第116話 数ヵ月前の光景
迎山が出て行った後、きゃんはさっさと荷物をまとめて立ち上がった。
「じゃあ……次の予定はグループトークで……ね」
そう言いながら控え室の出入り口に向かうが、佐川が袖を掴んで引き止めた。
「きゃんちゃん。出たいよ。私たち──」
分かっている。分かっていた。メンバーたちはテレビの世界に憧れている。華々しい世界にきゃんはうなだれて立ち止まる。佐川はなおも続ける。
「お願い! 27年生きてきてやっと回ってきたチャンスなの。これを逃したらもうテレビの仕事は来ないかもしれない。自分の力を試したいの!」
「で、でもテレビなんて……」
ホントはテレビだからと言うわけではない。迎山に絡みたくないのだ。身近にいた人間。自分自身は初めましてだが、知っている人間。鈴村きゃんが兄と頼った男──。それに絡みたくないのだ。
さらに、うぅ役のすももも声を荒げた。
「どうして? 今までなんでもやってみようって路線だったのにテレビはダメなの? 大きな舞台で歌いたいよ私」
それに他のメンバーも同調した。さらには支配人も。
「──練習なら昼間にここを使ってもいい。キミたちなら第二のわんわん探検隊になれるよ」
そうだろうか?
きゃんは華やかな場所にいた記憶がある。挫折したもの、売れなかったものを何人も見てきた。この中で芸能人になれるものは、残念だが希望はない。歌、顔だけの世界ではないのだ。スターにはその才覚が必要なのだ。佐川が何年も活動してきて芽が出ないのはそれだ。あと一歩の思い切り。あと一歩の踏ん切り。あと一歩が大きな差。圧倒的な強さ。一般人と芸能人の線。華となれる才能なのだ。
しかし、この四人は自分の仲間だ。
きゃんは深くため息をついた。
「私……緊張しいなんだよね」
「え? きゃんちゃんが?」
四人は僅かに笑う。もちろん、きゃんの緊張しいなどウソだ。先ほどの言葉を撤回するための方便。しかし四人はそう言うことかと納得した。
きゃんは振り返って声を張る。
「やるなら優勝目指すよ! そして第二のわんわん探検隊になるんだ!」
「「「「おー!!!」」」」
きゃんの声に応じてメンバーと支配人まで手を上げた。
迎山も、今までとは違いやる気を戻していた。ワイシャツのアイロンを丁寧に何着も、何着も。白い玉は冷蔵庫の上で激励した。
『やる気が急に出て来たね。悩みなんてないみたい』
「はは。そうだね」
『よしよし。悩みがないのはいいことだ。おばちゃんのおかげね!』
それは少し違う……と迎山は苦笑する。少し恩着せがましい。まぁそれもおばちゃんの性格のようだと、今度は肩を揺らして笑った。
『あの子のことは──もういいのかい?』
「まさか。……でもどうにもならないだろ?」
そう。鈴村きゃんはもうどうにもならない。声をかけることすら出来ない。その期待をそっくりさんのきゃんにかけるのはおかしいのかも知れないと思うものの、高揚感は抑えられなかった。
『なにか悩みがあったら言っておいで。おばちゃんが聞いて上げるから』
「ああ。そうさせてもらうよ」
しかし迎山の気持ちの中にはもう白い玉は必要なかった。自分が努力して価値を得る。もともとそのスタンスの人間なのだから。
迎山への連絡は、佐川が担当。時間は余りなかった。決勝まで4曲。これは楽勝だ。いつも演奏している曲をやればいい。
ライブハウスの控え室ときゃんのアパートの部屋で打ち合わせ会。それを毎日。
オーディションはほぼ顔パス。迎山が手を回してくれたらしい。衣装やメイクなどもテレビサイドで用意してくれた。とんとん拍子に収録日となった。
一曲目。わんわん探検隊で一番人気のある曲を歌い勝ち進み、二曲目も勝ち上がり、メンバーたちは控え室に戻っていた。
「ああドキドキするね!」
と、うぅ役のすもも。メンバーたちはきゃんを除いて緊張の頂点にいた。その控え室がノックされドアが開いた。
「やあ。みんな順調じゃないか。これなら優勝狙えそうだな」
「迎山さん!」
みんな控え室に入って来た迎山を歓迎した。中でも佐川は立ち上がってべったりだ。迎山はひとしきり佐川と話した後で、メンバーひとりひとりに声をかけた。そしてきゃんの隣に座った。
「やあ。成田さん。全然緊張してなさそうだな」
「そ、そんなことないです。あ~のどカラカラ」
「ほい。このスポドリ好きだろ?」
手渡されたのはたしかに好きなスポーツドリンクの小さめのペットボトル。きゃんはそれを黙って受け取る。
「あの……やまさ……あ、いや、迎山さん……」
「もう成田さんはやまさんでいいけどな」
「私は鈴村きゃんではないです──」
「──分かっているさ。しかし首のホクロの位置まで一緒とはなぁ」
そのまま二人は沈黙。しかし凍り付いた空気ではない。なだらかな、春のような空気。
きゃんは思った。迎山はもう気付いているのかもしれない。自分のことを知っているのかも知れない。ホンモノの鈴村きゃんと成田きゃんを両方見て分かったのかも知れない。
「あの……あの……あのぉ……」
「──なんでも自分ひとりで背負い込むな。相談しろよ。いつも言ってたろ?」
「……はい。あ、いや、でもそれは鈴村きゃんにであって……」
「そうだ。でも話し相手にはなってやれるぞ?」
きゃんは鈴村きゃんに戻っていた。約5年の青春時代を過ごした戦友だ。それは、わんわん探検隊のメンバー。そして、それぞれのマネージャーたち。鈴村きゃんがあるのは鈴村きゃん一人でなった訳ではない。当時大学出たての迎山。期待されていなかったアイドルグループをトップアイドルへと変身させた。その時の苦労。絆。当時を思い出し、涙を抑えられず、ペットボトルを握りながら肩をふるわせると迎山はそっとハンカチを手渡した。きゃんはそれで涙を拭く。
「えへへ……。やまさんにならなんでも言えそうな気がしてきた」
「いいさ。頼って来いよ」
きゃんは迎山の胸にハンカチを押し当てて返す。そしてニヤリと笑った。
「佐川さんと仲いいね。もうしちゃった?」
「は、はぁ? なんだそりゃあ?」
「やまさん、私の担当だったのに、わんちゃんのファンだったもんね~。ポスターは持って帰るし」
「なにいってんだ。琴沢に恋愛感情なんてなかったぞ? た、たとえそうだとしても顔の形が好きなだけ。才能は鈴村のほうがある」
「そうそう~。鈴村はみんなのアイドル。琴沢はオレのアイドル。でしょお~?」
「ヤ、ヤメロ」
「だからわんちゃん似の佐川さんに惚れたか」
「ば、ばか。まだなにもしておらん!」
二人は顔を見合わせて互いに吹き出した。
「懐かしいね」
「ああ。たった数ヵ月前の光景だがな」
「諦めちゃダメ。自分で言ってたでしょ?」
「そりゃそうだ」
「鈴村きゃんも復活するかも?」
「それは──どうだろう」
途端に迎山の表情は暗くなった。しかしすぐに顔を上げる。きゃんは迎山の肩を痛くないように小突いた。そして抱いているギターをよけるとぽっこりと出ているお腹。迎山の目が丸くなる。
「鈴村。お前~~──」
迎山はきゃんに苦笑いする。
「違う。鈴村じゃないもんね。私は旦那を愛するために産まれてきたの。今は7ヵ月」
迎山は吹き出した。
「そうか。旦那さんは元気か? いい人か?」
それにきゃんは首を振る。
「いい人。だけど今はいないんだ」
「どうして?」
「それは後で話すよ」
「そうか。体冷やすなよ? ちょっと待て。もう少し布を増やそう」
そういってカラフルな布を舞いて大きな安全ピンで後ろを留めた。
「これならデザインも悪くないし、ギターを抱かなくてもいいだろ。おかしいと思ったんだ」
「おー。いかしてるぅ。やまさんありがと~」
「どういたしまして。じゃステージに行ってこい」
「はぁーい」
メンバーたちは立ち上がる。ステージに向かう途中、佐川になにを話していたのか聞かれたが笑ってごまかした。