第11話 ライバル
次の日の会社。出勤してから瑞希の胸はドキドキしていた。取引先の営業マン、吉井が来ることを心待ちにしていたのだ。
しかもおあつらえ向きに課の人間が所用でそれぞれ席を立っていた。今、彼が来たら二人きりになる大チャンスだ!
「こんにちわー! ○○社の吉井でーす!」
来た。瑞希の胸は大きくドキン! と高鳴った。そして真っ赤な顔をして席を立ち上がり、急ぎ足で彼に近づきカウンター越しに声をかけたのだ。
「ああああ吉井さん。ここここんにちわぁ」
「あれ? 富永さん、痩せました?」
「あ、はい! がんばって! ダイエット。 してたんで。はい。 ヤセ……ました」
瑞希は、腹や頬を撫でながらそう言った。吉井は驚いて微笑んだ。
「へー! すごいっすね! 努力家だなぁ〜」
「そそそそれでですね。吉井さん。あの……」
告白──。告白だと思ったところで吉井の後ろのドアがゆっくりと開いた。
「すいませぇーん。先輩、車のロックしめてきましたー」
「あー。遅いよ。ほら。早く入ってご挨拶しな」
吉井がそう言った相手は新人の女の子だった。
「すいません。ふぬぬぬぬ! ドアが重い……」
「もう、しょうがねぇなぁ」
吉井は彼女が必死になっているドアを開けるのを手伝った。
彼女は力を入れたドアを吉井に開けられたので、勢いが余ってそのまま吉井の広い胸の中に倒れ込んだのだ。
「……あ。……すいません。……せんぱい」
吉井は彼女を胸に抱いたまま、背中を軽くポンポンと叩いた。
「ほらほら。しっかりしろよ。お客さまがお待ちになっているだろう」
「あ失礼しました! 新人の沢村です」
彼女が出してきた名刺。それを持つ指が白くて細い──。
そう。その女はとても痩せていた。痩せていたのだ。吉井の好みは痩せた女。つまり、この沢村は吉井の心を射貫いた女だと思い込んでしまった。
瑞希は二人の雰囲気と痩せた彼女の体をただ呆然と見つめていた。
痩せた女、沢村はなかなか名刺を受け取ってもらえないので、機嫌を損ねたのかと少し顔を上げた。
「あの……」
との声に瑞希は気付いて名刺を受けとる。
「あ! ああ。すいません。……沢村さん。□□商事の富永です。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
吉井はいつもの調子でにこやかに説明した。
「新人教育で、今日から外回りの研修させられてるんすよ。ありゃー。今日は課長いなかったんですね。じゃ、また日を改めますか」
「そーですね。せんぱい」
そう言って二人は同時に頭を下げ、出て行こうとした。そこを瑞希は呼び止めた。
「あ、あの」
「え?」
呼び止めた相手は吉井ではない。視線は新人の沢村だった。
「あの、沢村さん……。やせてらっしゃいますけど……」
「え? あー。ええ。ちょっと病気しちゃって長期入院して、そこから太れなくて。筋肉もなくなっちゃってですね~。なので営業で足を鍛えようと思いまして」
「今……、……何キロ?」
「え? 37キロなんです。背も小さいし小学生みたいだって言われます。恥ずかしいです……。もっともっと太りたいんですけど」
沢村は瑞希より15cmほど身長が低い。だが瑞希には37キロと言う数字だけが頭の中を駆け巡った。自分よりも11kgも痩せている沢村。それにただ焦点も定まらずに呆然としていた。
そんな沢村の言葉に吉井は大きくうなずいた。
「ホント、痩せてるよな~」
その吉井の言葉に瑞希の胸がドキンとなる。『痩せているよなぁ』という言葉が瑞希の頭の中をグルグルと回転して支配してしまった。
呆然としている瑞希の前で二人しか知らない会話を始める。
「入社してきた時、紙なのか沢村なのか分からなかったもんな」
「ちょっとぉ! せんぱい!」
じゃれ合う二人にショックを受けた。思考も視点も定まらない状態だ。
吉井はそんな瑞希に近づいて背中をカウンターによりかかって瑞希に照れた顔を見られないようにしていた。そして瑞希にとって大切な言葉をつぶやく。
「……オレは富永さんくらいの人がいいっす」
吉井は真っ赤な顔をして言ったが、呆然としている瑞希にその声は耳に届かなかった。
新人。
痩せた新人。
37kg。
痩せてる。
吉井の好みの女。
仲良し。
じゃれるくらい仲良し。
ドアを開けてあげた。
胸に抱かれてた。
痩せた人が好みの。
吉井に──。
瑞希の中にそんなワードが駆け巡っていた。