第12話 告白
いつの間にか二人はいなくなっていた。瑞希が我にかえったのは同僚の女性社員に声をかけられたからだった。
「どーしたの? カウンターに名刺置きっぱなしにして。吉井さんの会社じゃん」
そう声をかけられても瑞希は半分の意識を置いてけぼりのまま。それでもようやく口を開いた。
「あ、う、うん。新人さんが来て」
「へー。そーなんだ。課長に報告しといた方がいいよ」
「う、うん。そうだね」
瑞希は答えたものの、その後の仕事にさっぱり身が入らない。入るはずがなかった。
仕事が終わるとうつろな表情のまま瑞希は帰宅して、冷蔵庫に磁石でとめている目標の「48」に大きくバツ印を書き、上に「36」と書いた。
『目指せ! 36kg! 到達したら告♡白』
目標を大きく変更。鬼気迫る顔をして、すぐさま黒い箱を手に取った。
「神様! 体中の脂肪取ったら何キロになるんですか!」
黒い箱に尋ねるとの表面に光文字が表示された。
『42kgです。胸や尻の脂肪です。プロポーションや健康も損なう場合があります』
「そ、そうだよね」
『筋肉は?』
「え?」
『プロポーションを維持しつつ、ある程度の脂肪と筋肉を取れば36kgは可能です』
「ああ! 神様!」
瑞希は拝み倒した。
「ちゃんと生きて行ける範囲でですか?」
『もちろん』
「じゃぁ、やっちゃってください!」
『願い事を言って下さい』
「願い事……。何が頂けますか?」
『金額にすれば682万円です』
金。初めて知った。願い事をすれば金がもらえる。それならば最初からそうすればよかったと思った。
「じゃ、お金682万円で」
『叶えられました』
目の前に白い光が放出され、積み重なるお札。そして、瑞希の全身に赤い光が照射される。
瑞希の体型がみるみる変貌して行く。腕もほっそりして、骨が角張って皮の下に見えた。頬もこけて健康感がまるでない。目だけがギョロリとしていた。首には青い血管が浮き出ている。胸がない。健康的に膨らんだ胸がしぼんでいる。服をめくってみると肋骨がボコボコと出ていた。
もう、在りし日の瑞希の様相ではなかった。普通の感覚であれば病的な全く魅力のない顔になってしまった。
そんなことお構いなしに瑞希は服を脱いで体重計に乗る。
『36.0』
瑞希は嬉しかった。ガッツポーズをしようと腕を上げたが、中ほどまでしか上がらない。自分の体が重いのだ。
歩くのがつらい。
胸が重い。
頭が重い。
瑞希はベッドに倒れ込んでそのまま寝てしまった。
朝、けだるげに目を覚まし、体を起こそうとしたが、重い体が持ち上がらない。転がるようにベッドから落ちて、ベッドに掴まって足と手の力を使っておき上がった。
力 が 入らない。
時間をかけて服を着用し、重い重い、玄関のドアをあける。手すりにつかまって階段を降りる。
一歩が全身に響く。片足に体重をかけるのが辛いのだ。
なんとか会社にたどりついたものの大きく喘ぐ。体力の消耗が著しい。フルマラソンをしたように。
それでも執念で自分の席に座ると昨日とは一変してしまった瑞希を見て同僚たちは遠巻きに離れ、ヒソヒソと話し合った。
一日での変貌。まるでゾンビのよう。見知らぬ人が瑞希の席に座っている。
それは周囲にとって恐怖だったのだ。
その頃、吉井は会社にいた。
ウキウキとしながら、出先を記入するホワイトボードに瑞希の会社名を書いた。
「いってきまーす!」
元気よく声を張って営業部屋から出ようとするところを、同僚が止めた。
「うぉーーい!」
「なに?」
「なにじゃねーよ。お前の出先」
見ると『富永商事』になっていた。吉井は慌てて社名を通常のものに変える。事情を知っている同僚は苦笑しながら咎めた。
「あのさ、うれしいのは分かる。好きな人の会社に行くのは楽しいだろうよ。だがな。仕事は仕事。恋は恋。割り切れよ。まったく」
「あー。ゴメン。ゴメン!」
「今日こそ言えよ! メシ一緒に行きましょうって!」
「おーう!」
「沢村は今日は休みか。やっぱり、あんなに瘦せてると体力ないもんなぁ」
「そーだな。営業は無理なのかも」
彼は営業車に乗り込み、楽しそうに瑞希のいる会社に向かった。恋は人生に花を添える。
そして、事務所のドアをあける。
「こんにちわー! ○○社の吉井でーす!」
そのまま、まっすぐに瑞希の方に目をやった。しかし、そこにはいつも座っている人とは別の人が座っている。
「あれ? 富永さんは??」
そこに座っていた瑞希はよたつきながら立ち上がった。
「私です。富永です。吉井さん。やせて キレイになったでしょ?」
男は驚いて二歩ほど下がってしまった。あの好きだった瑞希と全然違う。まるで幽霊のようだ。
「あ、あの……」
瑞希はヨタヨタとカウンターから出て彼に近づいて行った。
36kgになったら告白。
36kgになったら告白。
その気力が重い体を歩かせる。しかし、瑞希はマットに蹴つまずいて倒れ、しこたま体を打って倒れてしまった。筋肉がないので踏ん張ることができなかったのだ。
倒れたままの彼女から血が流れて行く。吉井は驚いて「ひぃ!」と声を上げた。
救急車の音──。
瑞希は運ばれて緊急入院した。突然痩せたので栄養剤なども投与された。しかし、瑞希にはそれを蓄える脂肪がない。
医者は頭を抱えた。筋肉が細っているのではない。あるはずの筋肉の部分がないのだ。こんなもの見たことがない。起き上がるのも容易でないのだ。
いくらリハビリしても力がつくわけがない。彼女はこれからの人生寝たきりになってしまうだろう。
黒い箱は本当に『生きていける範囲』で筋肉と脂肪を絞り取った。それには医療の力も含まれて……だ。
しかし、瑞希はベッドの上で微笑んでいた。
「沢村さんも入院して痩せたって言ってたもんね」
嬉しそう──。そして笑おうとしたが顔の筋肉も代償としてとられていたのでわずかに口にしわを寄せることしか出来なかった。
「うっふっふっふ。これでミズキ、また痩せれる」
病室の中に不気味な笑い声が響いた──。
【予告】
隣りの男は、ダイエットの女の部屋に忍び込み「黒い箱」を盗んだ。
男の夢である、アイドルを自分のものにするために。
次回「男とアイドル篇」
ご期待ください。