しかし、自然が玉へと力を送る。また、カエルやらバッタやら、玉を石か何かと勘違いする生き物が上に止まるとそれを吸い込んで捕食し、ようやく人心地ついた。
「はぁ~~~あ。糞! あの悪魔の子め! いつか思い知らせてやるわ!」
しかし、白い玉は辺りを見回して逃げるようにそこを後にする。
「ま、まぁ。引き分けね。どちらも勝ってない。私は負けてないもの。はぁ。そうと決まれば長居は無用よ。私は天使! 求めている人の元にいく──」
そういいながらコロコロと転がっていった。
時間は遡り、江戸時代の日本。
金のために全てを失ってしまった男がいた。
次回、紀文と吉原篇
ご期待ください。




