第120話 不思議な力
白い玉の直接的な物理攻撃。きゃんは驚いたものの、眉毛を吊り上げてそれを手で弾いた。白い玉は壁に衝突し、床を転々とする。しかしダメージはないようだ。
「お。どうした? 母子げんかか?」
「こんなのお母さんじゃない!」
「まあそういうな。母親なんてどこも同じ。離れて初めてありがたみがわかるもんだ」
「違うの。やまさん。これは私の母じゃないの。ウチのお母さんは黒い箱だもの」
「え? じゃあこれは……この不思議なのは……」
白い玉は怒ったように体を震わせる。
『だから言ったじゃない。おばちゃんは天使の玉。ソイツを産み出したのは悪魔の箱。人から生命エネルギーを奪って強い願いを叶えるんだ。だけどおばちゃんは違う。自分に溜められたエネルギーでささやかな願いを叶える。人は努力しなくちゃいけない。その手助けをする天使なのよ!』
そういいながら白い玉は弾んできゃんに突撃してくる。きゃんはそれを払いのけながら思った。たしかに母とは違う。おしゃべりだ。発光する文字を現すわけじゃない。言っていることはもっともだが、天使や神の使いとはほど遠い。
なぜなら言葉に憎しみや嫉妬を感じるのだ。
「なによ。お母さんを悪く言わないで! そりゃいい母親じゃないわ。──考えてもいいところなんて思い浮かばない悪い母親だと思うけど、あんたに悪く言われたくない!」
『なにをこの糞!』
白い玉に赤いマーブル柄が浮かび上がりそれが汚らしく動く。迎山は気付いた。これは白い玉が何かをやろうとしていると。とっさに彼はきゃんの前に滑り込んで左手を前に構える。白い玉は唸るように言った。
『衝撃波を喰らわせてやる! 死ねェ!』
ワンッ! と耳をつんざく音。部屋の壁がきしんでヒビが入った。
きゃんの顔に生暖かい液体が貼り付いた。驚いて指でそれを拭う。ぬるりとした感触。概ねなにか分かったが改めて指を目の前に持ってきた。
「血……。や、やまさん?」
きゃんの前に膝を落として崩れた迎山の左手は肘まで失われ、その前の床には残骸が散らばっていた。
「キャッ! キャーーーッ!!」
「な、成田さん……逃げろ──」
左手を押さえてうずくまる迎山。きゃんの後ろにはアパートの出入り口があったが、彼女はパニックに陥っていた。さっきまで話していた迎山は大怪我をしてうずくまっている。母は……黒い箱自体は自分の意思で攻撃などできない。誰かの願いによってすることも出来るが、それが黒い箱のルール。
しかし白い玉は違う。きゃんに敵対心を持っていて、自らの意思で攻撃が出来る。
きゃんは震えた。
それは怖いという感情もあったが、人を攻撃するということ。迎山を傷付けたということに腹が立ったのだ。次第に冷静さを取り戻していく。
白い玉はうめいたまま、肩で息するような形だった。
『ハァハァ、ゼィゼィ。殺してやる……。殺してやる……。殺してやる……』
「許せない!」
きゃんの声と共にアパートの部屋がきしんだ音を鳴らす。その瞬間、白い玉は風で飛ばされたように高く宙に浮いて部屋の隅に転々と落ちた。
迎山はその光景を見ていた。その衝撃波はきゃんから出ていた。
白い玉は転がって体勢を整える。
『糞! やっぱり悪魔の子! ハァハァ。エネルギーが足りない。エネルギーが──』
白い玉は迎山の方まで転がり、人間が蕎麦をすするような音を立てて、迎山の散らばった左手の残骸を吸収した。
『ま、まだ足りない。くぅぅぅ』
キレイに迎山の肘まで形成していた左手を吸収したにも関わらず、悔しげにうめく。そして迎山に向かって半ば反転した。
『おばちゃん、アンタのために願いを叶えてあげたよねェ。おばちゃんに恩があるよねェ。おばちゃんは悪魔を倒さなくちゃいけないの。ねぇ。残った左手──ちょうだい?』
そういうと、迎山の左腕に食らうように飛び付いた。
「ぎゃぁぁあああーーーッ!!」
白い玉はずるずると音を立てて左腕を吸い込んでいるようだ。それは激痛が伴うのだろう。迎山は転げ回った。迎山の左腕は二の腕まで失い、骨が見えて血が噴き出していた。
『ふぅ。これでいい』
きゃんは声を荒げる。
「アンタ! さんざん人の母を悪く言ったクセに、強引に人の肉体を奪うなんて! この人食い!」
『違う! 私は天使。神に代わって悪魔を討つのよ! その大事の前では人間ごとき小事。死んだって知ったことない!』
白い玉はそういって、真っ赤なマーブル柄を浮かびあげる。きゃんは構えもしなかった。迎山は傷口を押さえながらなおもきゃんを気遣った。
「な、成田さん。またくるぞ。逃げるんだ」
しかしきゃんは逃げない。両手を広げて受ける形。先ほどの力。怒りを力に変える──不思議な不自然な力。
『死ね!』
衝撃波。今度のはもっと大きい。部屋全体が大きく揺れる。しかしそれはきゃんと白い玉の中ほどまでくると穏やかになり、消えてしまった。
きゃんは白い玉を睨み続け、左手を前に差し出す。それは握手を求める形。その手を握ったと思ったら、目を見開き肘を大きく折って自分の方へと引いた。
『ぐ、ぐ、ぐ、ぐあッ!』
突然、白い玉から迎山の左手がなにかを摘まむような手つきで現れる。それに続いて左腕が現れてゴトリと音を立てて落ちた。
エネルギーを奪われて息も絶え絶えな白い玉。それにきゃんは近付く。
『く、く、く、糞! 覚えてろぉっ!』
白い玉は飛び上がって背面にあったガラスを割って逃走した。小さい体はもうどこにも見えない。
きゃんは生々しい分離した迎山の左腕を持って彼の元に近付く。
そして、傷口と傷口をあわせ、きゃんが手を添えて目を閉じると左腕は何事もなかったように元に戻った。
「あ。も、元に」
「ふふふ。よかったね。やまさん。痛くない?」
迎山は左手を軽く握る。違和感はない。痛さも痺れもなかった。
「ああ痛くもかゆくもない。キミのお陰だ。成田さん──? おい! しっかりしろ!」
きゃんはそのまま気を失った。エネルギーを使いすぎたのだ。そして分かった。黒い箱は人間の生きているエネルギーを使って力に変換しているのだ。
自分は黒い箱から産まれた。鈴村きゃんと黒い箱、双方の遺伝子を持っている。
つまり──。
自分にも不思議な力が使える。自己の中にある生きるためのエネルギーを使って。