第115話 やまさん
鈴村きゃんのクローン人間のこととなると、また白い玉は癇癪をおこして暴走するかもしれない。それで面倒が起こっても嫌だと迎山は考えた。
白い玉は冷蔵庫の上で力を回復しているようだ。朝起きても大してちょっかいをかけてこなかった。いつもは口うるさい母親のような小言混じりのことをいってくるのに。
迎山は仕事へと向かい、会社のパソコンでくだんのクローン人間きゃんのことを調べた。
別段悪魔の子っぽくはない。SNSもあり仲間と楽しく活動しているようだ。今日も夕方からライブハウスでライブをするらしい。
これはいい。実際に会って話してみよう。自分は芸能事務所の人間だ。ライブハウスの楽屋に入り込むなどお手の物だ。
仕事中、よい時間に外回りと言ってライブハウスへと向かった。ライブハウスの周りは若い人たちでごった返しており、彼女たちの人気を知ることが出来た。堂々と正面から名刺を見せて支配人を呼ぶと向こうはすぐに出て来て頭を下げた。
「まさかあんな大きな事務所のかたが来られるとは。彼女たちは趣味のコピーアイドルグループですが、仕上がりは最高ですよ」
「みたいですね。舞台袖から見せて貰えると嬉しいのですが」
「いいです、いいです。狭いですがどうぞ」
開演すると、支配人が舞台袖まで案内してくれた。迎山はポケットに手を突っ込んでそれを見ていた。
ライブは超熱狂。センターに立つ、きゃんの呼び声に観客たちは立ち上がって声を上げていた。
迎山が驚いたのは新曲だ。もちろんわんわん探検隊の曲。だが鈴村きゃんが入院してから出来上がった新曲。コピーアイドルなのに、彼女が歌ったことがないパートを上手に歌い上げている。
「これはホンモノだ。ホンモノの鈴村きゃんだ!」
舞台袖でも思わず熱くなる迎山。
やがて彼女たちの熱演が終わり、一人一人舞台袖に入ってくる。狭い通路にいる迎山の横をすり抜けて。しかし見たこともない人物だと訝しがって広い場所に来て四人は振り返った。
最後にきゃんがギターを抱いたまま舞台袖に入って来て、迎山に向かって微笑んだ。
「どうだった? 迎山Mg」
いつものきゃんならそんなミスはしなかっただろう。舞台の熱狂。盛り上がったテンション。それはきゃんを鈴村きゃんに戻していたのだ。小さいライブハウス。しかし舞台には変わりない。いつものように待っている迎山になんの違和感も覚えなかったのだ。
なにしろデビューした14歳の頃から苦楽を共にしたマネージャーだ。迎山の姓の後ろをとって“やまさん”の愛称で呼ぶのは当人と僅かな者だけ。
それに迎山も小さな声で彼女の名前を呼んだ。
「鈴村──」
そう言われてハッとする。慌ててきゃんは目を背け、仲間の場所に走って行った。
「みんな、いこ!」
明らかに焦った声。だが四人はあそこにいる人は知り合いかと聞く。
「ううん。知らない。知らない人──」
そういってメンバーの背中を押して控え室へと戻った。
控え室へと戻り、化粧を落として服を着替える。早々に帰らなくては面倒なことになるかもしれないと思いながら。
そこに扉を叩く音。支配人がみんな着替えたのなら入りたいがよいか尋ねられた。普段はこんなことないのできゃんのみ悪い知らせと思ったが他のメンバーは快く迎え入れてしまった。案の定、支配人の後ろには迎山が立っていた。
迎山の視線はきゃん。しかしきゃんは白々しく目をそらす。
「この方は芸能事務所“ゴナパイン”の迎山さん」
と支配人が紹介するのに、メンバーは声を上げる。きゃんのみゴソゴソ荷物を片付けたまま。
「そうなんです。わんわん探検隊のマネージャーの一人をさせてもらってます。迎山です。今日は皆さんの熱演を見せて貰いました。すごく良かったです」
迎山がメンバーを激励するとみんな声を上げて喜ぶ。うぅ役のすももはきゃんの背中に貼り付いた。
「すごいね! きゃんちゃん! ホンモノの芸能事務所だよ」
「え、ああ。そうねぇ」
「どうしたの? 嬉しくないの?」
「いやぁ別にって感じかなぁ」
「……ふーん」
迎山は続ける。
「今度素人のモノマネ番組の収録があるんです。それに出てみませんか? もちろんオーディションはあるけど、私が声をかければ出演間違いなし。ただ、出演するなら5人まとめて。いいかな?」
メンバーたちはきゃあきゃあ声を上げて手を叩いたが、きゃんのみ声を上げる。
「──せっかくですけど。私たち、こっちの本業が忙しいですし、稼ぎもいいので。素人のモノマネ番組で貰えるギャラなんてたかが知れてますもん。一人に10万もだせないでしょ? レッスンとかもさせられそうだし」
それに迎山は答える。今度はわん役の佐川の目を見ながら。
「そうかもしれない。でもキミたちにとってはチャンスだ。大きな舞台の全国放送。キミたちのレベルなら優勝も狙える。優勝賞金は500万円だ。優勝がダメでも、目立った存在になるだろう。5人の仕事が増えるかも知れない。一人の仕事も。このライブハウスでもいいけど、華やかな場所に出てみたくないか?」
迎山の話に支配人も同調する。
「キミたちがこのライブハウスからいなくなるのは大きな損害だよ。でも、私の仕事は若い力が羽ばたく手助けになることだ。その一助になるなら、私は賛成だよ。もっと大きな仕事をすべきだ」
しかしきゃんは二人の言葉に被せるように声を荒げた。
「せっかくですけど! 私たちには過分なお言葉です。今の仕事に満足してます。全国レベルには敵いませんよ。迎山さん。どうかお引き取りを」
迎山は、小さく笑った。
「その力強さ。鈴村そっくりだな。すぐには決められるはずもない。メンバーで話しあってくれ。名刺を渡しておく」
そういって佐川に名刺を手渡して、さっさと出て行った。